博士とぼくと屍の彼

春星さんにタイトルをもらって考えてみて書いたものです。

ぼくの名前は花京院といいます。

もちろんそれは苗字で、家族には下の名前で呼ばれています。
家族といっても、ぼくにはしばらくの間、家族と呼べる家族がいませんでした。
ぼくが8歳の夏に両親が死んでしまって、一人になってしまったのです。
「施設に入れるなんて外聞が悪い」という理由で、ぼくは親戚の家で暮らすことになりました。
けれど、ふさぎこんでいるぼくに心を砕いてまで優しく接してくれる人はおらず、それから2年の間、ぼくはあちこちの家を転々としました。
そのときもぼくは、何ヶ月か過ごした家の人から別の家に行くところでした。
「○○んとこの○○の○○方の○○なら、10年くらい前に一人っ子を亡くしたはずだから、きっと引き取ってくれる」とのことでした。
ところが、荷造り――といっても半日で終わるのですが――をしていたぼくの元に、そこでは引き取れないという返事が来たのです。
「どうするの、あの子の使ってた部屋、もう○○さんちの○○ちゃんが来るって決まってるのよ」
居間で家の人が話しているのも聞きました。
いよいよ身寄りがなくなるのか、とどこか他人ごとのように考えていたところに、ぼくを引き取ってくれるという人が現れました。
彼の名前は空条承太郎さん。
ぼくの親戚ではないのですが、昔どこそこの花京院さんにとてもお世話になったので、ということでした。
彼はお金持ちで、大学の先生という立派な仕事をしていて、今は都内のマンションに住んでいるけれど、大きなお屋敷も持っているという人でした。
ぼくの親戚たちは喜んでぼくを彼に預けました。
あとで知ったところによると、花京院の家から送られていた養育費は、雀の涙ほどもなかったそうです。
それでも彼は、そんなことぼくには一切知らせませんでした。
最初の日、彼はぼくを育てるにあたって、と二つの条件を出しました。
ひとつは、欲しい物やしたいことがあったら遠慮せずに必ず言うこと。
二つ目は、ぼくは彼のことを、「承太郎」と呼ぶこと。
大人の人を名前で、しかも呼び捨てで呼ぶなんて、と驚きましたし、抵抗もありましたが、それができなければ育てられないと言われ、ぼくは分かりましたと言っていました。
ぼくには「承太郎」と呼ばせている彼ですが、彼はぼくのことを「花京院」と呼びます。
その響きは、なぜだか他の言葉と違う色を持っている気がします。
承太郎はぼくの望みはなんでも叶えようとします。
ぼくはなかなか「これが欲しい」「あれがしたい」と言い出すことができないのですが、ちらりと何かを見たり興味を持つそぶりを見せたりすると、すぐそれを買ってしまうのです。
ぼくはパフェというものを生まれて初めて食べましたし、遊園地にも一緒に行きました。
承太郎も甘いものは好きなようで、ぼくはチョコレートのパフェを頼んだのですが、彼はハーフサイズのさくらんぼのパフェを頼みました。
ぼくのはチョコレートなのに、これでもかとさくらんぼを乗せられました。
とはいっても、四六時中承太郎と一緒にいるわけではありません。
ぼくにも小学校があるし、承太郎は仕事が忙しいのです。
長いときは何週間も帰ってこないときもあります。
承太郎とぼくが暮らすマンションには、ハウスキーパーの人がやってきて、食事を作ってくれたり掃除をしたりしてくれます。
家政婦さんといったら女の人のイメージがあったのですが、来る人は男の人ばかりで、曜日によって三人でローテーションになっています。
何かあるといけないから、だそうです。
承太郎はとてもかっこいいから、女の人だと都合が悪いことも多いのでしょう。
ハウスキーパーさんは「スピードワゴン財団です」と名乗ります。
承太郎に買ってもらったパソコンで調べてみたら、ハウスキーパーの会社というわけではなくて、全世界でいろんな事業をしている、とても大きな組織らしいのです。
その事業の中に、ハウスキーパーも入っているのでしょう。
彼らはいかにもプロという感じで、料理もとてもおいしいし、掃除も完璧なのですが、ぼくの話し相手はしてくれません。
転校した学校で友達ができたので、寂しいというわけではありませんが。
前はお下がりばかり着ていたので、家の人に言ったことはありませんが、結構いじめられていたのです。
承太郎がぼくのことをかわいがってくれているのは分かっています。
彼はまだ若いし忙しいし、子供の相手をする方法も知らないというのもあるでしょう。
ぼくは携帯電話で学校の友達と連絡が取れますし、インターネットで知り合った、趣味が同じ人(ぼくは電車が好きです)と文字でお喋りもできます。
でも、承太郎が家にいるときは、少しくらいお話がしたいと思っても、それはいけないことでしょうか?
承太郎は家では、書斎にこもって何か書いたり読んだりしていることがほとんどです。
その部屋にテレビもパソコンもあるのです。
居間にある大きなテレビは、ほとんどぼく専用になっています。
勇気を振り絞って一緒にテレビが見たいと言ったとき、承太郎は特に嫌そうな顔もせずに付き合ってくれました。
けれどごく最小限のお喋りしかしませんでしたし、番組が終わったらさっさと書斎に行ってしまいました。
ぼくが彼に邪魔だと思われているわけでないのは、本当に分かっています。
2年間ずっと邪魔にされて過ごしてきたので、それはよく分かるんです。
けれどぼくが彼に愛されているのかと聞かれたら、返事に困ってしまうでしょう。
どうしてぼくを引き取ったのか、ぼくを花京院と呼びながら、いったい誰と重ねているのか、それが分からなくて、尋ねることもできなくて、ぼくにはそれが、とてつもない不安でした。

きっかけは、なんというか、ちょっと言いにくいのですが、ぼくの精通でした。

下着を汚してしまって、少しパニックになりましたが、それが何かは知っていたので、まあそこそこ冷静に対処できたと思います。
それが来たのは夜のうちで、朝気付いたときはまだ、ハウスキーパーさんは来ていませんでした(朝ごはんは毎日作りおきがしてあります)。
ぼくが下着を洗面所で洗っていたら、そこに承太郎がやってきました。
ぼくがしていることを見て、承太郎の寝ぼけ顔は一瞬のうちにはっきりしました。
目が光ったような気さえしました。
彼は「そうか」とだけ言って、ぼくが恥ずかしい思いをする前に出て行ってくれました。
そのあと居間のほうで、何やら電話をしている声が聞こえてきました。
ぼくが下着を洗濯物かごに入れて戻ると、承太郎は「今日は学校を休みなさい」と言いました。
彼はうっすら笑っていました。
承太郎の笑顔を見るなんて、とても珍しいことです。
学校を休むほどたいそうなことなのかと少し不安になったぼくの頭を撫でながら、承太郎はこう言いました。
「大丈夫だ、花京院。たいしたことじゃあない。物置に行こう」
承太郎はぼくの望みはなんだって叶えてくれましたが、唯一の例外がこの物置で、ここは『入ってはいけない部屋』でした。
もちろん好奇心は刺激されていましたが、ぼくはここに入ろうとしたことはありませんでした。
鍵がかかっていましたし、いい子ではないと思われて、またこの家を追い出されたくないと思っていたからです。
承太郎は胸ポケットから鍵を取り出すと、物置の扉を開けました。
物置と呼ばれていましたが、薄暗いそこは、段ボールや使っていない家具などといったものは見当たりませんでした。
床に何か円のような模様が描いてあります。
承太郎は棚の上の瓶を手にとって、「これを飲め」と手渡してきました。
心臓がざわざわして気持ちが悪いくらいでしたが、ぼくは彼に逆らうことはできません。
中のドロッとした液体をのどの奥に流し込んで(味や匂いはしませんでした。暗かったので色はよく分かりません)、言われるままに円の真ん中に立ちました。
なんだか頭がぼうっとします。
承太郎は円の外で、何か日本語でない言葉をぶつぶつ呟き始めました。
目の前が白っぽく見えるのは頭がぼんやりしているからでしょうか、それとももやか何かが出ているのでしょうか。
承太郎の声は、明らかに楽しげでした。
彼は長い呪文を唱え終わると、こう言いました。
「さあ、準備は整ったぜ。降りてこいよ、花京院」
その『花京院』がぼくのことでないのは、ぽわぽわしている頭でも分かりました。
部屋の中に立ち込めるもやが一点に集まり、それはだんだん人の形になっていきました。
白っぽい……男性でしょう。
中学か高校の学生服のようなものを着ていますが、ずいぶん裾が長いです。
「花京院……!」
それを見上げる承太郎は、見たこともない笑顔を浮かべていました。
目がランランと輝いています。
「お前のために用意したんだ。さあ、この体に入って、生き返ってくれ」
「……承太郎………」
とうとう幽霊の声まで聞こえてきました。
それは天井のほうからゆっくりと、ぼくと承太郎のほうに下りてきて………

「できるかッ!」

と言って承太郎の頭をぺしりとはたきました。
その衝撃(?)でぼくの目はぱっちり覚めました。
承太郎も目をまんまるに見開いています。
幽霊は腕を組んでプンプン怒り始めました。
「アホか君は!黒魔術でぼくを現世に呼び戻そうとしたのは一万歩譲って許したとして、何の罪もない子供を生贄にしようとするんじゃあない!ホリィさんが泣くぞ!」
「だが……」
「分かった。じゃあぼくが泣くぞ」
「おれが悪かった許してくれ花京院」
ぼくは目を白黒させました。
あの承太郎に、こんなはっきりものを言う人(幽霊だけど)なんて初めて見たからです。
「うっわ、足の先まで具現化してる。どんだけぼくに執着してるんだ君は。これ、ちょっとやそっとじゃあの世に帰れないぞ」
「帰らないでくれ花京院。お前がいないとおれは駄目だ」
「この部屋とこの子を見りゃ分かるよそのくらい。前髪伸ばさせてるんじゃありません!似合ってないだろ!君、名前は?」
「花京院です」
ぼくは精一杯で答えました。
「悪いけどぼくも花京院なんだ。下の名は?」
「あ、__です」
「OK、__くんだね。承太郎、君も今日から彼のことは下の名前で呼ぶように」
「……分かった」
「分かったらさっさとこの部屋片付けるよ!はい電気つけて!__くんは顔を洗ってきなさい」
「あ、はい」
幽霊の花京院さんに言われて、ぼくは部屋を出ました。
顔を洗ってさっぱりした頭で考えたところによると、承太郎はつまり、死んだあの人を呼び戻して、ぼくに乗り移らせようとしていたということでしょうか。
ぼくはそのための生贄だったのです。
…………えっほんとに?
うわあショックだ。
マジで??
っていうかあの調子だと、もしかしてあの幽霊一緒に住むの?
え、ぼく追い出される???

そのあときっちり正座させられた承太郎に話を聞いて、ぼくはこのままこの家に住むけれど、やっぱり幽霊も一緒に暮らすということになりました。

幽霊はそのときはまだ怒っていたけど、すぐにラブラブになって二人で家の中でいちゃつき始めたので、おれは、グレた。
まあ二人から家族として愛されているのは割りと感じるので別にいいけど。
というわけでこの話は終わりだ。
付き合わせて悪かったな。