俺の娘の彼氏の話

虹村億泰の未来設定夢小説です。
夢主は億泰の彼女の父親です。
元ネタは春星さんから。

「お父さん、次の土曜日って空いてる?紹介したい人がいるの」

大事な一人娘からそう言われ、思わず箸を取り落としてしまった私は悪くないと思う。
「し、紹介したいって、それ」
「まあ、億泰くん?」
「そう」
「えッッッ、知ってたのかお前」
思わぬところから相手の名前が出て、私は妻の顔を見た。
妻は特に驚いた様子もなく味噌汁を飲んでいる。
私はこうして時々、仲間はずれにされてしまうのだ。
女同士の秘密よ、などと妻は言うが、娘に彼氏ができていたことくらいは教えてくれてもよかったんじゃあないか?
「あー、その、億泰くん?というのは、いつから交際しているのかね」
「一年くらいかな」
え、長……長くない?
「まだ具体的な話は出てないけど、そろそろお父さんにも紹介しておこうかなって。で、土曜日は?空いてる?」
「あ、ああ、空いてるが」
具体的なって何だ具体的って!
けっ……とかそういうのか?
お父さんは許しませんよ!
「じゃあうちに連れてくるね」
「楽しみねえ……あなた、いつまで呆けてるの」
「呆けてなどいない」
私はブツブツ言いながら、やっと転がっていた箸を拾ったのだった。

次の土曜の昼過ぎ、私は気もそぞろに娘の恋人を待っていた。

昼食は食べた気がしなかった。
虹村億泰というその男は、杜王町の南側に住んでいるらしい。
ちょうどうちとの中間地点になる杜王駅で待ち合わせて、二人でゆっくり歩いてくるそうだ。
車を出そうかと提案したのに断られてしまった。
私が2分に1回の頻度で時計を見ながらそわそわしていたのに妻は落ち着いていて、花瓶に生けた花の角度を研究している。
全然時刻を確認していなかったのに、妻が「来たわね」と言って立ち上がった。
窓の外を見ても庭の植え込みが目隠しになっているため道は見えない。
妻は昔から妙に第六感が鋭く、隠し事が通用したためしがないのだ。
私も居ても立ってもいられず、玄関まで出迎えに行った。
扉を開けてすぐ、植え込みの向こうから人影が姿を現した。
娘と、見知らぬ男が一人。
はっきり言って、彼は――人相が、悪かった。
凶悪と言ってもいい。
緊張した顔つきであることと、私の先入観もあるだろうが。
妻は5分前と何ら変わらずニコニコしている。
私は機嫌が急速に悪くなっていくのを感じていた。
娘の恋人が非の打ち所のないハンサムではなかったから、ではなく、自分自身がそれを心のどこかで期待していたことに気付いたからだった。
娘は身も心も世界一かわいいのだから、恋人もそうあるべきだと思っていたことに、私は今このときようやく気付かされたのだった。
「二人とも玄関で待ってたの?」
娘がおかしそうに笑う。
「お父さん、彼。億泰くんだよ」
「はじめまして、虹村億泰です」
彼はガチガチに硬い声で挨拶すると頭を下げた。
娘が妻には呼びかけなかったことに、私はもちろん気付いていた。
もしかして私より先に会っていたのか?
「よく来てくれたわね。さ、入って入って!」
妻が機嫌良さそうに彼を招き入れる横で、私は唸り声のような返答しかできなかった。

虹村くんの手土産はカメユーデパートで購入したと思しき洋菓子だった。

センスのある友人に選んでもらったから大丈夫だと思います、と彼は言った。
菓子くらい自分で選べないのか、という思いは落胆や怒りの気持ちを伴っていなくて、自分がなんとか彼の粗探しをしようとしているだけだと気付くのに十分だった。
妻はとっておきの輸入もののカップを出して紅茶を入れ、虹村くんが持ってきた菓子を開けた。
紅茶によく合うフィナンシェはうまいとしか言いようがなかった。
それから何を話したかはあまり覚えていない。
虹村くんが土木の現場で働いていると聞いたことくらいだ。
私は自分の中にブルーカラーに対する軽い差別意識があったと自覚させられて、それでより一層機嫌が悪くなったのだった。
彼はその日、夕食の前に帰っていった。
その直前――どんな話の流れだったかすら覚えていないが――虹村くんは私のことを「おとうさん」と呼んだ。
私は反射的に答えていた。
「君にお義父さんと呼ばれる筋合いはない」
「ちょっと、あなた」
妻が私の脇腹をそこそこの強さでつついた。
だがもう口に出してしまった言葉を戻すことはできない。
虹村くんは一瞬寂しそうな顔を見せたが、ぱっと笑顔になった。
「そっスね、おじさん!今日は会ってくれてあざっした!」
「またいつでも来てちょうだいね」
「送ってくよ、億泰くん」
娘と彼氏の姿が再び植え込みの向こう側に消えてから、妻がじっとりとした目線を私によこしてきた。
「今日はずっと機嫌が悪かったわねぇ、あなた?」
「……仕方ないだろう、一人娘だぞ」
「一人だろうがなんだろうが関係ありません。初対面の人にそんな態度、子供っぽいわ」
「しかし」
「しかしじゃあないわよ、まったくもう。息子が欲しいとか言ってたのはどこのどなたかしら?」
「……だって!あんな男に娘をやれというのか!?」
「それを決めるのはあの子であってあたしたちじゃあないわ。もう大人なのよ。あの子が選んだ人を信じることもできないの?」
明らかに妻の言っていることが正しいことで、私はそれが分かっているからこそ、自分がわがままを言う子供にでもなった気分で唸ることしかできなかった。

今度はどこか食事にでも行きたいわね。

妻はそう言っていたし、娘もよさそうな店を探していた。
虹村くんからは霊園近くにあるイタリア料理の店がうまいと連絡があったらしい。
私は霊園近くなんて縁起の悪い店を選ぶなど非常識だとこぼして、妻と娘から総スカンを食っていた。
だがその食事会より前に、虹村くんと偶然出会うことになるとは思っていなかった。
その日は大事な商談があり、私は取引先の会社のあるあたりにいた。
話し合いが終わりさて帰ろうかと歩いていたところで、かなり大きめの地震が起こった。
私は足がすくみ、とっさに動くことができなかった。
このときはのちに甚大な被害をもたらす東日本大震災が起こるより前で、耐震の技術のみならず人々の意識も十分とは言えなかった頃だった。
「危ない!」
鋭い声がして、私の体はぐんと後方に引っ張られた。
思い出しても不思議だが、私はこのとき体全体が一定の力で引っ張られたように感じたのだ。
肩や腕を掴まれた感覚がなかった、とも言う。
その一瞬後に私が先程まで立っていた場所に植木鉢が複数落ちてきて、ひどい音を立てて砕けた。
近くのアパートのベランダから降ってきたらしい。
あそこに立ったままだったらどうなっていたか!
私は背筋が寒くなった。
「よかった、怪我はないスか?」
私のすぐ後ろで安堵の表情を浮かべていたのは、虹村くんだった。
彼はツナギを着ていた。
「あ、ああ……君が助けてくれたのか?すごいタイミングだな。このあたりで働いているのか?」
「そっス。そこの道を少し行ったところで工事してて、今はちょうど飲み物を買いに行ってたところで」
そこで虹村くんはなぜか私の右肩付近をちらりと見た。
「奥さんと仲いーんスね」
「?」
「や、なんでもないっス。気をつけて帰ってください」
虹村くんは人の良さそうな笑みを浮かべた。
私は彼の顔つきが前回より悪く見えていないことに気がついた。
確かに誰もが認めるハンサムではないが、笑うと愛嬌がある。
私は彼に別れを告げ、そこからは何事もなく帰宅した。
家に帰り着くと、妻が青い顔で駆け寄ってきた。
「あなた、大丈夫?」
「大丈夫だが……どうかしたのか?」
「さっき地震があったでしょう。あなたも巻き込まれたんじゃあなくって?」
「ああ、危ないところだったんだが、偶然虹村くんに会ってね。助けてもらったよ。腕を引かれて……うん?違うな。腕は引かれていないし、そうだとしても距離があったな。どうやって助けてくれたんだ?」
「そんなことどうでもいいわ。怪我がなくてよかった」
うっすら目に涙を浮かべながら愛する人が抱きついてきたので、私はその疑問を放り投げざるを得なかった。
大事なのは私が助かって無事に帰宅したことで、虹村くんがそのために動いてくれたということだった。

虹村くんの家が杜王町の南側にあることは知っていたが、具体的な住所は聞いていなかったし、杜王町はS市のベッドタウンであるからして、人口もそこそこ多い。

つまり私が出先でまた虹村くんと出会ったのは、これまた偶然であった。
前回は一種の制服とも言えるツナギを着ていた虹村くんだが、その日は私服だった。
派手めのTシャツの上にジャケットを着ていて、大きめのブローチがいくつかついている。
娘はずっと清楚系の服装をしていたから、若者のそういったファッションに馴染みのない私は驚いたものの、彼に似合っていることは素直に認められた。
彼は近所のスーパーのものらしきビニール袋を片手に下げていて、そこからネギや洗剤の頭が見えていた。
「あ、おじさん。どもっス。仕事っスか?」
「ああ、営業でね。この近くに住んでいるのかな」
「そっス。買い物帰りで」
「君は……ご実家住まいだったかな」
私はこの頃には珍しくない、家事をすっかり妻に任せきりの夫で、彼がスーパーの袋――おつかいと言うには内容が雑多だった――を持っているのに感心したのだ。
私など、トイレットペーパーを買ってきて欲しいと頼まれたのにキッチンペーパーを買ってしまい、妻に冷たい目を向けられたこともある。
「そっスよー。親父と二人暮らしで。早くメシ作ってやらないと」
「君が作っているのか」
「あー、うちの親父、ええと……病気で。自分のこともできないんスよ。昔は兄貴もいたんスけど、高校生の頃に死んじまって。今は霊園で眠ってます」
私は羞恥の気持ちが胸から湧き上がり、顔まで上がってくるのを感じた。
霊園の近くが非常識?
非常識は私の方だ。
「あ!よかったら晩メシ食っていきますか?大したモンは作れないんスけど」
虹村くんがニカッと明るく笑って誘ってくれた。
私はつい勢いで「ああ」と頷いて、それから娘や妻に連絡しなければならないのでは、と思い至った。
そんなタイミングで胸ポケットの携帯電話――この頃はスマホではなかったし、私の世代では持っていない人も多かったが、営業職の私は常備していたのだ――が鳴った。
小さな画面を確認すれば、自宅からのコールである。
「私だ。どうした?」
『いえ、大した用事はないのだけれど、今日の夕食のことで……』
「そのことだが、出先で偶然虹村くんに会ってね。夕飯をごちそうしてくれるらしい」
『まあ、あなたばっかりずるいわ!ねえ、億泰くんに替わってくれない?』
いつの間に下の名前で呼ぶようになったんだと思いつつ、私は電話を替わった。
そしてすぐに材料を持って妻と娘が合流することになったのだった。

タクシーでランドマークのアンジェロ岩までやってきた妻と娘は、楽しげに私の顔を見てきた。

……別に私は、娘をやるのを許したわけではないのだが。
それから案内されたのは、二階建てで庭もある一軒家――ではあったが、窓は板で打ち付けてあるし、どうも廃屋の気配がある。
隣の立派な家とは対照的だ。
「億泰くんのお父さんは日光アレルギーなんだよ。だから窓は全部封じてあるんだって。失礼なこと言わないでよ、お父さん」
娘に厳しく言われ、私は口をつぐむしかなかった。
病気の人にあれこれ言うのが失礼なことくらい、私にも分かる。
ところが虹村くんのお父上は、私は思っていたよりもずっと重病人だったのだ。
「親父、帰ったぜ~」
虹村くんのその言葉で顔を見せたお父上に、ぎょっとしてしまったのは仕方のないことだと思う。
お父上は体中に緑色の腫瘍のようなものが膨れていて、本当に失礼な言い方をするならば、人間離れ・・・・して見えたのだ。
「……ウゥ、ア」
「はいはい、すぐメシ作っから待ってな」
「こんばんは、お義父さん。お邪魔します」
「はじめまして。億泰くんには娘がいつもお世話になっておりますわ。ほら、あなたも」
「あ、ああ……この子の父です」
「ゥア」
彼は何を考えているのか読めない顔で私を見上げ、それからのそのそ奥の部屋に引っ込んでいった。
「そっちがリビングなんで、適当にテレビでも付けててください」
「私も手伝うよ、億泰くん。そういえば猫草ちゃんは?」
「今の時間なら寝てると思う」
朗らかに会話しながら虹村くんと娘がキッチンへと向かっていく。
私は興味深そうに古い調度品を見ている妻と一緒に、ところどころほつれた糸が飛び出しているソファに座った。
お父上の見た目に驚いているのは私一人のようだ。
「お前……は、この家に来たことがあるのか?」
「ないわよ。あの子は何回かあるって言ってたけどね」
妻は平気な顔でリモコンのチャンネルを触っている。
うちはまだどちらの両親も元気なもので、介護というものをしっかり考えたことはなかった。
リビングに入るとき目についた家族写真に写っていたお父上はごく普通の男性に見えた。
お兄さんは若くして亡くなったらしいし、お母上の話題が全く出てこないということは、どうなったにせよいなくなって長いということだろう。
お父上がいつからああなのかは知らないが、虹村くんはこんな若いのにずっと一人でお父上を、そして自分を支えてきたということか。
彼は私が思っていたより何倍もしっかりした男のようだ。
やがて香ばしい匂いが届いてきて、料理ができた。
メニューはなんだか洒落た洋食で、がさつな印象をまたしても裏切られることになった。
知り合いのイタリア人の料理人に教えてもらったレシピらしい。
味も申し分なく、食事の席は和やかに過ぎていった。
虹村くんのお父上も会話にこそ参加しなかったが、楽しそうにしているように見えた。
夕食が終わってお父上はまた奥の部屋に引っ込み、妻がトイレを借りたいと言って案内の虹村くんと共に席を立ち、つかの間娘と二人きりの空間になった。
「……虹村くんはしっかりした若者のようだが、なかなか大変な人生を送ってきたようだな」
「お父さん……」
「少しでも、お前が支えてあげなさい」
「お父さん!」
ぱっと花が咲くように娘が笑った。
娘のそんな笑顔を見たのは久しぶりだった。
この笑顔が泣き顔に変わるようなら、腕っぷしの強そうな虹村くん、いや億泰くんと喧嘩をすることも辞さないぞ、と私は気の早いことを思うのだった。

バス停まで歩きながら、妻と娘は流行りのドラマの話をしており、私と億泰くんは一歩後ろを歩いていた。

「今日は急に全員で押しかけて悪かったね」
「いえ、大丈夫っスよ。汚い家ですんません」
「君が一人でやっているんだろう。気にしないさ。……娘をよろしく頼むよ」
「おじさん!」
億泰くんが目を丸くする。
私はなんだか少し意地悪な気持ちになりながら、もっとその目を丸くしてやろうと思った。
「おじさんじゃあなくて、もっと別の呼び方があるだろう」
日の落ちた夜空の下でも、彼の目がきらりと光るのが分かった気がした。

「そこの扉がトイレっス」

「ありがとう、億泰くん」
わざわざトイレまで案内して欲しいと席を立たせただけれど、あたしはその扉へ向かうことはしなかった。
「この前はあの人を助けてくれてありがとう」
にっこり笑いながら、肩の上にそれ・・を呼び出す。
億泰くんはちょっと驚いた顔をしたけれど、やがて「ああ」と言って自分のそれ・・も呼び出してみせてくれた。
あたしのよりずっと大きくて、人型をしている。
「こいつが俺の『ザ・ハンド』っス。ものを“削る”能力があって、空気を削って瞬間移動みたいなこともできるんス。お義母さんには目に見えない不思議な能力があるって聞いてましたけど、それが……」
「この子のことは『ラスト・トレイン・ホーム』と呼んでるわ。この子を取り付かせた相手が“必ず家に帰る”ことができる能力なの。視界を共有してるから、出先で何が起こったか知ることもできるわ。だけどこの子自体はすごく非力で、鉛筆くらいしか動かせる力はないものだから……無事に帰ってくることは分かっていても、あのときはぞっとしたわ」
「いつも通る道じゃあなかったんスよね。だけどなんか感じるものがあって、あの日はそっちを通ったんス。こいつの能力に呼ばれたんだろーなァ」
億泰くんのザ・ハンドが猫くらいの大きさのラスト・トレイン・ホームを恐る恐るつつく。
「あの子には同じような力はないわ。だからどうか、あなたが守ってあげてね」
「もちろんス」
力強く億泰くんが頷く。
連動してザ・ハンドも頷く。
彼の目に強い決意の光が灯っているのを見て取って、あたしは微笑んだ。