果たしてどちらが夢であるか(R-18)

 
よく晴れた夏の日、花京院は優雅に空を飛んでいた。
青とも翠ともつかない翅が羽ばたいて、鱗粉が日の光にきらめく様は、まるで彼をただの昆虫ではなく、昼の眷属の精霊か何かに見せていた。
彼は自身の美しさのため、それはそれはプライドが高く、同じく綺麗なもの以外には目もくれないでいた。
特に彼が嫌悪するのは、自分では何もせず、待ち伏せで同じ虫を捕らえては食べる、醜い蜘蛛だった。
地を這うものも巣を作るものも、あの顔は何を考えているのか分からない。
あごをがちがちならして蠢く様子を、花京院は見たくも無いと思っていた。

 

そんな彼がふと枝の影を見ると、今まで目にしたこともないものが風にかすかに揺れていた。
ちらちら光る、大粒のガラス球が、見るも美しい幾何学模様に並び、お互いに反射しあって瞬きながら、見事なレースを形作っている。
これは何だろう。
ついふらふらと、引き寄せられるように近付き、無意識のうちに手を伸ばしていた。
指先がそれに触れると、りんと音が鳴ったようにさえ感じられ、水滴たちが一瞬身を震わせて空中に舞い散った。
すると銀色に輝く細い糸の図柄が現れ、それはたちまち花京院の指に絡み付いてきた。
振りほどこうとすればするほど、粘性の糸は花京院の指に、腕に、体に絡みつき、とうとう細いのに丈夫なそれに翅までも取られてしまった。
ああ、罠であったのか!
翅を大きく震わせて、この巣を壊し、なんとか逃げようと暴れるが、糸にくるまれてどんどん不自由になっていくばかり。

 

「そろそろ諦めろ、どうせ解けねえぜ」
低く響く声にはっとして振り向くと、巣の主が枝の上から花京院を見下ろしていた。
10cm以上はあるかと思われる、大きな真っ黒い蜘蛛である。
身動きの取れない花京院が睨んでみても涼しい顔、焦らすようにゆっくりと花京院の居る場所まで降りてくる。
憎憎しいことに、当然ではあるが彼は自分の糸には足を捕らわれない。
彼は厳重に拘束した花京院を軽々と担ぎ上げ、木の葉で作られた生活用の巣へと連れ込んだ。

 

どさりと乱暴に放り込まれ、ひッと声が漏れた。
そんな花京院を見下ろす、8つの緑色の目。
「今さっき、でけえトンボ食ったばかりでな、腹が膨れてるんだ」
けれどそんな言葉も、その冷たい眼光の前には、花京院を安心させることは出来なかった。
どうせ、腹が減ったのなら食われてしまうのだろう。
それまで見向きもされず放っておかれるのだろうと、ところがその予想に反して、蜘蛛は花京院へと手を伸ばしてきた。
何本もの腕で体を触られ、とうとうその手が花京院の自慢の翅へと辿り着いた。
その適度に筋肉のついた付け根を握りこみ、蜘蛛が暗い笑みを漏らした。
それを見た瞬間、花京院の心臓が一つ大きく打ち、
「……ッあああああああ!!!!」
ぶちぶちと嫌な音を立て、2枚同時に引きちぎられた。
身体的な痛みと、それ以上の、殺されると思ったときよりひどい絶望に、悲鳴を上げてのた打ち回る花京院を眺めながら、
蜘蛛はもげた羽から滴る体液を舐めている。
彼はおもむろにそれを放り捨てると、長い脚を絡めて花京院の体を起こし、背中にまだらに散る体液に舌を伸ばした。
直接感じる鋭い痛みに、たまらず高い声を上げる。
そのまま蜘蛛は、糸に縛られたままの花京院の体を床に押し付けた。
あまりの苦痛に、ふと花京院は寧ろ頭だけは冷静になり、自分を殺して喰らう相手をしっかり見てやろうという気になった。
ちゃんと目を向けてみると、蜘蛛はたいそう整った造詣をしており、何よりそのきらきら輝く小さな緑の目が、まるで星のようにさえ見え、思わずまじまじと見つめてしまった。
それに驚いたのは蜘蛛の方である。
「なんだ」
「…いや、綺麗だなと思って……。君みたいな蜘蛛に食べられるのなら、いいや。さあ、どうぞ」
そういって蝶は目を閉じ、体の力を抜いてしまった。
ところが、いつまで待っても来るべきその時が来ない。
おかしいな、と思って目を開ければ、いまだ至近距離から見つめてくる蜘蛛と目が合った。
「何……君こそ何だい?僕を食べるのではないの?」
そう言う蝶の姿が、輝く薄羽ももう無く、その体は体液にまみれているというのに、先ほどより随分と美しく見え、蜘蛛は自分でも気付かぬうちに、その口吻へと噛み付くように口付けていた。
「んっ、あ…!ふ、んぅ……き、きみ…」
「承太郎だ」
「え?」
「承太郎だ。俺のことはそう呼べ」
「じょう、たろう…っあ、なに……!?」
餌を相手に自分の名を告げ、挙句に呼ばせると、
承太郎は満足したように笑いかけ、花京院を縛っていた糸をぶちぶちと断ち切った。
自由になったにも係わらず、花京院が訳が分からないでぽかんとしていると、
「お前は?」
「え?」
「名前を聞いてる。お前はなんていう?」
「…っ花京院……」
「花京院」
低く響く声で承太郎は花京院の名を呼ぶと、その力の抜けた中脚と後脚を持ち上げ、
そのまま花京院の直腸へ、己の生殖器官をねじ込めた。
「ヒァああああああああッ!!」
あまりの異物感に、耐え切れずまた悲鳴を上げる。
蝶である花京院は、基本的に液体しか口にせず、ゆえに普段直腸を通るのも尿だけである。
柔らかい腹に硬い突起を埋め込まれ、背中もいまだ痛くって、もう何が何だか分からずに、自分に覆いかぶさってくる承太郎に、無我夢中で脚を伸ばして取りすがった。
その時に見えた承太郎の顔が、先ほどまでの余裕はどこへやら、あまりに必死に事を進めようとするので、8つの目がきらきらきらきら、輝くのに集中して、蜘蛛が動くのに合わせて体を揺すり、花京院は知らぬうちに意識を失っていた。

 

目が覚めると、花京院は薬草の上に寝ていた。
葉っぱは噛みしだかれて柔らかくなっており、体に優しいと同時にその成分が染み出しやすくなっていた。
「起きたか」
「じょう、っう…」
体を起こそうとすると、節々がズキズキ痛み、思わず声が漏れた。
「無理に起きなくていい」
花京院の方を承太郎が覗き込むのにあわせて、花京院に影がかかった。
目だけ動かしてみると、蜘蛛は色鮮やかな花を手折って持っていた。
花粉と蜜の重さで首をかしげ、甘い匂いを巣に充満させている。
そんなもの今まで手にしたことはなかっただろうに、空を映したような青の花弁と真黒な蜘蛛の姿がひどく似合って見え、花京院は目を奪われた。
承太郎はそれを、随分ぎこちなく花京院へと向けた。
「……食べてくれ」
「なんで……」
「食べて欲しいからだ。腹が減っているだろう、あんな…後では」
「僕を…どうするつもり?餌を与えて生かしておいて、またあんなことするつもりかい」
「違う!ッ花京院…花京院、どうか俺とずっと一緒に居て欲しい。あんな無理矢理はもうしない。側に居てくれるだけでいい、餌は俺がとってくる」
声を荒げて詰め寄った承太郎が、ふと花京院の触覚に目を留めた。
襲われたときだろう、片方が完全に折れてしまい、力なく垂れ下がっている。
承太郎が目をやっているのに気付き、花京院もそれがもう機能しなくなっているのに気が付いた。
「……駄目だ、何も感じない。動きもしない。完全に役立たずだな」
「だが顔にかかる様子が綺麗だ」
そう言って、承太郎はうっとりとさえ形容できそうな表情で花京院を見つめた。
「綺麗」という言葉は花京院にとっては馴染みのものだった。
けれどそれは天から授かった、あの輝く翅に対しての賛辞だ。
こんなみっともないものに対して顔をほころばせる、けれど律儀に、こちらに手を伸ばしてはこない蜘蛛が、なんだか恐ろしいものどころか、寧ろ可愛らしくさえ見えてきてしまって、花京院はくすりと笑みを漏らした。
初めて見る花京院の笑顔に、承太郎がぽかんと見とれていると、ぐいと花弁を引っ張られた。
「蜜を吸うから、もっとこちらに傾げてくれないか?……承太郎」

 

それからずっと、翅をもがれた蝶は蜘蛛の側に居て、蜘蛛は蝶のために花を摘んできて、幸せに過ごしましたとさ。