空条さんお届けものです(R-15)

 
自宅の呼び鈴の音など、聞いたのはいつぶりだろうか。
普通に暮らしていればそんなにおかしなことでもないだろうに、あまりに人付き合いが悪いためか、めったに聞かないそれに不審さえ覚えてしまい、「スピードワゴン通信販売」という言葉を耳にしてようやく警戒心を解く。
そうだ、食器洗い機を購入したのだ。
男の一人暮らし、しかもまあまあ仕事の忙しい者となると、家事が疎かになるのは想像に難くない。
俺もそんな一人で、シンクに溜まった皿を見て、こいつはいけないとやっと気がついた。
宅配便の男が、ずいぶんでかい段ボールを担ぎ込んでくる。
こんなにでかかったか、と一瞬首を傾げたが、実際に食器洗い機というものを目にした事がない――店舗に赴く暇さえなかったので通販で買ったのだ――ので、こんなもんかとも思う。
受け取り証明書にも『家庭用ロボット』と書いてあるので間違いはないだろう。
昨今の食器洗い機というのは、ただ洗剤を含んだ水をかき混ぜるだけでなく、自分で皿を並べたり汚れ具合を調べたり食器棚に戻したりするので、商品カテゴリは『ロボット』となっている。
そんな機能がついているなら、こんなサイズにもなるんだろう。
書類にサインして業者を帰らせ、早速梱包を開き始めた。
過剰包装は嫌いな方だが、精密機械を運送するなら仕方がないか、とクッション材を掻き分けて包み紙を開いた。
分厚い包装紙の中から現れたのは、随分長い睫毛を伏せて目を閉じている、少年だった。

 

「………は?」
何故に人間が段ボールに詰め込まれているのか、と錯覚したが、よく見れば呼吸をしていない。
こいつは人型のロボットだ。
だがしかし、俺が注文したのは普通の、箱型の食器洗い機だったはず。
実物は見て居ないが流石に写真は見た。
……商品番号を間違えたか………。
仕方がない、とっとと返品して正しい商品を送ってもらおう、と少年――に見えるロボット――をもう一度包もうと手を動かすと、偶然指が彼の頬に触れた。
ぶぅん、と、微かな起動音。
やべえ、と思う間もなく、少年がゆっくりと目を開けた。
印象的な、ヘーゼルの瞳だった。

 
 
 
 

俺の家に花京院が届いてから一週間が経過した。
花京院と言うのは通信販売で購入した家庭用ロボットの名前だ。
本当は箱型の食器洗い機を買ったつもりだったのだが、何を間違えたのか人型のロボットが届いたのだ。
俺だって、使用前に返品しようと思ったのだが。
家に到着したその日、俺が偶然触れてしまった指によって起動した花京院は、俺を二つのレンズでとらえてこう言った。
「初めまして、マスター。僕の名はJXK003-017です。2023年製造家庭用ロボット、日本製、会話用名称は花京院と申します。どうぞよろしくお願いします」
「ま、待て、俺はお前みたいな人型のロボットを買ったつもりはねえ。何かの手違いだ。俺はお前を返品するつもりでいる。だから俺はお前のマスターなんかじゃあねえ」
「そうですか、分かりました。しかし、僕のマスターはあなたです」
「どういうことだ?……俺の専門は海洋生物だ。最近のロボットには詳しくねえ。説明してくれねえか」
「はい。僕の型番のロボットは、初期起動の際にマスター登録を一度だけ行います。これは僕が破壊されるまで消去も上書きもできません。臨時に管理者権限を譲渡することはできますが、僕のマスターはあなた一人です」
「何てこった……じゃあ、俺がお前を返品したら…お前はどうなるんだ?」
「中古品として売りに出されるでしょうが、管理者権限のロックされた人型ロボットはまず売れないでしょうね。単純労働にも向きませんから、十中八九廃棄されるでしょう」
「………分かった。返品はしねえ、うちにいろ」
「はい、分かりました」

 

そういうわけで、その花京院というロボットは、俺の家で家事をすることになった。
救いだったのは、食器洗い機を新たに買いなおす必要はなかったということだ。
花京院には皿洗いや掃除などの基本的な家事プログラムが一通り備わっていた。
食事も作れると言ったが、レシピはごく少数だった。
「スティール・カンパニー製SDCシリーズ、あるいはD.I.O.社製N-Mシリーズの家事ソフトをインストールしてくだされば、レシピの幅や可能な家事も増えます」
花京院はそう言った。
どうやらこいつは、メイドロボットであるらしい。
金には困っていなかった、というよりは金の使い道に困っていた俺には、花京院に色々なソフトを買い与えるという趣味ができた。
金をかければかけるだけ、確実に反応が返ってくる。
今まで内心馬鹿にしていたものだが、人型ロボットに金をかける連中の気持ちが今ではよく分かる。
これはとても楽しい、そしてキリがない。
俺は家事ソフトばかりでなく、語彙ソフトや表情ソフトなんかも買いあさった。
そして「承太郎ッ、君、使ったタオルは元の場所に戻しておいてくれって何度言ったら分かるんだい!」などと彼が声を荒げるのに満足するようになっていった。
鬱陶しいタイプは苦手だというのに、そう、俺は花京院に愛着を抱き始めていたのだ。

 
 
 
 

花京院が来てから一ヶ月が経っていた。
花京院はメイドロボットとしてとても優秀というわけではなかったが、俺が飽きもせず様々なソフトウェアを買い与えるためにかなりのスキルを持ったロボットになっていた。
花京院のいない暮らしなど、今更考えられない。
こいつが家に来るまで、俺はどうやって生きていたのだろう?
それはきっと、ただ家事をする存在というだけの意味ではなくて―――
「承太郎、コーヒーが入ったよ。少し休憩にしたらどうだい?」
「そうだな、ありがとう」
花京院に声をかけられて、俺は論文を書いていた手を止め、気分転換に居間へと向かった。
皿を洗う花京院を見るともなしに眺めながら一息つく。
この前買ってやったグリーンのエプロンが、よく似合う。
ふと、視界の端に通販のカタログが映った。
一ヶ月前、食器洗い機(と思って花京院)を注文したカタログだ。
そうか、今月号が出たのか。
家事ロボットは花京院一人で間に合っているから、特に欲しいものはない。
花京院が皿をすすぐ水の音が聞こえる。
そういえば、俺は花京院についてほとんど何も知らない。
いや、料理が上手なことも、スポーツ観戦が好きなことも、レースゲームがうまいことも、笑うと広い口の端が上がってとても可愛いこともよく知っている。
だが『ロボットとしての』花京院がどういうものだか、それは、家に来てすぐ花京院が自分で喋ったこと以外の情報を持たない。
皿を整頓するかちゃかちゃという音が聞こえる。
俺はカタログを広げ、家庭用ロボットのページをめくった。
様々なメイドロボットが紹介されている。
だがそのほとんどが親しみやすい女性型で、数少ない男性型のものは、防犯上の都合だろう、屈強で体格のいいものばかりだ。
花京院のような見た目のものは見つからない。
おやおかしいな、そう思って更にページをめくる、その手があるページで止まった。
そこには先ほどと同じように女性型の人型ロボットが並んでいる。
違うのは、その用途だ。
そして、ああ、そして俺は、そのページに、花京院と同じ型番のロボットを見つけてしまった。
皿を食器棚に片付ける花京院の背中が見える。
腰の上ではエプロンの紐のリボンが揺れている。
白いうなじの上では赤茶色の髪が揺れている。
同じ髪の色のロボットのサンプルが印刷されたカタログには、はっきりと『R18 愛玩用』と記されていた。
R18で愛玩用というのは、つまり、そういうことだ。
花京院はメイドロボットなどではなかったのだ。
皿を片付け終わり、こちらを向いた花京院と目が合う。
「どうした?」
不思議そうに尋ねてくるその目も、口も、本来ならもっと他のことに使われるべきものなのだ。
たとえば、そう、たとえば――……
「本当にどうしたんだい、承太郎? 熱でもあるのかい?」
「いッ、いや、何でもねえ。そうだ、論文の続きを書かねえと」
俺はそう言って目を逸らし、カタログを伏せて慌てて部屋へと戻った。

 

花京院が『愛玩用』というのは、その日の午後いっぱいずっと俺の頭にこびりつき、論文を書く手を止めてしまった。
あいつの本当の仕事は皿洗いなどではなかったのだ。
俺がもし注文番号を間違えていなければ、あいつは今頃誰か他の男だか女だかの元に行き、夜の仕事に従事していたのだ。
あの、よく笑う広い口で誰かの名を呼び、忙しく駆け回って家中を綺麗にするあの足は、その誰かのために開かれて―――ノック!
「ッ何だ?」
「夕食の用意ができたよ。ここへ持って来ようか?」
「そうか、もうそんな時間か。……いや、居間へ行こう」
そして沈黙の食卓。
花京院が来てから、食卓にはいつも花が咲いていたというのに。
まるでその前の、口下手で話題の一つもないつまらない男に戻ってしまったかのようだ。
「……そういえば、ここに置いてあったカタログはどうした?」
「他のダイレクトメールと一緒に捨ててしまったよ。必要だったかい?」
「いや、いいんだ。捨てたのか……それならいいんだ」
花京院はロボットであるから、食物をとる必要はない。
だが俺は、好んで彼を同じ卓に座らせていた。
いつもは居心地良いと感じる花京院の視線が、その日だけは痛かった。

 

夕食後もいつものように、花京院が用意した風呂に入り、花京院が整えたベッドに横になった。
普段なら入浴後も一仕事するのだが、今日はもう眠ってしまいたかった。
離婚してからは花京院が来るまでずっと一人で暮らしてきた俺だが、大柄なのもあり、狭い部屋は好まない。
そこで今の家も、一人暮らしにしては少々広く部屋数も多いものだった。
それで、使っていない空き部屋があったから、その一室を花京院に使わせていた。
俺が寝入る夜中は、花京院にも仕事がなくなるから、その部屋でもっぱら自分の充電をして過ごしているはずだ。
だから、こうして夕食も風呂も終わった後に彼が俺の部屋へ来るのは初めてのことだった。
「何か、用か?」
「起きなくてもいいよ、そのままで。僕は『同居人』などではなく、便利な君のロボットなのだからね」
「だが、俺がそうしたいんだ。お前と話をするときは、きちんと起きて、目を合わせて話したいと思っている」
「その割りに、今日の夕食の席では随分ぎこちなかったじゃあないか?」
「それは……」
「隠さなくてもいい。君、カタログを見たんだろう。そして知ったんだろう、僕の本当の仕事をさ」
「お前、」
「そうだ、僕は愛玩用途の家庭用ロボット、つまり有体に言えばセクサロイドなんだ」
花京院の目には奇妙なほど感情がなかった。
当然といえば当然か、彼は、いや、これはロボットなのだから。
だが俺の目には、よく笑いよく喋る、明るい少年に見えていたのだ。
「君、僕が来てから一ヶ月、『そういうこと』をしていないだろう。一人でするような素振りがあれば手伝おうと思っていたのに……無性愛者なのか?」
「そういう…わけじゃあねえ。離婚して親権もないが、娘もいる」
「だったら!いくら淡白なほうだからって、一ヶ月もしないなんて体に悪いぞ」
「いや、だが」
実際、結婚生活というものに失敗してから、そういうことを考えること自体ほとんどなくなっていた。
久しぶりに考えたのが、欲情したのが、今日の午後――お前に対してだなんて、言えるものか!
「ああ、でも、ということは男の体には興味がないか。君もつくづく運が悪いな。僕がもっと一般的な、女性型だったらよかったのにね」
「そんなこと!俺はお前を買ってよかったと思ってる」
「君は優しいな。でも、僕じゃあ興奮しないだろう?」
「いや、それは」
「僕に同情するのなら、試してみるかい?僕はこのために生まれたのだから」
そう言うと彼は、ベッドの上、俺の体へとのしかかってきた。
そして仕事をした。
彼の初期起動は俺の指によるものだったから、彼にとってはその夜が『初めて』だったはずだが、彼の仕事ぶりはそんなことを感じさせないものだった。
彼の口も、手も、足も、そしてその場所も、正しく彼の存在意義のために使われた。
そしてそれは、俺にとって至福の時間だった。

 
 
 
 

次の日俺は、包丁がリズミカルにまな板の上で踊るトントンという音で目が覚めた。
俺が体を起こしたのに気付いたらしい花京院が、寝室の扉から顔を覗かせた。
「おはよう、承太郎。朝食はもうすぐできるよ。シャワーを浴びるかい?」
「…いや、いい」
その顔にも声にも、昨晩の名残などは微塵も見られない。
あれだけ情欲を貪ったというのに――、いや、それは俺一人か?
俺が凝視しているのに気が付いたのか、花京院はふっと息を吐くと、「気持ちよかった?」と尋ねてきた。
「え、」
「だから、昨日。気持ちよかったかどうか、感想を聞いてるんだよ」
「………よかった」
「そう、それはよかった。あれが僕の本来の仕事だからね。今までが間違ってたんだ。これでやっと正しい関係になることができた」
「俺は!……あんなことをするためにお前を買ったわけじゃあねえ」
「知ってるよ。君が欲しかったのは食器洗い機だろう。でも、あれが僕の存在価値だ。君はその存在価値を否定するのかい?」
「そういうわけじゃあねえ。ただ、俺は……」
花京院の目には、何の感情も浮かんでいなかった。
まるで、本当にただ性欲処理のためだけに存在する機械になってしまったかのようだ。
もっとも、普段の彼が感情を持っていると思うのすら、俺のエゴなのかもしれない。
つまり、彼に感情を持っていて欲しい、という。
だが彼が誰からも命じられず自発的に笑ったり泣いたりするならば、それを『感情』と呼んでいけないわけがあろうか?
―――俺は前にも、彼のこんな表情を見たことがある。
俺が彼に『感情』を与える前、この家に来てすぐ、俺が彼を返品するならば自分は廃棄されるだろうと言ったときのことだ。
それに昨晩、俺の部屋で、自分がセクサロイドだと告げたとき!
あれが彼の素だとしたら?
何の感慨も無さそうに「僕で反応してもらえてよかったよ」などと言う彼の、これが素だとしたら?
電子音のする心の奥で、一人で震えているのだとしたら?
「なあ、花京院。お前の本来の用途は分かった。だがそれは、俺にとっちゃ大した問題じゃあねえ」
「……何?」
「お前がセクサロイドだろうがメイドロボットだろうが、あるいは人間だろうが、お前を大事に思う気持ちに変わりはねえ。それに、昨日は…あんな形になっちまったが、今思えばお前がただのメイドロボットだったとしても、俺はいつかああいうことをしていたと思うぜ」
「よく…分からない。どういうこと?」
「やれやれだぜ、まだ分からねえか? 俺は、お前のことが好きだってことだ。お前が何者であろうとな」
彼は大きく目を開いた――ああ、俺の知らない彼の表情を見つけるのは、こんなにも楽しい。
「君、それ、本気で言ってるの?」
「ああ本気だぜ。好きだから、ああいうこともしたいと思う、が…『仕事』だと思ってやるのは勘弁してくれねえか」
「…………ばか」
そう言って、彼はやっと笑った。
それから?
末永く幸せに暮らしました、に決まっているだろう?