元ネタは絶蝶さんのフリー素材ツイートから。
ご本人の小説はこちらからpixivで読めます。
設定、展開、一部台詞をお借りしています。
花京院典明はお笑い芸人である。
お笑い芸人には二つしかない。
売れる芸人と売れない芸人だ。
この世は単純明快なのだ。
そして花京院は、後者だった。
花京院だってもちろん、好きで売れないわけではない。
できることならいろんな人に笑いを届け、お茶の間の癒やしになりたい。
すぐには無理でも、きっとできると思っていたのだ。
……二人でなら。
花京院の相方は、高校のクラスメイトだった。
彼とは好きな食べ物が一緒ということがきっかけで仲良くなった。
彼が口の悪いナルシストな発言をして花京院がそれに突っ込む、そのスタイルの漫才は、高校ではそこそこウケていた。
相方が、俺達なら日本中を笑わせることができると花京院を誘い、そうして二人で上京してきたのだ。
もちろん親には反対された。
だがそのときは、「いい大学に入っていい会社に就職していい嫁さんをもらって」なんて、冗談じゃあない、と思ったのだ。
二人で事務所に入ってから、色々なものにサインをした。
何がどれか分からなくなるくらいだ。
さてそれで、花京院と相方がとうとうデビュー(といっても小さな宴会の賑やかしだが)を迎えるという日のことだ。
相方が消えていた。
花京院は、彼の心配をすることはなかった。
自分の心配でいっぱいいっぱいだったからだ。
なぜならそこには、相方がたんまり借金をこしらえてとんずらしたので、保証人である花京院が負担すべしという状況だけが残されていたからである。
そうして花京院の奮闘が始まった。
始まったが、売れなかった。
この一言に尽きる。
「つまらない」という言葉は、新人担当のマネージャーからも先輩からも同期からも、そしてお客からも言われた。
君、才能ないよ。
あまりにもつまらないからか、一度だけ出ることができたローカルテレビのお笑い番組を見た両親から、いいから帰って来いと言われたこともある。
だが、まだ何も。
何も試せていないのだ。
もう少し、もう少しだけ自分の可能性を試してみたい。
そう思って花京院は、コンビニ飯を食べる生活を続けていた。
もちろんコンビニ飯など本来ならばブルジョアの食べるものである。
お笑い芸人としてまったく売れないので、花京院はコンビニのアルバイトで食いつないでいたのだ。
廃棄の弁当やパンがとてもありがたい。
そんなふうに、公私ともにまったく充実していない花京院の唯一の楽しみは、JOJOの出ている映画を見ることだった。
JOJOというのは今もっともホットなハリウッド俳優の一人で、有名雑誌の「抱かれたい男No.1」の連続記録を更新しているという男である。
なんというか、とにかくカッコいいのだ。
見た目もびっくりするくらいのイケメンなのだが、言動がまたいちいちクールでカッコいい。
生まれながらのスーパースターというやつだ。
憧れの的にしている男も女も、星の数ほどいるのだろう。
花京院もその一人だった。
あまりにも世界が違いすぎて、「ああなりたい」というよりはほとんど目の保養のような憧れであるのだが。
JOJOというのはニックネームで、本名は空条承太郎。
出演する映画はことごとく大ヒット。
よくやる役はクールでタフなヒーロー、次がサイコなシリアルキラー。
でもコメディやホームドラマなんかにも幅広く出ている、実力派の俳優だ。
花京院は彼が出ている映画は、地球を救うものから闇夜に暗躍するもの、娘の成長を見守るものから特殊メイクのイソギンチャク役のものまで、全てチェックしている。
娯楽=JOJOなのである。
セクシーなベッドシーンも割りとあるのだが、女優の方が負けてしまっているのも少なくない。
そんなスーパースターと花京院との(一方的な)出会いは、中学時代にまで遡る。
花京院はその頃、もちろんJOJOの名前は知っていたが、見た目だけのセレブ俳優だと思っていたのだ。
だから親が借りてきた、彼が出演したコメディ映画で笑いに笑って笑い転げ、評価が180度変わったのである。
あまりにも美形過ぎて、それは逆に完全なお笑い要素になっていた。
こういう「はまり役」もあるのだというのは、目からうろこだった。
その映画は何度も何度も繰り返し見た。
何回見ても本当に楽しくて、毎日毎日楽しくて、気がついたら自分に向けられていたイジメはなくなっていた。
そして花京院は、コメディアンになろうと志したのだ。
だから彼が、切羽詰まった顔の社長に、JOJOの映画のエキストラに出てくれと言われて卒倒しそうになったのも、ご理解いただけるだろう。
どうやら新しい映画に日本が舞台になるシーンがあるらしく、いくつかの事務所に声がかかっているそうなのだ。
「急な話でエキストラ登録してるタレントも動ける子が少ないの。花京院くん暇でしょ!頼んだよ!」
「ちょ、ちょちょ待ってください」
「ギャラは弾むそうだよ」
「やります!いつですか!」
「明日」
「あし……」
花京院はもう一度卒倒しそうになった。
果たして次の日、花京院が指示された場所に向かうと、他にも何人か顔を知っている売れていない芸人がちらほらいた。
まあ一番売れてないのは僕だろうけどな!
そう思いつつ花京院はニキビを掻いた。
緊張で5個もできてしまったのだ。
どうせ僕の顔なんて数ミリしか映らないから大丈夫だろう。
カメラが回り始めてからも花京院は緊張しっぱなしで、逃げ惑うシーンでは手と足が一緒に出ていた。
……まあどうせ数秒しか映らないから大丈夫だろう。
エキストラが崩れるビルから逃げるシーンは、もちろんJOJOと同じカメラで撮影されるわけではない。
彼はメインストーリーのカメラ、エキストラはエキストラのカメラなのである。
指示に従って動いて、それを何カットかやって、それでおしまいである。
だからまさか、……生で見られるとは思っていなかった。
銀幕の彼もとてもカッコいい。
が、本物は、とてつもない。
花京院は他のエキストラや野次馬たちと一緒に、彼、JOJOをガン見した。
たくさんの関係者に囲まれて遠目にしか見えないが。
イケメンってレベルじゃない、そんなちんけな言葉では表せられない。
花京院は丸い厚底眼鏡を押し上げた。
こんなことならコンタクトにしておくんだった。
だって高いんだもん。
彼の出番になるとエキストラも解散で、残念ながら演技を見ることはできなかった。
花京院はJOJOの姿を自分の脳みそに焼き付けて、余韻から覚めたら帰ろうと、人気のない公園のベンチに座り込んだ。
朝から何も食べていない。
賞味期限切れの弁当をもらってきていたが、喉を通らなかったのだ。
興奮で空腹など感じる暇もなかったが。
ふと、近くで物音がした。
木でちょうど見えなくなっているところだ。
あそこには確か、草で分かりづらい石段がある。
誰か怪我でもしていたらいけないと、花京院は立ち上がった。
そして木の影を曲がって、今度こそ腰が抜けた。
「じょっ…じょっ……!」
「人がいたのか」
「ああああし…」
「ああ、落ちていた枝で引っ掻いたようだ」
「ここここのハンカチ!使って!ください!!」
「ありがとう。君は?」
「じゃあ!!それは捨ててください!!!」
「待」
「それでは!!!」
花京院は震える足を叱咤して走り去った。
これ以上見ていたら、心臓が潰れると思ったのだ。
確かに、遠目に見るJOJOはすごくカッコよかった。
だが、目の前、1メートルも離れていないところで見る彼は。
「名乗るとか無理です神様!!でもありがとう神様!!!」
花京院は生まれて初めて神に感謝してボロアパートに逃げ帰り、隣の部屋から(本来の意味での)壁ドンをされるほど転げまわった。
そしてようやく、魔が差して渡してしまったハンカチが、もう3日は洗っていないものだと思いだしたのだった。
次の日花京院は、よく眠れなかった赤い目をして事務所に行った。
早朝バイトは初めて休んだ。
事務所に入る前に、社長秘書がものすごい形相で走り寄ってきた。
「花京院!!何したの!!!」
「え、何が」
「いいから早く!土下座で許してもらえたらいいけど!」
「えっ何が!?」
「いいから!!早く!!!」
秘書に引っ張られて、花京院は社長室に入った。
ついもう一度ドアを閉めようとしてしまい、秘書に手を思い切りはたかれた。
ほとんど痛みを感じない。
なるほどそうか、これは夢か。
「花京院」
夢にしてはいい声だなオイ!!
「なんで僕の名前を知ってるんですか!!」
「か、花京院!くん!」
「はっあああ失礼しました!私が花京院です何のご用でしょうか!」
「一緒に来てもらいたい。社長さん、よろしいでしょうね?」
「もももちろんです、煮るなり焼くなり好きにしてください」
「君もいいかな?」
「はい!!!僕にできることならなんでもします!!すみません!!!」
「よかった。では行こう」
何なんだろう僕が何をした!
このイケメンに近づいたからか!?そうかそうだな!?
そこそこの事務所の社長室を完全にしょぼいうさぎ小屋にしていたイケメンことJOJOは、肉厚の唇を持ち上げて笑みを作り、立ち上がった。
そこから先のことは、正直よく覚えていない。
まあどうせ夢だろうし。
夢の中なら飛行機に乗るのもよくあることだろうし、ものすごく長い車も、広いマンションとかもあるあるだろう。
絶世の美形にワインを飲まされた気もするが、夢なら無問題だろう。
一応未成年ですけど。
そのあたりで花京院の意識は暗転した。
覚えているのは、耳元に何やら熱い息を吹きかけられて、それに「僕も」と返したことくらいだ。
意識が現実に戻ってきて、ふるふると頭を振って、一度頬をつねってみて(今度は痛かった)、大きく深呼吸して、目を瞬いても目に映るものが変わらないのを確認して、それから花京院は驚愕した。
何に、って?
OK、1つずつ挙げていこう。
まず1つ。
顔のニキビが消えていた。
これはまあ、いいものを食べてぐっすり眠れば消えないこともないだろう。
最近そんな生活を送れていないのでなんとも言えないが。
2つ目。
体中あちこちが痛い。
切り傷とかではなく、節々が筋肉痛みたいな感じになっている。
特に尻が痛い。
なぜ尻が。
尻をさすってみて驚いた。
指になんか、白濁した液体がついてくる。
なんなのこれ。
いや見覚えはとてもあるけど。
出処は考えたくない、が、先端ではなかったとだけ言っておく。
次、3つ目。
今いる部屋には、花京院の狭い部屋の壁よりはるかに大きなテレビがある。
で、朝のニュースをやっている。
で、JOJOが映っている。
時の人だからな。
で、自分も映っている。
しかもJOJOの隣に。
………意味が分からない。
幻覚かとも思ったが、あの瓶底眼鏡と擦り切れたもっさいセーターは、昨日の朝に鏡で見たそのままだ。
意味が分からない。
大事なことなので。
それでは、4つ目。
起きた時から見ないように見ないようにとしていたことなのだが、なんていうか、そのですね、ニュースに映っている超美形のハリウッド俳優が、全裸で自分の隣に寝ているような気がするんですよ。
まさかだろ。
見ちゃいけないとは思いつつ見てしま……何この美形……肉体美……目が潰れる、逸らそう。
さて驚愕事項、最後の1つは。
でかでかとした窓から見える風景が。
あの摩天楼は。
見たことあるぞ、テレビとか、あと映画とかで。
………日本、じゃあ、ない。
「ん…起きたのか…」
「うっひゃああああぁぁぁあああぁぁ!??」
「朝から大声を出さないでもらいたい」
「すみません!すみません!!ああああ……首吊ってきます」
「君のネタは本当につまらないな」
「ぐっウ」
その言葉は花京院にとっては致命傷だった。
一瞬、自分を取り巻く状況を忘れて、ベッドに倒れこんだくらいだ。
すごいぞこのベッド、結構勢いよく倒れたのにボスンって感じじゃなくてフワリって感じだった。
「何だそれは、誘っているのか?昨日あれだけしたのに?」
「いや!?は!?何言ってるんですか!?……ちょ、ま、今何時ですか!?」
「朝の8時だ。まあ日本とは時差が大きいから、」
「じさ!?え!?バイトは!!?」
「アルバイトをしているのか?」
「当たり前でしょう!」
「やめなさい」
「は!?やめたら死にますよ!っていうかちょっと!うちに賞味期限切れた弁当が置いてあるんですけど!!」
「分かった分かった」
美丈夫は気だるげな様子で起き上がった。
慌てて両手で顔を隠す。
指の間から目が出てしまっているのは仕方ない。
うわあ、本当にいい体だ……わあ、でかい……あれが昨日、僕の………僕の?
花京院がフリーズしている間、全裸のイケメンはどこだかに電話をかけていた。
英語なので内容はよく分からないが。
それが終わると彼は振り向いて、
「私のマネージャーが綺麗にしておくので安心しなさい」
と言った。
なにそれとても安心できない。
「き、綺麗にってどういう意味ですか、じょ…じょ、様…?」
「私のことは何と呼べと言った?」
「…………覚えてません」
「あんなにしっかり教えこんだのに?もう一度おさらいをしようか?」
「じっ、承太郎……」
「それでいい」
そう言ってJOJOこと承太郎はにこりと笑った。
「はぅッ!」
「どうした」
「え、笑顔がまぶしすぎて」
「慣れてもわらないと困る」
「そんな、」
承太郎が覆いかぶさってこようとするので、花京院は「あばばばば」と変な声を上げるしかなかった。
「私としては、君の笑顔も見てみたいものだな。昨晩のような、苦悶に耐える表情もとてもよかったが」
「ちょ、近い近い近い」
「近づかないと君はよく見えないのだろう?」
「え?あ!僕の眼鏡!どこですか!」
「捨てた」
「へあっ!?」
「コンタクトレンズにするといい。君の目がよく見えるから」
「そ、そりゃあ承太郎さんみたいな綺麗な緑の目ならいいですけど!」
「君の目はとても美しい」
ひゅっ、と息を呑んだ。
彼の目は冗談を言っている目ではなかった。
本当に、心の底からそう思っているのだ。
自分の目が美しいと、この男が。
「………普通の日本人の黒目ですよ」
「光の加減によって茶色にも紫色にも見えるな。本当に美しい」
「そんな…ことは……」
「ずっと君の目を見てみたいと思っていたんだ。私の映画のエキストラに出ていただろう?」
「え、知っていたんですか?」
「知っていたも何も、君の事務所にエキストラを頼んだのは、私の指示だからな」
「へ?どうして?」
「君を近くで見てみたかったからだよ」
そう言って彼はまた、顔を近づけた。
近い近い。
このままだとぶつかる。
花京院はぎゅっときつく目を閉じた。
果たして承太郎と花京院の顔は、部分的にぶつかった。
花京院が身を固くしていると、承太郎の舌が入ってきて、花京院の舌から歯茎から頬の裏側まで、全部しっかり確かめていった。
蹂躙が終わる頃には花京院は息も絶え絶えで、口の端から唾液を垂らして力なくベッドに埋まることしかできなかった。
承太郎はそんな彼の髪を梳きながら、
「残念だが今はここまでだ。出かけるぞ」
と言った。
「出かけるって、どこに…」
「あちこちだ」
実際その日は、目まぐるしくあちこちに連れて行かれた。
どこに、と言われても、花京院にはうまく説明できない。
なんかすごい服屋とか、なんかすごい床屋とか、なんかすごい眼鏡屋とか。
どこも店員さんの身のこなしがやばかった。
花京院が服をきせかえさせられている間、承太郎は立って見ていたわけではなかった。
……お茶を飲みながら座って見ていた。
なんだこの服屋。
花京院は英語能力が残念だったので、店員さんが何を言っているのかは理解できなかったが、承太郎が微笑みながら指示を出していたので問題はないだろう。
多分。
「こんなに上機嫌な坊っちゃんは久しぶりですな」
「坊っちゃんはやめろ」
「そうですねえ、大事な人の前ですものね」
などと言い合っていたのを花京院は知らない。
コンタクトを入れて、ぱりっとした服を着せられて、ぼさぼさだった髪を切られて整えられて(前髪だけは死守した)、体中を揉みほぐされて、それから花京院は、承太郎と何やら高級そうなレストランにいた。
入口に黒い服を着た人が立っていた。
メニューとかなしに、勝手にコース料理が運ばれてくる。
大丈夫なんだろうか。
皿を運んできたのは金髪の、承太郎とは別ベクトルのイケメンだった。
彼は承太郎と花京院を見て、「マンマ・ミーア!」とか呟いていた。
どこの言葉だっけ。
「あいつが出てくるのは珍しいな」
と承太郎が言うので、コンビニパスタとこれは名前の似ている別次元のものだなと思いつつカルボナーラをもぐもぐしていた花京院は、「どうして?ですか?」と聞いた。
「あいつは若いがここの副コック長を任されているんだ。普段はずっと厨房にいる。……面白がってるんだろうな」
「あっ、僕をですね?」
「そうだろうな」
「そうですよね……明らかに場違いですもんね……服はいいの着てますけど、僕、浮きまくってますからね……」
「いや、そういう意味ではない。そのジャケットもよく似合っている」
「こんなもの、いつ代金をお返しできるか…借金まみれなのに……」
「借金?」
「あ、すみません。聞かなかったことにしてください」
「借金の保証人にされて相方に逃げられたというのは、いつものつまらないネタではなかったのか」
「どどどどうして知ってるんですか!」
「言っただろう、ずっと君を見ていたと。ローカルテレビのお笑い番組に出ていただろう?」
「み、見てたんですか」
「偶然ね」
承太郎は花京院の方に身を乗り出してきた。
「私は君を援助したいと思っている」
「へあッ!?なんでですか?」
「つまらないからだ」
「…………」
「君のつまらなさには元気をもらった。これを持っていきなさい」
そう言われて目の前に置かれたのは、ひとつの小さな箱だった。
ベルベット地がいかにも高級そうだ。
「何ですか、これ…?」
「開けてごらん」
おそるおそる手を伸ばして花京院が蓋を開けると、そこに入っていたのは光る指輪だった。
緑色の石が上品にはめ込まれている。
宝石に詳しくない花京院でも、自分の借金の10倍以上の値段がするだろうことは容易に分かった。
………100倍以上するかもしれない。
「これを持っていって、本当に苦しくなったら売るといい」
「そそそんなことはできません!」
「これは何も、意味のないプレゼントではない」
「え、そうなんですか?」
「さっきも言ったように、私は君を気に入っている。これは投資だ。君が稼げるようになったら返してくれればいい。まあ舞台は私が用意するつもりだが」
「は?」
「気にしなくていい。そういうわけだから受け取ってくれるね」
「そう…いうものなんですか…?」
「ああ。つけてみなさい」
「え、でも」
「どこかに仕舞いこんで盗まれてしまったら元も子もないだろう」
「そうか…どこが合うかな……」
「左手がいい」
「え、じゃあ左手の……あ、薬指がちょうどぴったりです」
「昨日サイズを測ったからな」
「へ?」
「なんでもない」
花京院が指輪を眺めている間に食後のデザートまで終わり、承太郎は仕事があるからと言って立ち上がった。
「さあ、君も」
「あ、はい」
花京院も立ち上がった、が足元がふらりとしてよろけることになってしまった。
すかさず承太郎がその腰を抱いて受け止める。
「す、すみません」
「私のせいだからな」
「そ、そうでしたね…はは……もう大丈夫ですよ」
「いや、何かあるといけない。このまま車まで行こう」
承太郎はそう言って、ずんずん歩いて行ってしまう。
花京院は彼に押される形で店から出た。
途端。
バババババ、と聞きなれない音と、大量の光。
花京院は「ふあッ!?」と小さく叫んで固まることになった。
何だ。恐い。
目を凝らしてみれば、それはたくさんのカメラだということが分かった。
何でだ。恐い。
いろんな人が英語でまくしたててくる。
花京院は完全に萎縮してしまっていた。
腰に回された、どっしりとして動かない腕が唯一の救いだ。
花京院はその腕の持ち主を見上げた。
承太郎は何故か、上機嫌そうに笑っている。
彼も何やら群衆に向かって喋っていたが、花京院が聞き取れたのは、「Yes, yes」という言葉だけだった。
何がだ。恐い。
ビビっている花京院を引きずるようにして、承太郎は運転手の待つ車まで歩いた。
後部座席に押し込まれて、ピッカピカの車はほとんど音もなく発進した。
「ななななんですかあれ」
「報道機関とパパラッチだ。まったく気が早い」
「き、気が早いって」
「まあ落ち着いて、ワインでも飲みなさい」
「飲みませんよ!?未成年ですからね!?」
ちなみにこの車、冷蔵庫とワインセラーまで付いている。
あわあわしている花京院とは対照的に、承太郎は鼻歌でも歌いそうな雰囲気だ。
なんなのどういうことなの。
車が滑り込んだ先は、大きな建物の駐車場だった。
ここにも黒服が何人か立っている。
車を下りて連れて行かれた部屋には、先程よりたくさんのカメラやノートを持った人たちがいた。
承太郎と花京院が入って行くと、また数えきれないほどのフラッシュが光る。
「ほら、笑って」
「無理です」
「彼らは観客だ。私達のショーのね。分かるだろう?」
そう言われて、花京院ははっとした。
そうか。
彼らを笑わせればいいのか。
………できる気がしない。
それでも花京院にも意地があるから、無理やり口の端を釣り上げて、できるだけ堂々と歩き、承太郎と一緒に椅子に座った。
……………で、これ何の会合なんです?
そこから先は、承太郎が花京院も好きなよく通る低い声で話をして、記者たちがときおり質問を入れるという流れになった。
花京院にはさっぱり分からないので、ニコニコ笑うことしかできない。
何かの質問に対して、承太郎はスーツの胸ポケットからハンカチを取り出して報道陣に見せた。
そ、それ僕の、3日洗ってないハンカチじゃないですか!?
いやもう4日か!?
いやまだ捨ててなかったのか!!?
突然承太郎が日本語で、
「左手を彼らに見せて」
と言ってきたので、言われるままにそうしたら、またバシャバシャと写真を撮られた。
なんなの。
と、花京院に向かって、
「Mr.カキョーイン、お仕事は何を?」
と声がかかった。
どうやら日本語のできる記者がいたらしい。
「彼は駆け出しのモデルです」
「なるほど」
「はッ!?いえ僕はお笑い芸人です!」
「まさかご冗談を。ならば何かお願いします」
「ええッ!?え……ええと………む、ムチャぶりをされると狂い悶えるのだ!悦びでな!!」
シ………ン……………
さっきまでの喧騒はどこにいったんだ。
ズアッてポーズまでつけたのに。
一つだけ、拍手が聞こえる。
マジか、嬉しい。
ほとんど初めてだ。どこだ。
……その拍手は、花京院の真横から響いていた。
承太郎が真顔で手を叩いている。
花京院はいたたまれなくなって、そっと彼の手を掴んで拍手をやめさせ、椅子に座り直した。
それが、とても親密な様子に見えることに、花京院は気づいていなかった。