月の裏側

 
ゲームMOTHER2ネタですが、別に知らなくても問題無いです。頭おかしい系。

 
 

空条承太郎はその街に、超常現象が起きているとの噂を聞いて訪れた。
彼が属している組織は『そういうもの』を専門に研究している。
たとえその原因が彼らの専門とは少し違うものであっても、一般人を派遣するより上手く対処できるだろう―――スタンド使いの承太郎ならば。
その町で流れている噂というのは、頭のおかしな人々ばかりがいる世界に迷い込んだ夢を見る、というものだった。
ひとりふたりならばおかしな夢で片付けられるのだが、もう何十人もが医者に訴えており、自分の頭の方がおかしくなってしまったのではと考える人まで出ているらしい。
幻覚系のスタンド使いか、と承太郎は考えていた。
そうでなくとも集団催眠か何か、性質の悪いものには違いない。

 

「こちらが事前調査の資料です、空条博士」
そう言って書類の束を差し出してきたのは、承太郎の部下の一人で花京院と言う男だ。
承太郎はこの男があまり好きではない―――取り立てて嫌っているというわけでもないのだが。
花京院は常に自分の周囲に壁を作っているような人間だった。
柔和な物腰で一見社交的に見えるのだが、その実作り笑いしか浮かべない彼のことを、承太郎はあまり快く思っていなかった。
「それと新幹線のチケットです。どうぞ」
「ああ、ありがとう」
承太郎は彼から書類とチケットを受け取り、そうしてこの街にやってきた。
花京院の仕事は事前調査だけだったから、ついてくるということはなかったし、承太郎も花京院もそれを希望しなかった。

 

街に着いてすぐ、そこがおかしなところだということが分かった。
成り上がりの権力者がいて、警察も街の人間も皆、彼のために働いているようなものなのだ。
当然治安は荒れ放題で、そこかしこで酔っ払いやごろつきが喧嘩をしていた。
とりあえずその『王様』に会おうと、承太郎はアポイントメントを取ろうとした。
が、多忙のためと断られてしまった―――財団の名前すら出したというのに。
そんなに金儲けに忙しいのか、あるいは……?
承太郎が聞き込みを続けると、彼は街の外れのさびれた酒場に夜な夜な通っているとのことだった。
そう話してくれた酔っ払いは、元々は彼の上司だったらしい。
「あいつ、本当は気の小さい男で、こんなことするタイプじゃあなかったんだがな。…ヒック!」
しかし、それ以上の話は聞けなかった―――ぎらついた目をしたおまわりが、「おい、お前ら!」と声を荒げながら近付いてきたからだ。
承太郎は自分がマークされていると気付いていた。
『王様』について嗅ぎまわっているのだからそれも当然だろう。
そこでその夜、承太郎は目深帽子に大きなコートを羽織り、その酒場へと赴いた。
酒場へと足を踏み入れたとき、承太郎は不思議な気分を味わった。
誰も彼もが、承太郎に注意を払わないのだ。
それは奇妙な感覚だった。
承太郎はとても目立つ男だったし、そもそも街の酒場に見慣れぬ余所者が顔を見せたのなら、じっとりとした視線を向けられるのが普通だからだ。
承太郎はやる気の無さそうなバーテンダーに適当な注文をすると、他の客に聞こえぬような小声で聞いた。
「ここにミスター・ダリオ・ブランドーに『似ている』男が出入りしていると聞いたんだが?」
「ま、まさか!ミ、ミスター・ブランドーのような、り、立派な事業家が、こ、こんなところに出入りしているわけ、な、ないでしょう。ひ、人違いじゃあないですか。そ、それはそうとお客さん、カ、カウンターの中には、は、入ってこないでくださいよ。の、覗き込むのも駄目ですからね」
そのバーテンダーが酒場の主人であるらしく、彼がトイレか何かで席を外した隙に承太郎はカウンターの中を覗きこんでみた。
すると酒場の店内からは見えないような位置に、小さな扉があるのを見付けた。
他の客は誰も承太郎を見てはいない。
承太郎はその扉に手をかけた。
そしてその先には――――――

 
 
 

「ようこそムーンサイドへ!」
色が反転したような世界、日はなく通りもどこも真っ暗だが、人や建物が奇妙なネオンで光っているかのようだ。
振り返れば入ってきたはずの扉がない、どころか酒場すらなかった。
「よムうこそーンサイドへ!」
承太郎は話しかけてきた男を見やった。
暗い世界に光る帽子とコート。
男の目は焦点が合っていなかった。
承太郎を見ているのかさえ疑わしい。
「ムよーンサうイこドそへ!」
「何だって?」
聞き返せば、ぎょろりとした目を向けてくる。
「ここはムーンサイド。ムーンサイドここは。ここでは『はい』が『いいえ』で『いいえ』が『はい』。絶対に間違えるなよ。間違えるなよ絶対に」
それ以上は何を聞いても無駄だった。
承太郎は男と会話することを諦め、街を探索することにした。
少し歩けば標識や消火栓、時計といったものが襲い掛かってくる。
承太郎はスタープラチナを出して応戦したが、毎回苦戦するのには正直いって驚いた―――特にねじれた時計に『時を止められた』のには仰天した。
このおかしな世界の元凶が、一介のスタンド使い程度だとは思えない。
酒場がなくなっていたように、ここは元の街の完全な反転世界というわけではなさそうだった。
道もよく分からないし、ところどころに見えない壁すらあるのだ。
見えている道へ歩いていくことができないというのは、相当にフラストレーションが溜まることだったが、道行く人々は全く気にならない様子だった。
思えば彼らは消火栓やポストといったものに襲われていない。
どうやらこちらは、余所者に大変厳しい世界のようだ。
どうしたら元の世界に戻れるのか、と承太郎が首をめぐらせていると、ふと見慣れた顔が目に留まった。
「………花京院?」
その男は、花京院そのものの見た目をしていたが、明らかに彼とは別人だった。
花京院はこんなふうにへにゃりと笑うことはしないし、親しげに「ハロー!」と言いながら近寄り、腕を絡めてもたれかかってくるなんてこともしない。
見知った顔の男にそんなことをされたのは衝撃だったが、承太郎は不思議と不快には思わなかった。
「ここはとても寒いね。そう思わない?」
「いや……あまり気温は感じないな」
「ああ、今は朝の8時15分だよ。日本時間でね」
「そうなのか?ここには太陽はねえのか?」
「ちょっと水音がうるさいな。きみの声がよく聞こえないや」
「水音?このあたりの消火栓は全部ぶちのめしたから、水音なんてしないはずだが?」
「きみはとてもきれいな目をしているねえ!」
そう言って目を覗き込んでくる彼の、虹色の瞳!
きらきら光る、ぽっかり開いた眼孔!
「ぼくはとてもきみを気に入ったよ。きみはどうだい?ぼくが好き?ぼくと一緒にいたい?」
「ああ、ああ!」
それは承太郎の本心だった。
この奇妙で不可思議で先の読めない男ともっと話がしたい。
彼のことをもっと知りたい、彼の目で、彼の世界を見たい!
ところが彼は、ふっと残念そうな顔をしてこう言った。
「そう、じゃあ、グッドバイ!」

 
 
 

気が付けば承太郎は、財団支部の病室に寝ていた。
承太郎が体を起こすと、「目が覚めましたか?」と花京院が覗き込んできた。
「お前!」
思わず大声を上げてその腕を掴むと、驚いて目を大きくする―――白目に黒目、はっきり焦点の合ったその目には、帽子を被りコートを着た男が映っている。
「……いや、お前じゃあない」
「大丈夫ですか、空条博士?医者を呼んできますね」
「いや待て、いや違う、『はい』だ。『はい』、医者は必要ない。俺は『いいえ』と言いたかったんだ、『いいえ』と言わなきゃあならなかったんだ………今度こそ間違えねえ。俺をもう一度あそこへ送ってくれ」
「そんな権限、僕にはありませんよ。医者を呼んできます」
「『はい』、絶対に間違えねえ。間違えねえ、絶対に。『はい』が『いいえ』で『いいえ』が『はい』だ」

 

その夜承太郎は、病室の窓を割って逃げ出した。
そしてあの月の街へと足を運んだ。
だが、愛しい相手はそこに見えているのに手が届かない。
ここに見えない壁があるのは当然だが、それにしても苛立たしい。
「花京院!」
「ああ、ここはとても寒いや」
それはそうだろう、あんなにびしょぬれでは。
それに腹に開いた穴からひゅうひゅう隙間風がもれている。
「花京院!」
「今?今は日本時間で昼の13時半だよ」
「花京院!もう二度と間違えねえから、もう一度だけお前と話をさせてくれ!」
「まったく、彼ったらいったいどこまで行ったんだろう……」

 

光る目の男は、壊れた時計台の上に、ずっとずっと。
帽子とコートの男は、その時計台の下に、ずっとずっと。
たとえ気を狂わせる月の悪魔が倒されたところで、彼と彼はずっとずっと、ひとりきり。