エウリディーチェを失って

 
空条承太郎は、あの旅から帰ってきた後も、ずっとそこに捕らわれっぱなしだった。
彼はその旅で、100年にわたる宿敵を倒したが、それで終わりではなかった。
かの敵には、世界中に彼を信奉する配下がおり、承太郎の残りの人生は、それらの始末に費やされた。
だが彼本人は、そのことについて、あまり自分を不幸や不運だとは思っていなかった。
彼には目的があった。
彼はあの旅で、死者が起き上がって歩くのを見た。
首一つになったはずの者が、自然の摂理を無視して大地を闊歩するのを見た。
そしてその旅の果て、彼は自らの半身を失くした。
彼は諦めなかった。
死者が歩く方法がある。この目で見た。
その方法に詳しいはずの祖父は、しかし何かを察したのか、頑として詳細を語ろうとはしなかった。
それで、彼はあのアンデッドの足跡を追うのに精を出した。

 

祖父の隠し子に会いに行った件では、貴重なサンプルを目にすることができた。
かの宿敵によって埋め込まれた、洗脳用の肉片が暴走した例だ。
その男は確かに不死の体を得てはいたが、二目とは見られない醜悪な姿をしており、理性も失っているようだった。
しかしその男の息子が言うには、普段はただ日陰でものを食うだけの肉塊だが、それでも父親は『心』が残っているような行動を示すのだということだった。
承太郎は思案した。
彼は例の半身の美しい姿を愛してはいたが、それが失われたとしても、自分は変わらず彼を愛することができるだろう、と。
理性のない、ただ動くだけの彼だとしても、きっと問題はない。
問題は、当の彼の意識だ。
そんな状態になって、そして彼本人に意識があるならば、きっと彼はそれを許さないだろう。
そんな彼に、承太郎が全てを捧げるつもりと知れば尚更だ。
承太郎は悩んだが、考えた結果、この方法にはバツ印を付けることにした。

 

次に会ったのは、かの宿敵の息子だという少年だった。
知り合いの、信頼の置ける少年に頼んで調べてもらった際には、まだただの学生だったはずだが、時間ができて面会を申し入れた頃には、彼はなんとギャングのボスにのし上がっていた。
その事実は、承太郎を大変警戒させた。
しかし会ってみれば、彼はまっすぐな目をした気持ちのいい男で、何より(驚いたことに)別の生物の体に憑依した、承太郎の古い友人が、少年の気質を保証したのだ。
承太郎は彼に、例の矢を任せてみることにした。
この異国の土地で得られた情報は、参考になるものだった。
古い友人は死の間際、『魂を入れ替える』という能力によって、別の生き物の体を得、それでこの世にとどまっているとのことだった。
だがしかし、この方法は、もう魂が抜けてしまっている承太郎の想い人には使えない。
それに、その能力も、その状況での一度きりの能力であるらしかった。
彼はまた、少年の当時の上司が、その体が屍でありつつも動いていたという話を聞いた。
少年の『生命を生み出す』という能力と、その上司の強い思いが合致した結果だろう、というのが少年の見解だった。
顔にこそ出さなかったが、承太郎は少々落胆した。
彼の半身の魂は、つまり生きたいという強い思いを発するものは、もうこの世にはおらず、条件を満たすことができないからだ。

 

そのようにして承太郎が宿敵の因縁の片をつけるとの名目で、世界中を飛び回っているうちに、その事件は起きた。
彼が飼育していた蝶が逃げ出したのだ。
正確には、自発的に逃げ出したと見せかけて、盗まれたのだった。
彼は蝶を取り戻しに行った。
ところが、それは罠だった。
相手方の本当の標的は蝶ではなく、承太郎だったのだ。
罠にかかった彼は、そこで『意識』と『精神』を奪われた。
そして世界は暗転した。

 
 
 

次に目が覚めたとき、彼は寝台の上にいた。
すぐには状況が理解できなかった。
敵のスタンド使いに襲われ、おそらく眠っていたか、または仮死のような状態に陥った自分が、何らかの理由で意識を取り戻したのだろう、ということは想像できた。
しかし、この部屋は?
医療器具が並んだ病室というのも、彼の想像の範囲内だ。
しかしその部屋には、埃がうずたかく積もっていた。
横になっていた承太郎の体の上もそうだ。
金属の棚や器具は、例外なく錆びに覆われていた。
瓶やプラスティックの容器の類は曇り、中身を見ることができない。
いくつか置かれている書類も、ひどく黄ばんで、劣化が激しかった。
彼は硬くこわばった体を動かし、外に出てみた。
建物のほとんどの扉は枠が腐り、外れて落ちていたので、移動は容易だった。
外へと繋がるガラス扉は、割れて散らばっていたので、素足の彼は踏まないように気を付けなければならなかった。
外界は更に奇妙な様相だった。
一見平和な港町に見えるが、人っ子一人いないのだ。
どころか、野良猫も空を飛ぶ鳥も、果ては街路樹まで姿を消していた。
アスファルトは細かくひび割れていたが、普通そうなったときのように、合間から顔を出すはずの雑草は、一本も見当たらなかった。
彼はふらふらと、何かに導かれるように、潮の匂いを頼りに海を目指した。
そこは港町だったので、海には当然、多数の船が繋がれていた。
船も、全てがひどく錆び付き、帆のあるものは黒く変色して破れていた。
けれど、そんな状態なのに、あの馴染みのフジツボたちはどこにも見当たらなかった。
彼は海を覗き込んだ。
そこは暗闇だった。
小さな波がちゃぷちゃぷと動いてはいたが、魚の一尾もいなかった。
そして、彼は理解した。
皆、どこかへ行ったのだ。
彼一人をおいて。
この様子ではきっと、彼の想い人も、この数十年彼を動かしてきた想い人のむくろも、跡形もなく朽ちていることだろう。
彼は絶望を見た。
絶望は彼を覗き返した。
この、彼以外誰一人いない世界では、彼を見つめるものは、ただ絶望だけだった。

 
 
 
 
 

徐倫が承太郎のDISCを取り戻さずに世界が一巡した場合。
『加速』の結果なので、眠っている間に数百年たったというわけではないです。