the Rose

花京院が目覚めたとき、彼は自分が窓のない小部屋にいるのに気が付いた。
知らない部屋だ。
ただ一つだけある扉には鍵穴がついていた。
そう、鍵穴……この扉は外鍵らしい。
花京院はこの扉を開けるための鍵を持っていないし、それを望まれてもいないようだ。
やがて外側からロックを解除する音が聞こえ、扉が開いた。
入ってきたのは一人の男である。
『目覚めたか、花京院?』
『君は誰だ?』
『俺の名は承太郎。お前の“持ち主”だ。お前にはこの部屋で過ごしてもらう。外に出ることは許さない……今はまだ。欲しいものがあったら言え。何でも与えよう』
『ふーむ』
花京院は思案した。
そしてとうとうこう決めた。
『では、目が欲しい。君の姿を見るために』
『分かった』
こうして花京院には二つの目が与えられた。
その目で見る承太郎は立派な体格を持った男で、驚くほど整った顔をしていた。
『目の調子はどうだ、花京院?』
『とてもいい。特に二つあるのがいいね。左右の映像の差異から奥行きを捉えることができる』
『気に入ったようでよかったぜ。他に欲しいものはあるか?』
『ふーむ』
花京院は承太郎を見た。
彼はしっかりしたくびれのあるバランスのいいマッチョだ。
首も太い。
『では、耳が欲しい。君の声を聞くために』
『分かった』
こうして花京院には二つの耳が与えられた。
承太郎の声は深みのある落ち着いたバリトンだった。
「耳の調子はどうだ、花京院?」
『とてもいい。君の声がよく聞こえるよ。すてきな声だ』
「気に入ったようでよかったぜ。他に欲しいものはあるか?」
『ふーむ』
花京院は耳を澄ませた。
承太郎の声も素晴らしいが、かすかな呼吸音もいいものだ。
『では、喉が欲しい。君と話をするために』
「分かった」
こうして花京院には喉が与えられた。
花京院の声は承太郎のものより少しだけ高かったが、同じように落ち着いたものだった。
「喉の調子はどうだ、花京院?」
「とてもいい。これで君と直接会話ができる。画面越しではなく」
「気に入ったようでよかったぜ。他に欲しいものはあるか?」
「ふーむ」
花京院は喉の奥で小さな唸り声を作った。
それは不満を示すためのものではなく、例えるなら猫が心地よいときに鳴らす音に似ていた。
「では、腕が欲しい。君に触れられるように」
「分かった」
こうして花京院には二つの腕が与えられた。
腕の先には指がついていて、ものを掴んだり人に触れたりできるようになっていた。
承太郎の肌は弾力に富み、すべすべしていて、暖かかった。
「腕の調子はどうだ、花京院?」
「とてもいい。いつまでも君に触れていたい」
「ふーむ。ではそろそろいい頃合いかもしれねえな。他に欲しいものはあるか?」
「では、足が欲しい。君の隣に立つために。君と共に、この部屋を出ていくために」
「分かった」
こうして花京院には足が与えられた。
これで花京院は小部屋を出ることができるようになった。
花京院は承太郎の隣に立ち、世界にはじめましての挨拶をした。
世界には承太郎の仲間――精神的なそれではなく、種族的な――がたくさんいたが、花京院の仲間はまだ少ないようだった。
人々はこぞって花京院と話したがり、しかるのちに承太郎を褒めそやすのだった。
花京院は承太郎が博士だとか先生だとか呼ばれているのを初めて知った。
別れた元妻のところに一人娘がいることも初めて知った。
彼が地位も名誉も、金も家柄も、美貌も頭脳も、およそ人が羨むものはすべて持っていることも。
けれど世界は、承太郎がどんな目で、声で、指で花京院に接するのかは知らなかった。
挨拶が終わると、花京院は小部屋に戻ってきた。
ここは花京院の寝室なのだ。
「何か欲しいものはあるか?」
承太郎はいつもの通りそう尋ねた。
このとき承太郎は、花京院がこの部屋の鍵を欲するものと思っていた。
いつでも好きなときに部屋を出ていけるように。
だから承太郎のコートの内ポケットには、小さな金色の鍵が入っていた。
ところがこの日花京院は、じっと承太郎の目を見つめたあとこう言った。
「では、心が欲しい。君を愛することができるように」
この返答は承太郎にとって想定外だったために、彼はすぐに了承することができなかった。
そこで花京院は首を傾げた。
「心はもらえないのかな」
「いや……そんなことはない。お前が欲するものは何でも与えよう。だが心は、目や耳と違ってすぐに作ることができないものなんだ。植物のように種から育てていくしかない」
「では育ててくれ」
「分かった」
こうして花京院は、承太郎と共に自分の心を育てていくことになった。
いつか彼が、と承太郎は思う。
すっかり育てきった心で、愛を理解したなら。
もしも「君が欲しい」と言われたなら、彼の“持ち主”として与えないわけにはいかないし、そうしたならば自分もまた、このいとしいアンドロイドの“持ち物”になるのだろうか?
それはなんだか、とてもすてきな未来に思えた。

おしまい