あの世の前で待ち合わせ

「悪魔か。俺と取引しちゃくれねえか」
 言われて、悪魔は振り返った。ここは『裁判』のための控室の、その外の廊下である。悪魔は今日の『裁判』のリストを思い出した。
「えーと、空条承太郎、だったか」
「分かってるのか。話が早くて助かるぜ。あんたに頼みたいことがある」
「へえ、何だ?」
「実は、俺が天国に行くか地獄に行くかは、自分で決められるようなんだ。というのは、さっき天使たちが話しているのを耳にしたからなんだが」
「ああ……」
 悪魔は空条承太郎の経歴を思い出した。承太郎は正義をなす人だった。人知れず世界の危機を救ったことも、一度や二度ではない。だが彼は、まさにそのために、人殺しでもあったのだ。
 承太郎は天国行きが約束されているような人間だった。だが自分の意思で人を殺したものは、原則地獄に落ちることになっている。承太郎がどちらに行くのか、それは本人に決めさせよう、という話になっていた。まあこういった場合は大体が天国行きを希望し、それが叶えられるのだが、人殺しを天国行きと裁くわけにはいかないときの方便である。
「俺個人としては天国でも地獄でも構わねえんだが。死んだら会いたいと思ってたやつがいてな。そいつはもう二十年以上も前に死んでいるんだが、天国に行ったのか地獄に行ったのか分からねえ。お前、悪魔だろ? そいつが地獄にいるか調べて欲しい。できるか?」
「できるかできないかで言えば、できるよ。データベースにアクセスして名簿テーブルを見ればいいだけだ。俺のアカウントはDB(デービー)への書き込み権限は与えられていないが、ただ見るだけならできる」
「データベースだのアカウントだの、死後の世界も結構にシステマティックだな」
「ちなみにパーソナル・コンピュータの二大メーカーはザクロ社とザ・ミラー社だ」
「あの世も現世も変わんねえな。で、やってくれるのか?」
「そりゃあんた、そういった仕事には報酬が必要さ」
「もちろんだ。何を払えばいい?」
「しかし、あんたは死んだばかりで何も持っちゃいない」
「前借りできねえか? 借金をしたい」
「ふむ」
 悪魔は首を傾けて思案した。この男、空条承太郎というのは、ずいぶんに試練の多い人生を歩んできたようだが。
「じゃ、来世のあんたから対価をもらおうかな」
「来世?」
「ああ。あんたみたいな人間は、こっちで安らかに休んだあとは――これは天国の場合だがな。地獄に来たら相応の処罰を受けてもらう。それが終わったら、またなかなかの立場の人間に生まれ変わるだろう。その人生が、今回より更にハードモードになるというわけだ。どんな試練も、そのほとんどが報われることはない。それでどうだ?」
「いいだろう。来世の俺には悪いが」
「ありがとよ、儲けたぜ! で、その相手の名前は?」
「花京院典明。高校生のとき、俺と一緒にエジプトまで行った男だ。そいつはそこで命を落とした」
「分かった。すぐ調べてくるから待ってろ」
 そう言って、悪魔は通路の奥に姿を消した。悪魔はそのまま自分のオフィスに戻り、コンピュータにログインしてデータベースにアクセスした。だいたい二十年と少し前に、エジプトで死んだ男。花京院典明。
 承太郎が控室の外の廊下で待って、体感で三十分もしないうちに、悪魔は戻ってきた。悪魔は笑っているような悲しんでいるような、奇妙な表情をしていた。
「どうした? どうだったんだ?」
「花京院典明、だったな。地獄にいたといえばいたし、いなかったといえばいなかった、かな」
「どういうことだ?」
「とにかく、彼は今は天国にいるよ。そっちに行けば会える」
「そうか、ありがとよ」
 それを聞いて、承太郎は『裁判』に挑んだ。裁判官はあくびを噛み殺しながら、承太郎に天国に行きたいか地獄がいいか、と尋ねてきた。承太郎は堂々とした態度で、天国に行きたいと宣告した。それは聞き届けられ、承太郎は天国行きの舟に乗った。
 雲のようになっている川を渡ると大きな門があり、承太郎たちはそこをくぐらされた。
「………承太郎!」
 懐かしい、とても懐かしい声がして、承太郎はそちらの方を向いた。
「ああ、君、こちらに来るのが早過ぎるよ!」
「……十七で死んだてめーにだけは言われたくねえな」
 承太郎は腕を広げた。その腕の中に、懐かしい温度が飛び込んできた。
「花京院、会いたかったぜ」
「僕もだよ、承太郎! 今度はきっと、君が天国に来ると信じて、僕はこちらで待っていたんだ」
「今度? 俺はお前が天国にいると聞いて、こっち行きを選んだんだ」
「……なんだって?」
 花京院は体を離した。その顔をしかめている。
「僕が天国にいると聞いた? いったい誰に?」
「悪魔だ。『裁判所』の控室の外で聞いた」
「悪魔だって? 悪魔が親切でそんなことを教えるはずがない。いったい何を取引したんだ?」
「来世の俺だ」
 承太郎のその言葉に、花京院は目を大きく見開いた。
「ああ、承太郎、君また同じことを! いったいどうして、生前苦労したと思っているんだ!?」