N – ふたふくろめはおくがたさまに

 
古来、こういうタイプの「頭のおかしい男」は、辺境の村には当たり前のように存在したのだ。
村人からは白い目で見られるが、石を投げられて殺されるまでではない。
新しく越してきた、あの都会の匂いのする美しい男は、気が違ってしまって、それで町を追い出されたのだ。
うちの子供には近付いて欲しくないが、果物のひとつくらいは恵んでやってもいい。
それで天国に行けるなら。

 

かわいそうにあの男は、連れているあの羊を、別れたか死んだかした妻だと思い込んでいるのだ。
羊の方も殊勝なもので、メモなど持って買い物に来るし、男の傍に居て離れようとはしない。
村から外れたところに住んで、細々と野菜など作っている。
羊を相手に悪魔の所業を行っているのかもしれないが、村に影響が無いなら、今のところは気にしない。
男は羊のことを「エヌ」と呼んでいる。
おそらく無くした妻の名前だろう。
東洋の血が混ざったアメリカ人の言葉など、よく分からない。
分かろうとするつもりもない。
それでいい、それでいいのだ。
俺たちは誰にも気にかけられてはいけない。
俺の愛しい羊はただの羊で、家畜が主人に懐くレベルで一緒に居るものだと、そう思われていればいい。
こいつが柔らかな土を踏みしめて思うまま駆けた後、こちらを振り向いて微笑んでみせることも、角につけてやった赤い鈴をリズムよく鳴らすことも、箒をくわえて跳ね回り、部屋中をきれいにすることも、発音できる範囲のアルファベットで、語尾を延ばしてやさしく喋ることも、俺だけが知っていればいい。
彼の趣味は読書だが、ページをめくるのが苦手なため、読む時はいつも俺が一緒だ。
持ってきた本を置いて、「Johhhtarrr…」と呟きながら鼻先をこすりつけてくる、その愛らしさといったらない。
柔らかく肌をくすぐる羊毛も、太く長い舌も、俺に合わせようと体勢を変えるのに四苦八苦する姿も、そしてその中の熱さも。
全部俺だけが知っていればいい、いや、他に知る者が居るだなんて、想像するだけで気分が悪くなる。
長い睫毛に縁取られた目に、その横に長い瞳孔に、映るのが自分だけだと確認して、ようやく俺は安堵して目を閉じる。

 
 
 

違うんです。
承太郎さんは生粋のズーフィリアじゃないんです。
好きになった相手がたまたま人間じゃなかったんです。
多分ひつじあきは自分でワープロ打って買い物メモ作ってる。