相対論的遠距離恋愛

M県S市在住の17歳、花京院少年は現在、文通相手に恋心を抱いている。
相手はすでに成人して仕事もしている、27歳だか28歳だかの立派な男性である。
文通相手を募集する投稿欄で出会った彼、空条承太郎とは直接会ったことはない。
今どきはいくらでも写真を送る方法があるが、あえて文章のみのやり取りをしているため顔も知らない。
客観的事実として知っているのは住所と名前だけだ。
けれど恋するには十分だった。
花京院は彼の真っ直ぐな性根もそれをはっきりとは表に出さない不器用なところも、職場においては非常に有能であることもそれを鼻にかけていないところも、軽薄な態度を取らない硬派な性格もそれで失敗することも多いところも、全部を全部知っているのである。
彼も自分のことを憎からず思っていてくれるだろうが、それは年下の子供に対する父性に近いものか、あるいは対等な人間に対する友情だろう。
ほんの僅かでも恋情を感じていてくれたら嬉しいが、それには年の差が厳しいかもしれない。
年の差といっても例えば10と20の差は大きいが、30と40であればそこまででもない。
50と60など世間の誰も気にしないだろう。
花京院少年は焦らず青年になり、そして自分も立派な大人になってから深い関係に進めればいいと思っていた。

花京院は1ヶ月に1通の手紙を送っている。
返事が返ってくるのはそれよりも頻度が低い。
これは相手が忙しく働いている大人であるから仕方ないし、そもそも承太郎はかなりの遠方に住んでいるのだ。
とはいえ承太郎の出身地は花京院の住むM県からそう離れていない。
親元に住んでいる花京院と違い、承太郎の現在の住所はイコール勤務地なのだ。

さてある日ある時、花京院のところに届いた承太郎からの手紙に、変わったことが書いてあった。
しばらくの間、彼からの手紙が届かなくなるというものだ。
いわく、承太郎が花京院を忘れるだとか気にかけなくなるということではなく、手紙も書けないような激務が発生するわけでもない。
それどころか承太郎としてはいつもと同じペースで手紙を書くつもりだが、けれど『物理的な』理由で花京院が受け取る手紙が激減するということだった。
冷静に状況を伝えるその手紙の最後に、承太郎の本音らしき文章が添えられていた。
こうだ。

───
とても長い時間、君とまともに連絡を取り合えなくなるのは事実だ。
その間に別の文通相手を見つけても構わない。
今の学校だって卒業するだろうし、新しい友人や恋人を作ることもあるかもしれない。
仕事を始めたり、もしかしたら結婚することもあるだろう。
だが、どうかわたしのことを忘れないで欲しい。
ただそれだけを君に頼みたい。
───

何を、と花京院は思った。
この人は何を言うのだろう。
忘れるなんてそんなこと、望んだってできやしないのに。
けれど実際、その手紙を最後に承太郎との連絡は満足に取れなくなった。
分かっていたことでも、多感な年頃の花京院にはなかなかこたえた。
彼を支えてくれたのは友人たちだった。
花京院少年は自分の殻に閉じこもりがちな子供で、およそ親しい友人というものを作ってこなかったのだが、それも過去の話だ。
承太郎という良き理解者を得て他人に心を開くことがそんなに恐ろしいことではないと知った彼は、少しずつだが友達を作り始めたのだ。
今どきは学校や近所に気の合う友達が見つからなくても、世界中にその候補がいる。
承太郎だってその一人なのだ。
花京院はフランスとエジプトにいる友人たちに、承太郎への恋心を打ち明けた。
あるときから数年に一度しか手紙が来なくなってしまったことも。
二人はからかったりせずに花京院の話を聞いてくれて、しかも承太郎からなかなか返事が来ない理由を教えてくれた。
彼らは教養のある大人で、そのわけを知っていたのだ。
花京院はそれを聞いて、承太郎を待つ決心をますます固めた。
なぜ承太郎からの連絡がほんの少ししかないのか──それは、承太郎が花京院に近づいているからだったのだ。

空条承太郎は宇宙飛行士だった。
彼は何年も前に特殊なロケットで地球を発ち、以来非常に速い速度でとある星雲に向かって等速運動を続けていたのだ。
ご存じの方もいるだろうが、物体の動く速度には物理的な上限がある。
その上限とは光の速さだ。
光速に近い速度で動く物体は、もはや古典的なニュートン力学には従わない。
そういう物体の動きを正しく記述できる相対性理論によれば、古来絶対的なものだと思われてきた固体の大きさや、時間の流れすら観測者によって異なるのである。
地球上の、つまり花京院の時計と、ロケット内の承太郎の時計はズレが生じるのだ。
それが顕著になるのは加速度運動を行うときである。
つまり──目的の星雲に達し、調査を終え、その後ロケットが向きを変えて地球に戻るとき・・・・・・・・・・・・・・・・・・だ。
時間の流れというものは重力に影響を受ける。
そして相対性理論において加速度運動は重力とまったく同じように振る舞うのだ。
ロケットが大きく減速して向きを変え、また大きく加速して地球への復路を走り始めるとき、非常に大きな加速度、つまり重力がかかる。
そしてそこで地球の時計で大幅に時間が流れるのだ。
承太郎は忙しい調査の合間に、今までと変わりなく一ヶ月に一度のペースで手紙スペース・メールを書いていた。
しかしそれが届くまでに地球では何年も経過してしまっていたというわけだ。
承太郎が筆不精をしているわけではないことは、地球の花京院にも分かっていた。
あれから物理学を学び、大学に入り、院に進み、そして卒業して宇宙開発関係の仕事についた花京院には、この手紙の届き方の理由が理解できたのだ。
承太郎の手紙の内容が大幅に変わることはなかった。
星雲調査の詳しい内容は個人的な手紙には書けない。
書かれているのは承太郎の近況、花京院が今どうしているかという想像、宇宙と空間と時間について。
手紙の末尾に自動で挿入されている日付を見れば、彼がこれまでと同じペースで手紙をしたためていることは明白だった。
花京院は数年に一度届くそれをスマート・コンピュータから印刷して持ち歩き、大事に大事に読んだ。

そしてある日。
その日から、手紙が届く頻度が元に戻った。
ロケットが地球に向かって軌道を安定させたのだ。
二人はまた以前のように文通をするようになった。
前と違うのはその内容だ。
花京院は少年時代を終え、青年からも脱し始めていた。
手紙に書く文章も、学校で起こった出来事ではなくなった。
単に職場での出来事に変わっただけではない。
思春期を抜け年齢を重ねた花京院は、素直な気持ちで承太郎を思う言葉をかけられるようになっていた。
直接的にあなたが好きです、と書くわけではない。
承太郎の心身の健康を、調査が成果を出すことを、ロケットが無事に地球に帰り着くことを、そういう諸々を願っているということを必ず一文は手紙の中に書き込むようにしたのだ。
恋情には気づかれなくても構わない。
けれど承太郎の幸せを祈っている友が地球にいることだけは伝えたかったのだ。
そしてとうとうある日、承太郎がそろそろ地球に着くという連絡を送ってきた。
地球時間でいつになるのか、日時も明記してある。
花京院は有給を取り、ロケット・ステーションに出迎えに行くことにした。
当時の少年は、もう42歳になっていた。

ステーションで花京院は、同じく承太郎を迎えに来ていた彼の母親と会った。
他にも乗組員の出迎えらしき人々がロケットの到着を待っている。
承太郎の母は春の花のような可憐な女性で、花京院はすぐに彼女と仲良くなった。
彼女とおしゃべりしていれば、時間がすぎるのはあっという間だった。
ロケットは予定時刻にステーションに着陸し、やがて検査を済ませた乗組員たちが姿を表した。
「承太郎!おかえりなさい!」
少女のような笑顔で手を振る母に応え、軽く手を上げた男性を──承太郎を、花京院は初めて目にした。
彼は体格のいい立派な男性で、黒いつややかな髪と緑色のキラキラ光る瞳を持っていた。
その瞳が見開かれるのを花京院はみとめた。
彼もまた花京院に気づいたのだろう、迎えに行くと手紙に書いておいたから。
承太郎もまた、文通を始めたばかりの頃の若者ではなくなっていた。
彼も歳を重ね、高速移動と加速度運動による時間のズレによって42歳となったのであった。
今や同い年の彼らは、近似的に等速運動を続ける青い星の地表で見つめ合った。
彼らがこれからどんな関係になるのかは、全てが相対的なこの世界のみぞ知るところだ。