Happy End (2)It is its.

 
花京院典明はベッドの下でうずくまっていた。
時折目が乾くので瞬きをする、それ以外には特にすることがない。
たとえ主人が帰宅して、玄関の扉が開いても、だ。
当然だ、彼は家具なのだから。
ただし主人が「おい、帰ったぜ」と呼びつけたのなら話は別だ。
花京院は朝そのままにされた体勢から飛び起き、ぺたぺたと裸足の音を立てて玄関へと走った。
主人が脱いだコートや、置いた鞄などを受け取ることもしない。
それは花京院の仕事ではない。
花京院はただそこに立って、主人を見ている。
主人が花京院を見やり、その腕を広げてようやく、彼に抱きつくことが出来るのだ。

 
 

空条承太郎が家に帰ると、彼のお気に入りの家具が出迎えてくれる。
以前は使わないときには段ボールに入れて仕舞っていたのだが、最近は出しっぱなしだ。
彼は物言わぬ家具にキスをして、夕食を作るために台所へと向かった。

 

承太郎が花京院をリビングの床に置いて下ごしらえを始めたとき、久しぶりに電話が鳴った。
仕事の電話は携帯に来るようにしてあるから、本当に久しぶりだ。
相手は祖父の代理人だった。
代理人と祖父の隠し子の少年について一言二言を交わし、祖父と換わった。
耳も遠くなり、ボケも始まりかけている祖父とは、ほんの簡単な世間話しかしない。
もうそのことに何の感慨もない承太郎が、天気や音楽なんかの話をして電話を切ろうという直前、祖父がふと、
「のう承太郎、花京院はどうしたのかのう」
と言った。
「ポルナレフはイタリアで、矢の調査中に失踪してしまったじゃろう。じゃが花京院は日本でリハビリしておったのに……どこに行ってしまったのかのう。………承太郎?」
「……花京院って、誰だ?」

 
 

承太郎は作り終えた夕食を食べ、花京院にも食べさせ、風呂を沸かして入り、明日の準備をし、花京院を抱き上げてベッドに向かい、セックスをし、抱きしめて寝た。
ふっと夜中に目が覚めた、承太郎を花京院が見つめていた。
自分が眠っていたのに?
こいつは自分の意識の及ぶところでない行動をするっていうのか?
……こいつは何だ?
「なあお前、花京院って知ってるか?」
花京院は承太郎を見つめた。
茶色の澄んだ瞳だ。
誰かにこんな風にまじまじ見つめられることなんて、今まであっただろうか?
「………お前、一体何だ?」
花京院はかすれた声を出した。
もう数ヶ月もきちんと話していないのだから仕方がない。
「ぼくはあなたのモノですよ、ご主人様」
「モノじゃあないだろ、お前…お前は一体『誰』だ?」
「ぼくは……花京院です。ご主人様」
「お前が?まさか、違うだろう」
「いいえ、ぼくが花京院ですよ」
「嘘を吐くんじゃあねえ、そんなわけがねえだろうが」
「ご主人様、何故怒っているのですか?ぼくが何か失礼なことをいたしましたか?」
「花京院はそんな喋り方はしねえ。てめーは花京院じゃあねえだろう!」
承太郎が吼えても花京院はきょとんとしているばかりだった。
『花京院』ではないただの家具が『花京院』を名乗り、あまつさえベッドの上を陣取っているのに激怒した承太郎に殴られても、何の反応もない。
「ご主人様、どうして泣いているんですか」
「違うだろ、お前はそんな風に喋る男じゃあなかっただろう」
「ぼくが悪いんですか?ぼくのせいで泣いているんですか」
「違う……俺が悪いんだ。花京院、お前は悪くないんだ」
花京院は涙の止まらない承太郎を慰めようとした。
いつもと同じ方法で、つまりベッドに蹲り承太郎の足の付け根に手をかけ、それを口の中に導こうとした。
「止めろ!」
そこで初めて花京院は残念そうな顔をした。
「とうとうぼくに……飽きてしまいましたか?」
「何でそういうことを言うんだ。お前は俺のことなんか好きでも何でもないんだろ」
「でも、ぼくは…」
「黙れよ!!」
承太郎が太い腕を振るえば、やせ細った花京院の体はあっけなく吹き飛んだ。
承太郎ときたら殴るしか能がないものだから、とにかく自分でも何がなんだか分からない思いを拳に乗せて花京院にぶつけた。
花京院は今や、段ボールに閉じ込められてはおらず、ガムテープで縛られてもいなかった。
彼は震える両手を伸ばして承太郎を抱きしめると、ゆっくり静かに微笑んだ。
そしてそのまま息絶えた。