万年筆と絆創膏

 

空条承太郎と花京院典明は、ベビーカーの上で出会った頃からの友人だった。
彼らは当然のように二人で砂の城を作り、手を繋いで通園し、一緒の写真に収まって小学校に上がった。
もちろん、彼らはちょくちょくお互いの家に遊びに行っていた。
承太郎は花京院の家でゲームをするのが好きだったし(というよりゲームをプレイしている花京院を見るのが、だが)、花京院は承太郎の家の庭を二人で探検するのが好きだった。
二人はとても仲が良く、片時も離れようとはしなかった。
彼らはお互いを無二の存在だと思っていた。
承太郎を見かけた花京院が彼の元へと走り寄ろうとして、あっさりつまずいて転ぶ。
すると花京院の泣き声を聞きつけた承太郎が、慌てて駆け寄ってきて、同じように転ぶ。
そうして二人で膝小僧から血を流し、泣きながら手を繋いで帰ってくると、承太郎の母親であるところの空条ホリィが、
「あらあら、まあまあ、二人とも同じ所に怪我をしちゃったの? おそろいね!」
と言って絆創膏を貼ってくれるのだ。
好奇心の権化である彼らは、ある日空条邸の書斎に忍び込んだ。
大きな机にふかふかした椅子、彼らはどきどきしながら部屋の中を見て回った。
そしてとうとう、机の上のあれらを見つけたのだ。
その片方は、黒くて立派な作りの万年筆だった。
重厚感のあるそれに、承太郎は一目で心を奪われた。
その隣に置いてあったのが、透明でキラキラ光るガラスペンであった。
ねじれた軸は光を反射してまたたき、それは花京院の心を惹いた。
「このペン、カッコいいな」
「そうだね…」
「試しに書いてみようぜ!」
「ええ? きっと怒られるよ」
「ちょっとだけだって。ちょっと書いて、メモを捨てればバレねえよ」
「うーん、じゃあ…ちょっとだけなら…」
そこで二人は、机の上にあった大きめの付箋を手に取った。
承太郎が手にした万年筆はさらさらと滑らかに、紙の上に濃淡ゆたかな文字を刻んだ。
鉛筆かボールペンしか使ったことのなかった承太郎に、それは衝撃的ですらあった。
花京院は、一度ガラスペンを紙に押し付け、何も書けないのに首をひねった。
それから二人で机の上を捜索して、ペンにつけて使うであろうインクを発見した。
おそるおそるインク瓶の蓋を開け、おそるおそるペン先をひたして、おそるおそる紙に書いてみる。
ガラスペンの凹凸のあるペン先は、そこを流れるインクをこれ以上ないほど魅力的に見せた。
「このペン、カッコいいな!」
「うん、すごくきれい」
万年筆で書いた自分の名前を満足そうに見やっていた承太郎は、しかし、花京院が手元のガラスペンをキラキラした瞳で見つめていることに気が付いた。
「そっちの透明なやつより、こっちのペンの方がカッコいいだろ」
「え、でもこっちの方がきれいだよ」
「なあ、ペンもおそろいにしようぜ」
「でもぼく、こっちのほうがすき……」
「なんでだよ」
「だって、きらきら光ってきれいだもん」
花京院がガラスのペンの緑色の細工に目を奪われているのに、承太郎の機嫌は急降下した。
せっかくカッコいいペンを見つけたのに、花京院とおそろいにできないなんて。
それからも彼らは、承太郎の家で遊ぶたびに書斎にペンを見に行ったのだが(使ったのは最初の一回だけだったが)、やっぱり花京院は、ガラスでできた美しいペンばかり眺めるのだった。
それが面白くなかった承太郎はある日、花京院が遊びに来る前に、彼が心惹かれるものを隠してしまおうと思いついた。
「承太郎、のりくん来たわよ」
という声に、
「今行く」
と答えて、承太郎は書斎へ忍び込んだ。
空条邸は非常に広いので、すぐに玄関まで行かなくても怪しまれないのだ。
それで、机に飾られているガラスペンを手に取り、―――
「承太郎?」
背後からかかった声に、承太郎は飛び上がった。
「あ、」
という間もなく、承太郎が手にしていたペンは落下した。
そして。
ガチャン!
……承太郎が振り向くと、そこには目を大きく見開いた花京院がいた。
その顔はみるみるうちに歪み、とうとうその目からぽろりと雫が垂れた。
「花京院、」
「ッ、承太郎、なんか、だいきらいっ! 絶交だ!」
承太郎がそれ以上何かを言う暇もなく花京院は走り去り、驚く母親たちに何を訴えるでもなく、ただもう帰ると繰り返すのだった。
慌ただしく花京院が帰ってしまった後、ホリィはうなだれている息子に事情を尋ねた。
承太郎は無言で書斎に案内し、そこで彼女は事の顛末を知った。
「まあ承太郎、ガラスペンを割っちゃったの? 大丈夫、怪我はない? 割れたガラスに触らなかった?」
「……大丈夫だ」
そうは言ったものの、承太郎はちっとも大丈夫ではなかった。
魂の双子たる花京院に絶交を言い渡されて、彼の心は暗い湖に深く沈んでいた。
それを見たホリィは、いつものように彼を抱きしめようとした。
けれどその日、承太郎は生まれて初めて、その手を拒んだ。
ホリィはこうして大人になっていくのね…ちょっと寂しいけど嬉しいわ、などと考えていたが、承太郎はただ一人ではらはらと涙を流すだけだった。
その晩、父親にたっぷり叱られた承太郎は、ごめんなさいと謝った後、思い切って顔を上げた。
「父さん、おれ、あのガラスのペンがほしい。それで花京院と仲直りしたい」
彼の父親、空条貞男は驚いて、もので仲直りなどと軽い気持ちで考えているのなら、とたしなめようとした。
けれど息子は、ボンドやセロテープで懸命にくっつけようとした跡のあるガラスペンを見せてこう言った。
「直そうとしたけど、だめだったんだ。だから、あのペンが売ってるところを教えてほしい。おれのおこづかいで買えるか?」
そこで貞男は、ひいきにしている文具店へ息子を連れて行ってやることにした。
「これから三ヶ月、小遣い抜きだぞ。それで来年のお年玉もなしだ」
「わかった」
承太郎には一瞬のためらいもなかった。
文具店で何本かのガラスペンを見た承太郎は、迷わず緑色の細工が流しこんであるものを選んだ。
書斎にあったペンと全く同じものではない。
けれどそれでも、きらきら光る緑色が好きだと言っていた花京院が、少しでも許してくれるなら、と思ったのだ。
店員は優しく微笑んで、
「お包みしますか?」
と尋ねた。
「無料の袋のものと、有料の箱のものがございます」
承太郎は父親を見上げて、
「四ヶ月分でいいから…」
と言った。そこで貞男も微笑んで、
「箱でお願いします」
と頼んでくれたのだった。
きらきら光るペンの箱を、大事なものしか入れない引き出しにしまって、承太郎は手紙を書いた。
「こんどの土よう日、うちにきてください」
という内容のものだ。
承太郎はそれを、花京院の下駄箱に入れた。
いつもなら、そんな手紙を受け取れば、花京院は目を輝かせてすぐに話しかけに来るというのに、今回はそれもなく、どころか以前なら教室で会えば誰より先に笑顔で駆けてきたのに、今は目が合ってもぷいと顔を逸らされる。
承太郎はどきどきしながら週末を待った。

 

さて約束の土曜日、花京院は母親に連れられてやってきたけれど、その頬はぷっくり膨れていた。
「……おてがみもらったけど、なあに」
「あの、これ」
承太郎が差し出した、上質そうな紺色の細長い箱を見て、花京院はきょとんとした。
が、慌てて険しい顔を作る。
「なにこれ」
「あけてみてくれ」
花京院は訝しみながらも箱を手に取り、品のいいリボンを解いて蓋を開けた。
その目が驚きに見開かれる。
「これ……どうしたの?」
「お、おれのおこづかい四ヶ月分だぜ」
「え! これ、承太郎が買ったの?」
「そうだぜ!」
承太郎は顔を真っ赤にした。
「花京院、これでおれと、交換日記してくれねえか?」
花京院はぱちくりした後、手に持ったガラスペンと承太郎の顔を見比べて、それからようやく、
「えっ、これ、ぼくにくれるの!?」
と叫んだ。
「あったりめーだろ」
「でも、だって、これ、承太郎のおこづかい四ヶ月分なんでしょ」
「そうだぜ。だからもらってほしいんだ」
「でも、承太郎はあの黒いペンの方が好きだって」
「黒いのはおれが使うからいーんだ!」
「でも……だって……」
そんな高級なものを受け取ってしまっていいものかと、靴下をはいた足をもじもじさせている花京院の手を、それよりかは少しだけ大きな承太郎の手が包んだ。
「だから、また仲良くしてくれねえか」
その言葉に花京院は、ぱっと顔を上げた。
「うん…! うん、ありがとう…!」
そうしてめでたく仲直りをした彼らは、ずっと仲良く過ごしましたとさ。

 
 
 
 
 

この二人は高校生になっても社会人になって同棲し始めてもずっと交換日記やってて、プロポーズも多分そこの中でやる。ついでに結婚届も挟んでおく。