1ヶ月以上も前に転校してきたけれど、直後に事故にあって入院していたという転校生は、なかなかの美人だったから、クラスの男子生徒たちは、ちらと目配せしあいながら、モノにできるか考えた。
その日の放課後までは。
夕方のHRが終わると、待っていたとばかりに数人の男子生徒が花京院典子の机を囲んだ。
「前はどこに住んでたの」やら「校舎を案内しようか」やら「授業で分からないことがあれば聞いて」やら、お決まりの台詞が飛び出してくる。
花京院はあいまいに笑いながら、しかしどの生徒のどの言葉にも頷かなかった。
これはお高いぞ、簡単には落ちないな、と当初の勢いをなくした男子生徒たちだったが、一人が「あ、でも」と声を上げた。
「花京院さん、うちの番長…っていうか、誰ともつるまねえからほんとの番長って訳じゃあないんだけど…あの人については知っといたほうがいいよ」
「ああ」
「そうだな」
一人目に同意した生徒たちが、その番長(仮)の名前を口にしようとした瞬間。
突如、廊下が騒がしくなった。
ガラリ、と教室の扉が開いた。
その向こうにいるのは、身長2メートル近い、改造制服筋骨隆々ついでに超絶美形の大男である。
その彼が、それだけで人を殺せるのではないかと噂されている目つきで、花京院典子とその周りの男子生徒たちを睨みつけた。
「ヒッ…」
「く、空条先輩…」
「やべ…」
「花京院さん、あの人がさっき言ってた…」
しかし花京院には、周りの生徒たちの言葉は耳に入っていなかった。
彼女は学校一の有名人、かの空条承太郎を目にして――
「プッ」
と噴出したのだ。
「はは、承太郎、きみ教室の扉に頭つかえてるじゃないか。入るときいつもかがんでるのか?笑えるな」
教室内の、そして廊下にいた全ての生徒たちの時が止まった。
花京院のスタンドにはそんな能力はないのだが。
「…どうでもいい。花京院、帰るぞ」
承太郎の低い声に怒気を感じ取った生徒たちは、びくりと肩を揺らした。
そして、花京院典子が、彼を笑ったことを即座に謝ったほうがいい、と考えた。
だがしかし花京院は、承太郎の不機嫌の元は自分の周りに男子生徒が群がっていることだと理解していたので、平気な顔で教科書を鞄につめていた。
けれどまた、生徒たちが凍りつくような爆弾が落とされた。
「いや、わたしはこれから職員室に行く用事があるんだ。きみは先に帰ってくれたまえ」
あのJOJOに口答えなんて…!
ギャラリーたちは自分の血の気が引くのをはっきり感じた。
それだけでも大変なのに、追加で爆弾もう一つ。
「じゃあ外で待ってるぜ」
JOJOが女生徒を待つ…だと…?
思考停止した彼らの上に、とどめの巨大爆弾が。
花京院が眉を歪めて、心底嫌そうに、
「ハァ?」
とのたまったのだ。
「嫌だよ、きみが外で待ってたりしたらどんな噂を立てられるか分かったもんじゃない」
この時点でもう既に、数ヶ月は学校中が彼女の話題で持ちきりになるのは目に見えていたが、見学者の誰もそれを指摘することはできなかった。
そうして、教科書やノートの類を全て鞄にしまい終わった花京院典子は、周りの生徒たちに外交用の笑顔を向けて、「それじゃ」と言って颯爽と教室を後にした。
扉をほとんどふさぐような承太郎の巨大な体躯には一瞥すらせず、さっさとその脇を通り抜ける。
廊下には妙に人が集まっていたが、誰も身動きひとつしていなかったので、通るのに不都合はなかった。
「……待ちな」
見学者たちがそろそろ息を吐いてもいいかと思ったその瞬間、地を這うような低音が花京院の背に投げられた。
ギャラリーたちの時は再び止まった。
9秒って長さじゃないぞ。
195センチの大男に呼び止められた花京院は、まだ何か?という顔で振り返った。
「…てめーを連れ帰らねえと、うちのババアがうるせえ」
親公認なのか!!さすがJOJO!!
周りの人々の心は一致していたが、花京院典子は気付きもせず、やれやれと肩をすくめた。
「きみねえ、母親のことを、それもあんな素敵な女性を、そういう呼び方するのはよくないって言ってるだろう」
「うるせえ。俺の勝手だろ」
「まったくきみは………あ、そうだ」
そうだって何だ花京院、頼むからもう瀕死の我々の上に爆弾やナイフを降らせるのは止めてくれ。
いつの間にか教師まで加わっていたギャラリーの祈りは、彼女には届かなかったようだ。
彼らの心に降ってきたのはロードローラーだった。
「きみがこれから先、ホリィさんのことをちゃんと『お母さん』って呼ぶなら、一緒に帰ってあげよう」
空条承太郎の顔が険しくなった。
不良どころかチンピラも裸足で逃げ出す迫力である。
恐ろしくて承太郎の顔をまともに見られない周りの面々の視線は、自然と花京院に集まった。
しかし彼女はうっすら笑みを浮かべてすらいる。
何だ彼女は人間じゃないのか。
数秒の沈黙のあと、普段よりは少々勢いのない承太郎の声が廊下に響いた。
「……………………………母さんが、てめーに礼を言いたいから、連れて来いと言ってる」
花京院典子は破顔した。
その花咲くような笑顔を見て、空条承太郎は周りの男どもの目をふさぎたい衝動に駆られたが、ロードローラーの上からラッシュを食らったギャラリーたちはもう虫の息だったので、別にその必要はなかった。
「分かった!じゃあ一緒に帰ろう。職員室の前で待っていてくれたまえ」
花京院の用事が済んでから、彼らは一緒に下校したらしいのだが、その後をつけられるほど強度な心臓を持つものは、学校にはいなかった。
次の日空条承太郎と一緒に登校してきた花京院典子は、当然のように遠巻きにされた。
彼女はまったく動じず、教室に入る前に鞄から取り出した雑巾を水道で濡らし、自分の机の上をてきぱき拭いて落書きを消して着席した。
もちろん、教科書やノートは昨日全て持ち帰っていたから、盗まれたということもない。
ついでに上履きも持って帰ったし、今も革靴をビニール袋に入れて肌身離さず持っている。
用心に越したことはないのだ。
まあしかし、こんなのは想定の範囲内だし、むしろ机と椅子が残っているのだから軽いほうだ。
花京院が自分への嫌がらせに対して、あまりにも無感動、というかさっさと無視してしまったのを見て、承太郎に憧れているらしい生徒たちが、恐る恐るといった様子で声をかけてきた。
「あの、花京院さん…もしまた、こういうことがあったら、俺らが空条先輩に…」
「止めてくれ」
彼女の返事は簡潔で力強いものだった。
「こんなどうでもいいことをいちいち聞くほど、彼も暇じゃあない。これはわたし個人の問題だ。もし一人で対処できなくなったとしても、自分で言う」
彼女の態度は凛としたものだった。
その姿に感銘を受けた生徒たちが、勝手に『空条先輩の彼女を密かに守る会』を発足させたことは、花京院の知るところではなかったが、とにもかくにも次の日から嫌がらせがぴったり止んだのに、それが一役買っていたことは間違いない。
そういうわけで、最初のビッグバンレベルのインパクトを乗り越えて、学生たちも、空条承太郎と花京院典子が一緒に登下校するのを遠くから眺めるという日常に慣れてきた。
…近付きすぎるとJOJOが怖いのだ。
顔とかオーラとか。
「僕としては、気の置けないきみと一緒にいるのは問題ないんだが、別に毎朝家まで迎えにくる必要はないんだぞ」
「俺が好きで行ってるだけだ。…てめーが自分のこと僕っつーのを周りに聞かれなくても済むしな」
「おいおい僕は対外仮面はばっちりだぞ。間違っても聞かれるもんか」
「だといいがな」
「それよりきみはどうなんだい?他に一緒にいたい人とかいないのか?」
「てめー以上のやつがいるわけねえだろ。てめーと一緒にいれば、他のやかましい女どもが寄ってこないオプションつきだしな」
「そういえばそうだね。でもそれだときみ、彼女とかできないんじゃあないか?」
「……………………………………ハァ――――――――」
「えっなんだいそのため息。もう好きな人がいるとか?」
「……いる」
「え、誰だれ?僕の知ってる人?」
「ハァアアアァ――――――――――――」
こうして平和な日々は続く。