神々のこどもたち – リリスの息子

 
戦場を駆け巡る一陣の騎馬。
男が己がテントに戻ると、駆け寄る少年が一人。
男の頬に走る赤い線に細い指を這わせ、形の良い眉を歪めて囁く。
「怪我をしたの、承太郎?」
対照的に男はその唇を笑みの形に曲げ、己の傷よりよほど赤い返り血にたっぷりまみれた手を、少年の白い手に重ねる。
「このくらい大した傷じゃねえ」
すると少年も軽く微笑んで、 腕を男の首に回した。
「承太郎、君は死んではいやだよ」
だって君が死んでしまったら。
「君ほどに、僕のために同族を殺してくれる人なんていないんだもの」
少年の目が深紅に輝き、長い爪に付着した血液を舐め取るさまを、男は満足そうに目を細めて見ていた。

 

白く、細く、ぞっとするほど冷たい手。
「お前を傍らに置いておくには?」
「僕のために、人の死を」
それを聞いて、俺は自分の生まれた時代に感謝した。
この戦乱の世、人を殺して得られるのは謗りでなく誉れ。
俺のいとしい悪魔には、人の血も首も捧げる必要は無く、ただ彼のために、俺の同種の生き物を殺してくるだけで良い。
俺は自分の生まれた場所にも感謝している。
十字軍とは名ばかりの。
「異教徒は皆殺しに」
法王さま、俺ほどあんたの命を忠実に守る兵士もいないだろう。
女子供にも手をかける俺に、眉をひそめる同僚も居るが、だが諫めればそれこそ罪。
そうして俺は神に祈るのをやめ、喜んで悪魔に身も心も売り渡した。

 

「承太郎、俺ら、もうすぐ解放されるかもしれねえぜ」
銀の甲冑に身を包んだ騎士。
「戦況はお前が一番よく知ってるだろうがな。国に帰れる見込みが出てきた」
彼には残してきた妹が一人。
だが承太郎にとっては都合が悪い。
殺戮に最も適した場所から離れなければならないとは。

 

「お前を手放したくない。だが国での殺し屋程度ではお前は満足しないだろう」
少年の姿をした美しい悪魔を抱き込む。
「大丈夫だよ承太郎。戦争が終わるなら、また始めればいい」
耳まで裂けるかと思えるほどの口が形作った笑みに、引き寄せられるように己の唇を重ねた。
 

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杖を持った法王の前、剣を目の前に置いて跪く。
神の加護と、それのためにこの青年がどれほどの働きを戦場で見せたかを延々と語る、法王の隣には付き人の少年。
ふと、頭を下げているはずの承太郎は、何故だかその少年と目が合ったように感じた。
そこには毒々しい血の色の笑み。
なるほどそういうことか。
いいだろう、お前の望みは何だって叶えてやる。

 

いかに承太郎が果敢に野蛮人に立ち向かっていったか、そしてそれは己の祈りが天に届いたからだという、まだ飽きずに語る法王の、気が付けば脇に刺さる大剣。
おやこれは眼前に伏せてあったはずだがな、と思っている間に引き抜かれ、それは護衛の兵士たちの首を刈った。
誉れの勇者を称える式典は、あっという間に阿鼻叫喚の地獄と化した。
逃げ惑う人々、立ち向かっていって死体になる兵士たち、そして声を上げて笑いながらその惨状を眺める少年が一人。
銀の髪の青年が飛び出し、交わる剣。
「目ェ覚ませ、何やってんだ承太郎! ここは戦場じゃねえぞ!」
「そうか? ここまでやりゃあ戦場といってもいいと思うがな。退けッポルナレフ!」
交差する鈍い光と鈍い音。
二人の実力は同程度であるが、一方はなにゆえ友人の気が違ったのか分からずに戸惑い、もう一方は何の迷いも無く相対する人間の死を欲していた。
ひときわ鈍く、且つ高い音が鳴り響く。
跳ね飛ばされる剣と甲冑。
ポルナレフの首筋に切っ先を滑り込ませ、承太郎は凍った翡翠の目で見下ろした。
「じゃあな、ポルナレフ。お前のことは嫌いじゃあなかったぜ」
背後から、地の底から響くような、耳を劈く悲鳴。
権力に腐っても法王か、名のあるだろうロザリオを振りかざし、それは嫌な臭いを立てて悪魔の肌を焼いた。
「花京院!」
すぐさま承太郎が身を翻して法王の手首を落とし、ロザリオを血で汚す。
だが直接の浄化はよほど身に応えたらしく、花京院は金属を擦り合わせるような悲鳴を上げて、不ぞろいで鋭い牙と醜く曲がった翼を見せた。
「花京院、花京院ッ!」
承太郎がついぞ見せたことのないような焦燥の表情で駆け寄る。
その隙を見逃さなかったポルナレフが、傍で死に絶えていた兵士の剣を取り、渾身の力でもって承太郎の脇腹に突き立てた。
逆流してきた血反吐を吐きながら悪魔の上に崩れ落ちる体。
「承太郎!」
その肩に取り縋る花京院。
「や、嫌だ、承太郎ッ!」
「これ、で…いい……お前、の、ため…に、人が……死ねば………」
「やだ、やだ、承太郎は死なないで!」
泣いて叫べど血は流れてゆき、薄く微笑んだまま男は死んだ。
同時に悪魔の体に力が戻り、けれどそのために承太郎が死ぬくらいなら、こんな力など要らなかったと思っている。
その理由も分からないまま死骸に覆いかぶさり、ひび割れた声を上げて嘆いている、その間にポルナレフはロザリオの汚れを拭き取って簡素な祈りを口にし、それを刃渡りに滑らせて擦り付けると大きく息を吐き、花京院の背中、漆黒の翼の付け根に突き立てた。
ぎいぎい苦悶の声を上げる悪魔、けれど彼が最期に、騎士に向かって微笑んで見せたのは錯覚だろうか。
花京院は剣の刺さった部分からぶすぶすと、炎も上げず焦げてゆき、人の形も異形の姿さえも崩れ落ち、とうとう風に飛ばされて消え去った。
彼と剣でもって繋ぎ止められていた承太郎のむくろもまた、その見えない炎に侵されたようにぐずぐずに崩れてゆき、最後に残ったのは真っ白な灰だけだった。