うでのなか

 
 
 

はじめまして、ぼくの名まえは花京院といいます。
今日は、ぼくのだんなさんをしょうかいします。
だんなさんといっても、ぼくはまだこどもだから、しょうらいのだんなさんです。
ぼくがけっこんできる年れいになるまで、まってくれているのです。
そのだんなさんというのは、今ぼくにおおいかぶさっているひとで、名まえは承太郎さんです。
承太郎さんはとても大きくて、つよくて、なんでも知っていて、そしてなにより、すごくかっこいいのです。
承太郎さんは、かおもすごくきれいだけど、ぼくがとくにすきなのは、手足です。
すごくながいんですが、ヒョロヒョロしてなくて、力づよくて、どうどうと歩くすがたが、とってもかっこいいんです。
ぼくをかこっているそのうでに、あたまをすりよせるのがすきです。
そうすると大きな手でなでてくれて、あったかいきもちになります。
ぼくはものごころついたころからずっとこのいえの中にいますが、承太郎さんはこの外も知っているそうです。
すごいなあ。
承太郎さんがいうには、このいえの外はきけんがいっぱいで、こどものぼくにはすごくあぶないから、けっして出てはいけないんだそうです。
ぼくらみたいなこどもをねらって、たべてしまうわるいやつらがたくさんいるそうです。
承太郎さんはすごく心ぱい性で、ぼくがいえから出ようとしないか、いつも見はってくれます。
でもぼくはいい子ですから、承太郎さんのうでの中から出ようとおもったことはありません。
承太郎さんはわるいやつがぼくに近づかないようにといって、その大きな手足でぼくの体をかこってしまいます。
そんなに心ぱいしなくても、ぼくはどこにも行かないし、このいえの中には、ぼくと承太郎さんしかいないのに。
ぼくのせかいは承太郎さんのうでの中、ぼくが大きくなるまで、ずっとこうだといっていました。
ぼくは、だったら大きくなったらもうここにはいられないの、とききました。
承太郎さんはわらって、いつまでもいていいんだぜ、といってくれました。
ぼくは承太郎さん以外のひとを知らないので分からないのですが、承太郎さんはほかのおとなとくらべても、とても体が大きいのだそうです。
だから、ぼくが大きくなっても、うでの中にすっぽりかくれてしまうだろうと。
それならひと安心です。
ぼくは承太郎さんとずっといっしょにいたいからです。
承太郎さんはおとななので、はつじょうというのをします。
はつじょうをしている承太郎さんは、いつものよゆうがなくなって、ほっぺたが赤くなって、ちょっとこわいんですが、ぼくはそれがすきです。
承太郎さんがはつじょうしたら、ぼくはおてつだいをします。
おてつだいをしたあとは、いつもやさしくほめてもらえるので、うれしいです。
ぼくにはまだよく分かりませんが、ぼくもはつじょうできるようになったら、おてつだいじゃなくて、本ばんのあいてをするそうです。
たのしみです。
ちゃんとうまくできたらいいなあ。
そういうと承太郎さんは、うまくできなくても大じょうぶだとわらっていってくれました。
ぼくのことがすきだから、こうびがへたでももんだいないって。
ぼくも承太郎さんのことがすきです。
ごくたまに、たまーに、このいえの外、”うみ”というものを見てみたいきもちになるのですが、承太郎さんのことがすきだから、ぼくはいつまでも、その大きく長いうでの中にかこわれているのです。

 
 
 
 
 

タカアシガニ。
整合性取れてないところとかは…見逃して…