Happy End (1)You are mine.

 
空条承太郎は、所謂いいところのお坊ちゃんである。
祖父はニューヨークの不動産王だし、父親は有名なミュージシャンで、かつ親たちは彼のために金を使うことを少しも躊躇しない人種であった。
そこで彼が一人暮らしを始める際には、彼の要望どおり広くて立派で頑丈で、セキュリティの万全な部屋を買い与えた。
普通だったら社会人だって何年も働かないと手に入れられないようなマンションだ。
当然、隣の部屋との間には分厚い壁があって、エレキギターは流石に無理でも人ひとりの悲鳴くらいは絶対に通さないようなつくりになっていた。
その立派な部屋には立派な押入れがあって、彼はその中に置きっぱなしの家具ではないタイプの道具たちを入れていた。
その一つがこの段ボール箱で、中には承太郎の宝物が入っている。
とはいえ相手はモノだから、お前は俺の宝物だなんて告げたことはない。
蓋を開ければ険しい表情で睨みつけてくるので、思わず笑ってしまう。
後ろ手に何重もガムテープで縛られて、口だって塞がれているというのに、随分と高慢だ。
首筋を掴んで箱から取り出すと、真っ白な足が見えた。
もう消えかけているけれど、太ももには正の字で何かを数えていた跡がある。
それが何かは、同じく太ももに固まっている白い飛沫から一目瞭然だ。
箱から出ると足を地に着けたがったがそれは許さず、無造作に肩に抱え上げると食卓へと運んでいった。

 

勿論、承太郎は一人暮らしであるから、食卓に乗る皿は一人分である。
荷物を床へ降ろし、自分はちゃんと席について、口を覆っていたガムテープを剥がしてやった。
途端に荒い息をつくが、何か喋ることはない。
以前「こんなことはもう止めてくれ、承太郎」と訴えたところ、「俺の所有物のくせに勝手に喋ってんじゃねえ」と強かに殴られたことがあるからだ。
用意された皿は一人分だが、その上に盛られている食事は一人分にしては量が多い。
承太郎は箸を自分の口へ運ぶのと交互に、隣に置いた物へも差し出してやる。
声をかけることはないが、手付きは随分と優しい。
機嫌が悪い日には――例えば昨晩、自分の物が自分に反抗を見せたときなど――運よく食事が出た場合でも、床に投げられたパンなどを直接屈みこんで食べなければならない。
それを厭う理由は、そんなのは人間の扱いではないからだ。
決してただ食べにくいからというだけの理由ではない。
そう自分に言い聞かせなければならないほどには、花京院の感覚は麻痺し始めていた。

 

承太郎が花京院を指して何か言うときは、大概「俺の物」とか「所有物」だとかいう言葉を使われたが、「玩具」だとか、もっと有体に「性欲処理用」と呼ばれたこともあった。
花京院が口を開くことを許可されるのは、それが不可能であるときだけだ。
生理的な衝動として、例えば尿意を催したときなどは、震える足と雫の溜まった瞳で分かるだろうに、「何がしたいのか言われなくては分からない」と笑われる。
当然花京院の口にはしっかりとガムテープが貼られていて、篭った声のひとつも出せない。
嬉々として下半身を踏まれる――しかも、いつもより弱く――オプション付きだ。
承太郎は花京院が苦しむ表情を見て楽しんでいるけれど、花京院を苦しめるのが目的ではない。
花京院が完全に自分のモノであると、そう確認できないことには、彼に安らぎはない。
けれど同時に、いつまでたっても花京院が自分の元に堕ちてこないことに、安堵を感じてもいた。
その根本にあるのは、ただの恋心だ。
大きく歪んで、澱んでさえいるけれど、それでもやっぱり、正体は単なる恋心だ。
そしてそれこそが、花京院が恐れて拒否したものだった。

 
 
 

花京院が承太郎にそれを告げられたのは、リハビリもほとんど終わって、やっと自分の思うように体を動かすことができ始めた頃だった。
身体のあちこちに他人の肉や骨を入れて、それが原因で生まれたときから一緒だった相方が姿を見せなくなっていて、本当に心細かった。
DIOを倒すという目的を達して、その駒の一つになるという役割も終わってしまった花京院に、けれど承太郎が親しくしてくれるのを心から喜んでいた。
花京院が腹に穴をあけてから、それが塞がるまでにはかなりの時間が必要で、目を覚ます可能性は非常に低いだろうというのが当時の医師の見解だった。
目覚めない息子を帰しても気の毒だろうと両親には行方不明のままということににされていたらしく、世界に一人だと感じられた花京院の、横に承太郎は居てくれた。
それを花京院は篤い友情だと思っていたけれど、承太郎にとっては違ったのだ。
どういう意味でお前をどう思っている、と、はっきり伝えられたときに感じたのは、生理的な嫌悪感だった。
「君のことは友達としてとても好きだ。尊敬しているし、君が僕に好意を抱いてくれているのは嬉しい。でも…そういう目で見られていたなんて、気持ち悪い」
そう言って、承太郎から身を引こうとした。
友達に戻れたらいいと思いながら、けれど今は、と距離を置こうとした。
それがいけなかった。
花京院本人は眠っていただけだったが、承太郎にとって彼が目覚めない数ヶ月は地獄だった。
「また俺から遠ざかるつもりか」と彼は言った。
「逃がさねえぞ」とも。
「もう、」と、「もう二度と、離さねえ」と、痛むほどに腕を握られて、暗い瞳で見下ろされて、けれど何故だかその顔が、くしゃりと崩れて泣いてしまいそうにも見えたから、震えるだけで抵抗できなかった。
そうして体の自由を奪われて、箱に詰められて、承太郎が一人暮らしをする際には引越しの荷物として――運んだのは承太郎だったが――扱われ、今は承太郎専用の玩具として彼の部屋の押入れに仕舞われている。

 
 
この生活に花京院の自由は無い。
意思も無い。
だけれどそれは当然で、何故なら花京院は承太郎の所有物だからだ。
というのが承太郎から聞かされている全てだ。
花京院は承太郎の物であるので、主人の許可もなく喋ったり、動いたり、泣いたりしてはいけない。
けれど一番叱られるのは、承太郎以外のものに興味を示した時だった。
相手をすべき夜以外はずっと箱に入れられている日もあるが、そうではなく承太郎の横に置かれたり、連れて運ばれる日もある。
そんな時でも、承太郎の見ている新聞やテレビなどを覗き込んではいけない。
窓の外にでも目をやろうものなら、ひどく罵倒され、殴られ、蹴られ、数日は水しか与えてもらえない。
そんな風に扱われ、殴られて腫らした目もそのままに花京院が気を失って倒れこんでしまったときだけ、それでもほんのたまにだが、承太郎が正気を取り戻すことがあった。
震える手で拘束を全て解き、青ざめた顔で久しく、本当に久しく花京院の名を呼ぶ。
いつもだったら濡れたタオルで体を拭かれる程度なのを、抱きかかえて風呂に入れてくれるし、きちんとした服を着せてくれて、花京院のために一人分の食事を用意してくれる。
何度も何度も名を呼びながら何か喋ってくれと切に訴えるが、何日も声を出すことさえない花京院がそれに応えるのは至難の業だ。
人間らしい扱いを受けながら――それでも外には出られないし、そもそもそんな状態でも恐ろしくて頼んでみたことがない――夜になれば、承太郎に抱きかかえられながら同じベッドで眠る。
彼の腕に囚われている状況にはもうほとんど麻痺してしまっているが、その腕がこんなに優しくて、ベッドにしてもその柔らかさだけを享受できるのは久しぶりだ。
常々花京院を蔑むことしか言わない承太郎が、それこそ正気でも失ったかのように「好きだ花京院、好きだ」と繰り返す。
ひどく優しい手付きで頭を撫でてくれて、花京院が寝付くまで見守っていてくれる。
それで、ただのストックホルム症候群なのは分かってはいるのにそういう夜にも逃げ出せず、広くて暖かくていつもの寝床よりずっと居心地のよい承太郎の腕の中で、静かに眠りに付く。
次の朝にはベッドから蹴り落とされて目が覚めて、また口と手を塞がれるのは、文字通り身に沁みて分かっていたけれど。
そしてまた、あの乾いて冷たい段ボールに詰められて、彼の気が向くまでの時間ずっと暗闇の中に置き去りにされるのだ。
感情の篭らない目で見下ろされつつ、その蓋を閉じられるときいつも、これで終わりかもしれないと思う。
段ボールの蓋はかさりとしかいわないけれど、花京院の耳には重い棺の蓋が音を立てて閉まるのが聞こえる気がする。
これから土に埋められてもきっと驚かないだろう。
そうなったならもしかして僕は承太郎の腕を懐かしく思うのだろうか、と霞がかった頭でぼんやり考えながら花京院は目を閉じる。
どうせ暗闇なのだから目を開いていても閉じていても関係ないのだが、だって、開いたままでは目が乾くではないか。
涙などとっくに枯れていた。