神々のこどもたち – ネレウスの息子

 
それは燃えるような夏の日のこと。
かげろうの揺らめいて、熱の見せた幻かとも思われたほどだった。
湖の底までが、水が全て湯にでもなってしまったかと感じられ、花京院は久しぶりに風に当たろうかと、地上に顔を出した。
途端慣れない熱気に襲われるが、一度木陰に入ってしまえば、水中に居る常日頃では得られない、独特の心地よさが肌に触れる。
つい警戒を緩めて、足だけは水につけたまま、穏やかな波が水かきを揺らすのをどこか遠くに感じながら、花京院は寝入ってしまった。

 
 

お前もそろそろ下界を見てくるべきじゃ。
祖父――勿論、血縁的・物理的な意味ではなく、精神的な――に命じられ、承太郎は大儀そうに羽を動かしていた。
彼の立場は天界と下界を繋ぐ役割の下等天使にあらず、それらを統括する大天使である。
それゆえ生まれてこのかた(それはおよそ永遠の4分の1ほどの時間になるのだが)、生き物の住まう下界に降りたことが無かったのだ。
見聞を広めるのが目的か、それとも単に、これといった面倒も起こっていないのに、図体のでかい天使がうろうろしているのを厄介払いしたかっただけか。
どちらにせよ、ちょうど退屈していたところである。
適当な森を見つけて、特に理由も無くその中ごろにある湖を目指し着地すると。
そこには木に凭れて眠る、湖の妖精が。
木漏れ日の、ちらちら鱗に反射して光るさまは、その姿をまるで幻のように見せていた。

 

気配に気付いてふっと目を醒ました花京院の目に映ったものは。
見事な8枚の羽を広げて自分を見つめる、明らかに身分の高い天使。
これは夢か幻か。
目覚めたばかり、まだ上手く働かない頭で考えた。
幻想なら何の不都合も無いだろう。
現実ならば、大天使の前で眠りほうけるなど既に不遜の限り。
今更臆することも無いだろうと、寝起きだからか、花京院は妙に開き直っていた。
「あなたはどなたですか?」
「立場を聞いているのなら、熾天使だ。名を聞いているのなら……承太郎だ」
「僕は花京院といいます。初めまして、承太郎さま」
名乗りつつ、花京院はこの大天使を前に、自分の中に生まれた新しい感情を自覚し始めていた。
承太郎は大天使であるからして、その感情を何のオブラートも無く感知した。
そうして、承太郎はこの、自分に恋情を抱き始めた一介の妖精に、静かに口付けを落とした。

 

承太郎と花京院は、それは奇妙なほどに『愛』しあった。
存在の根本から違う二人にとって、その言葉の意味するものも全く違う。
花京院にとって『愛』とは、お互いを独占し、いいものを分かちあい、そしてそれを次の世代に繋げていくという意味である。
承太郎にとって『愛』とは、プラスの感情そのものである。
結果の伴わない行動という形での『愛』を交し合う理由は、お互いにも全く分からなかった。
「僕らまるで、人間みたいだね」
そう言って花京院が笑ってみせる。
その笑顔を見る承太郎の心にも、笑みを誘う暖かい気持ちが湧き上がってくる。
それを快く思わないものが一人。
花京院の属する湖の、妖精たちをまとめる立場に居る、DIOという精霊である。
自分のテリトリーに、自分以上の力を持った大天使が滞在している。
しかも自分の持ち物の一つである妖精の一匹を、まるで自分のもののように扱っている。
だが。
ふふんと鼻を鳴らしてDIOは笑う。
どうせ長くは一緒にいられまいて。
明らかに、彼らが住まうには、湖の岸では狭すぎる。
水の世界と空の世界。
彼らはそもそも、生きる場所が違うのだ。
 

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幾度目かの逢瀬の折。
承太郎は花京院の鱗が艶を失いかけているのに気が付いた。
通常では何十年に一度という頻度でしか地上に出てこない花京院である。
乾いた空気に触れすぎたせいか、と悟るものの、水の底では天使は生きられない。
そういう自分も、下界の(どうしても仕方ないのだが)濁った空気を吸いすぎて、不調というほどでもないのだが、好調とはとても言いがたい。
だからといって、花京院を天界に連れて行けないのは分かりきっている。
承太郎のそんな思いを読むように、いや同じことを考えていたのだろう、いつもは控えめな花京院が、必死の力で承太郎にすがりついた。
「承太郎、僕、君とずっと一緒にいたい。どこにもいられるところが無いのは分かってる。でもそうしたいって気持ちが止められない」
その美しいエメラルドの肌をした、しなやかな体をかき抱き、承太郎も声を荒げた。
「俺だって同じだ。だが俺とお前では………俺とお前では……?」
花京院の鰭を掴みこんだまま、承太郎が言葉をつぐんだ。
怪訝な顔をして、花京院は承太郎の、後輪に輝く顔を覗き込む。
「俺と、お前でなければいいのでは。そうしたら……そうだ、確か、前に言っていただろう」
そうして承太郎は、大天使の力を解放し、自分と花京院を人間へと転生させようとした。
そこに邪悪な亀裂が一筋。
蛇体を恨みにくねらせた、DIOである。
気に入らない大天使が、自分の眷属を盗んでいこうとしている。
させるものかと彼は、完全には大天使に対抗できないものの、その転生へと一滴の呪いを垂らした。
確かにお前たちは望みどおり、愛し合うのに最も制約の少ない人間へと転生するだろう。
そして運命の導くままに出会い、恋に落ちるだろう。
けれどどうかな、それでお前たちは、『ずっと一緒にいられる』だろうか?

 

そして世界は巡る。
ある世界、ある島国で、彼らは出会う。
彼らは人間であるだろう、そして恋に落ちるだろう。
そして、……そしてそれからは、さあ、神のみぞ知る。