きみはぼくの不幸

 
幼い頃から生傷が絶えなかった。
道を歩けば車は突っ込んでくるし、家で休んでいれば花瓶が降ってくる。
体の小さい頃には、小奇麗な顔が気に入らないと上級生に絡まれたし、成長して人並み外れて大きくなった今では、その体格が気に入らないと数人がかりで取り囲まれる。
医者の世話になったことも一度や二度ではない。
彼女が出来れば―――相手のことを心から愛していた訳ではないが、迫られて、女と付き合うこと自体への興味で―――ことごとく、その日のうちにガラスの破片や野良犬や野球ボールや鉄骨や植木鉢に襲われて、逃げられる。
おかげでモテる割にはまだ何も未経験だ。
常に傷薬や包帯を持ち歩き、応急処置ばかりが上達した。
全く、何だって自分ばかりがこんな目に合うのか分からない。
だが自身には何も悪いことも後ろめたいことも無いので、怪我ばかりの体を晒しつつ、堂々と胸を張って生きていた。

 
 
 

そんな、空条承太郎、17の夏のことだ。
アメリカに住んでいる―――アメリカ人なのだから当然だ―――祖父が、エジプトの友人とやらをつれて訪ねてきた。
「承太郎、アヴドゥルは占い師じゃ。お前の超絶不幸の原因を占ってもらうといい」
「占うも何も既に、彼からは特殊な気をビンビン感じます。間違いなく何かありますよ」
「フン、胡散臭ェな。まぁ占うのはいいが、その前に一つ訂正だぜジジィ。俺は超絶不運ではあるが、不幸じゃあねえ」
そう言って、アヴドゥルがタロットカードを置いた机へと歩み寄ると、突然風が吹き込み、カードが数枚散らばった。
その内の一枚が狙ったように承太郎の手元へと飛来し、小指を切って血を滲ませた。
承太郎は今更動揺することもなく、指を咥えて血を舐め取る。
この17年、慣れに慣れた鉄の味だ。
その様子を見ていたアヴドゥルは、慎重に指を傷つけたカードを拾い上げた。
『法皇』のカードが、上下さかさまである。
「フム?それでは『君』はどうかな、JOJO?」
アヴドゥルが差し出してきたカードの束から、一枚手に取ってめくると、『星』のカードが今度は正位置だった。
「なるほど、なるほど…。実は国を出る前、偶然これを手に入れたのだが」
そう言ってアヴドゥルが取り出したものは、鎖の先に星が模られた装飾品だった。
銀よりももっと淡く、ただし力強く、白金に輝いている。
「どうやら偶然ではなく、必然だったようだな。お守りにするといい」
古ぼけて、高価そうには見えないが、安物でもないだろうそれを、受け取るのが当然の気がして、承太郎は手を出した。
こういうときは受け取った瞬間に飾りの尖った部分で手を切るのが常なのだが、今回ばかりはそんなこともなく、星は元の場所に戻るように承太郎の手に馴染んだ。

 
 
 

その夜、承太郎は占い師から貰った星飾りを見るともなしに見ていた。
男物というわけでは無いだろうが、デザインはシンプルで悪くない。
ふと思いついて、学ランの襟、本来ならばバッヂを付けるために開いているカラーの穴の部分に、鎖を通してみた。
肩から少し落ちたところに、主張しすぎない程度に、ただし十分な存在感をもって、星が輝いている。
軽い満足感を覚えて、承太郎が顔を上げると。
そこには、自分と同じ年頃の、学生服を着た少年が立っていた。

 

「誰だ、てめェ!?」
こんな時間に、自室に見知らぬ男が居る。
思わず声を荒げる承太郎に、だが相手はのんびりとした様子で自分の後ろを振り向いた。
「どこ見てやがる、てめーのことだ」
その肩に手をかけようとして、ところが、何の感触も得られずに手は相手の体をすり抜けた。
「!!?」
「えッ、えええ?!もしかして僕のこと?承太郎、僕が見えるの!?」
感情があまり顔に出ない承太郎よりも寧ろ、突如部屋に出現した、触ることの出来ない少年の方がよっぽど慌てている。
「見えるってどういうことだ。どうして俺の名前を知ってる。なんでてめー、触れねえ」
「質問は一つずつにしてくれ…といいたいところだが、それらには同じ言葉で答えられるよ。……僕が、君に憑いてる疫病神だからだ」

 

彼の名前は花京院典明。
承太郎の誕生と同時に生まれた疫病神で、承太郎からは離れられない。
彼本人が知っているのは、ただそれだけだった。
疫病神とはいっても、それは花京院が自分のことをそれ以外に表現する方法を持たないだけのようだ。
兎に角気が付いたら承太郎の近くに居て、誰にも姿は見えなくて、そして彼が承太郎の側に居ると、それだけで―――あらゆる外的不幸が承太郎へと降り注ぐのだという。
「……へその緒切るところを、医者の手が滑って腹ァ傷つけられたって聞いたが、そこからか」
「うん、僕には覚えが無いけれど、きっとそうだろうね。僕が意識的に君を襲ってるわけじゃないんだ。その…勝手にそうなっちゃうんだ。僕が居なければいいんだろうけど、どうしても、君から遠くに離れられないし……」
寂しそうに眉を寄せて目を伏せる様子に、「別に」とつい口をついて出た。
「てめーが悪意を持って俺を襲ってんじゃねえのは分かった。だったら仕方ねえだろ、無理に離れようとしなくてもいい」
そう言って承太郎は、改めて目の前に立っている、同じ日に生まれたという少年を眺めた。
亜麻色の柔らかそうな髪、黒曜の瞳、長身だが細い印象を受ける長い手足。
同じ学生服を身に着けていながら、自分は前を大きく広げているのに対し、彼は襟元まできっちりと留めている。
何もかもが対照的だと思った。
こんなやつに、生まれてから17年、ずっと見られていたとは。
プライバシーも何もあったものではない、だが何故か嫌悪感は感じなかった。
「それに、逆だとも考えられるだろ」
「逆?」
「ああ。確かに俺はもう何度も死にそうな目に合ってきた。だがまだこの通り、死にはせずにぴんぴん生きてる。でかい手術も経験したが、そのどれも原因は病気じゃあなかったし、後遺症もねえ。これはつまり、俺自身が呼び込んでる不幸から、お前が守ってくれてるんじゃねえのか」
「………そんなふうには、考えたことがなかった」
承太郎のその言い分は、単なる気休めでしかないのだろうが、それでも花京院の気を休めることは出来たようで、彼は顔を綻ばせた。
その笑顔に、何故だか訳も分からず動揺して、承太郎は目を逸らせた。
「その、なんだ……もう遅いから寝るが、お前はどうする。というかいつもどこで寝ている?」
「僕?僕はいつもは、その辺に。食事はいらないし、多分睡眠もいらないんだろうけど、することがないから寝るっていう感じで……」
「寒くねえのか」
「寒さとか暑さとか、あんまり感じないんだ」
無理をしているわけではなく、本当のことなのだろう、当然のように承太郎の部屋の隅、硬い床の上に座り込み、硬い壁に背中を預けた。
「てめー、こっち来い」
「え?あ、気を使ってくれてるのかい?大丈夫だよ、慣れてるし…」
「見てるこっちが寒い」
「で、でもそうすると、君のベッドに僕が入ることに……」
「ごちゃごちゃうるせえぞ!花京院!」
生まれて初めて名前を呼ばれて、怒鳴られたのも初めてで、花京院は身をすくめた。
「俺の横で眠るのは嫌か」
「そういうわけじゃないけど」
「だったらいいじゃあねえか。こっち来い」
半ば無理矢理納得させ、花京院をベッドへと引きずり込んだ、とはいっても彼には触れられないから、手を引いてというわけにはいかなかったが。
そのことを―――隣で眠る彼には手を出せないことを―――非常に残念に思いながら、またそう思うことに驚きながら、承太郎も落ち着かない眠りについた。

 
 
 

次の日目覚めれば、花京院はまだ横に居た。
着替えのときも食事のときも、承太郎に自分が見えている気まずさからか、所在なさげにはしていたが、遠くへ離れていくということはない。
いつでも目に付くところに、ただし出来るだけ身を引いて控えめに存在している。
ただし、そんな彼自身の性格とは裏腹に、彼の能力の方は絶好調のようで、今日もグラスは割れるし蜂には追いかけられるし、あげくに普通に歩いていたはずなのに石段から転がり落ちた。
「じ・承太郎、大丈夫かいッ!?」
「ああ」
膝がぱっくり切れて流血しているが、この程度は軽い方だ。
てきぱきと止血をして、とっとと歩き出そうと立ち上がると、今にも泣き出しそうな顔をした花京院と目が合った。
「ごめん、ごめんね……僕のせいで…」
「別に、いつものことだろ」
細かく震わせているその肩に、手を置けないのが、こちらの肩が震えるほど悔しい。
こいつに触れたい、触れてその不確かな存在をこの手に感じて、そして出来たらそのことで震えるこいつを慰めてやりたい。
そう、心から思って、そっと手を伸ばすと。
ぽん。
「…………」
「………………」
「……おい、触れたぞ」
「…なんで触れるんだ、君」
「知るか!てめえ触れるなら触れるって言いやがれ!」
「ちょっと承太郎、声が大きいよ!僕は君にしか見えてないんだからな!」
「うるせェそんなこたどうでもいい。てっめえ昨日あれだけ悶々させやがって、俺の苦労をどうしてくれる!」
「知らないよ何だよそれ!僕だってなんで触れるのか分かんな…あ」
言い合いの勢いで、花京院を引き寄せようと、承太郎が更に手をかけようとすると。
するり。
今度はあっさりすり抜け、ついでとばかりに先ほど肩に置くのに成功した腕も空を切った。
「花京院てめー、触れなくしやがったな」
「ぼっ僕がやったんじゃあないよ!大体なんでさっき触れたのか、本当に分からないんだ」
「……よし分かった花京院。なぜ触れたのか、また触れなくなったのか、こういう身近な謎から解明していけば、少しずつでもお前のことが分かってくるはずだ。お前も自分のデータ提供に協力しろよ」
「え?あ、そうか僕のことが分かれば承太郎の不幸が改善されるかもしれないものね。分かったよ協力する」
「オイ花京院、ジジィに言ったの聞いてただろう、俺は不運ではあるが全く不幸じゃあねえぜ。ところで早速だが、お前の好きなものは何だ」
「チェリーかなァ。ってこれ、何か役に立つの?」
「ああ、大いに役立つ。じゃあ好きな色は何だ」
「きらきら光る緑色が好きだ」
「ふむふむ、じゃあ次は………」

 

というわけで承太郎は、花京院の降り注ぐ愛情表現を一身に受けて傷だらけになりながら、幸せに暮らしましたとさ。

 
 
 

きみはぼくのふしあわせ
となりにいてくれるだけでしあわせさ