花京院典子は背が低い(女体化)

 
 

タイトルで一度読んでもらっているところを恐縮だが、僕は背が低い。
将来の夢は150センチである。
電車のつり革を握ると腕がぴーんと伸びるし、美術館の入り口で高校生のチケットを買おうとしたら「小学生ではなくて?」と言われたこともある。
かわいいスカートなんか夢のまた夢で、モデルさんがひざ上で履いているのなんか、思いっきり膝が隠れることになる。
おかげで私服はずっとズボンである。
まあそんなことはどうでもいい。
スカートよりズボンのほうが好きだし。
では何か、というと。
本題に入る前に、もう一つ僕について知ってもらいたい。
僕は目が悪い。
悪いといってもそこまでひどいものではなく、授業中は眼鏡をかけているが、日常的には裸眼で過ごしているくらいだ。
遠くのものは目を細めないと見えないが、ほとんど慣れで暮らしている。
背が低いことと目が悪いこと、この二つのおかげで、僕は大変な目にあったのである。

 
 
 

その日の放課後、僕は学校の図書室に向かって歩いていた。
高校の図書室というのはかなりの穴場である。
まず普通の図書館に比べて、圧倒的に人が少ない。
都内でも有数の進学校…というわけでもないうちの高校では、ほぼ顔見知りみたいなメンツしかいない。
人が来なさすぎるからか、受付には司書の先生が一人で、図書委員すらいない。
もちろん公営の図書館より本は少ないが、なかなかラインナップは悪くないので、僕はほとんど毎日、放課後は図書室に入り浸っていた。
図書室に来て20分ほどで今日の分の課題を終わらせ、あとは閉館時刻まで本を読みふけるのだ。
当然というとちょっと哀しいが、僕は部活に入っていない。
なんというか、そういう青春は苦手なのである。
……友達もいないが、別に構わない。
僕には生まれた時から一緒にいる、大親友がついているのだから。
図書室は、教室のある校舎とは別の校舎の、奥まったところにある。
中に人が少ないのもそうだが、行く道すがらに誰かに会ったことも、数えるくらいしかない。
だから僕はその日、文庫本を読みながら歩いていた。
大きな鼻の男が、その長い鼻に小鳥たちを止まらせている。
そして。

 
どすん!

 
慌てて本から目を上げると、僕は誰かに正面からぶつかっていた。
「あ、わ、すみません!」
「……おう」
うわ、何かいい声。
しかし僕には、彼の声くらいしか分からなかった。
だって僕の目の前にあったのは、腹筋の割れた腹というか腰というか、その辺だったので、全く顔が見えなかったのである。
どれだけ背が高いんだ。
一応顔を上に持ち上げてみたが、頭の位置があまりにも高くて、顔はよく見えなかった。
目を凝らせば見えるかもしれないが、睨みつけるような形になってしまうので、本能的に危険を感じた僕は、それはやめることにした。
僕の顔を見下ろした相手は、チッと大きく舌打ちをした。
僕はむっとした。
「どなたか存じませんが、それはないんじゃあないですか?確かにぶつかった私が悪かったですけど、ちゃんと謝ったでしょう」
「……お前、俺を知らねえのか」
「え、どこかでお会いしましたっけ」
こんな声、忘れるはずがないと思うのだが。
「いや、そういうわけじゃあねえ」
「だったら知るわけないじゃあないですか。前を見ていなくてすみませんでした。では私はこれで。図書室に行きたいので」
そう言って、僕はさっさとその場から退散した。
これでこの話は終わり、だと、思ったのだが。

 
 
 

次の日僕は、いつもどおり一人で昼食をとっていた。
僕のぼっちメンタルは非常に強いので、堂々と教室の隅っこ、自分の机で弁当を食べている。
そうして僕が、タコさんではない普通のウインナーをかじっている時、教室がにわかにざわついた。
まあ僕には関係のないことだろう、と思った僕の周りが、いきなり暗くなった。
誰かが僕の机の前に立ったらしい。
「てめーが花京院典子か」
「はあ、そうですけど」
顔を上げてみるが、高すぎてよく見えない。
僕はデジャ・ヴを感じた。
この高さ、それにこの声。
「あ、もしかして昨日の人ですか」
「そうだ」
僕は顔をしかめた。
「何ですか、まだ何か?しつこいですね」
僕がそう言うと、教室のざわめきが大きくなった。
「面白いやつだな」
「はあ…」
意味が分からない。
もしかしてマゾなのだろうか。
「てめー、今日も……あそこに行くのか?」
「え?ああ、そうですよ。それが何か」
「そうか」
「ええ。……あの、大変申し訳ないんですけど、私いま、食事中なんですよ。特に用事がないなら帰ってもらえますか」
なんか教室の話し声や物音がぴたりと消えた気がする。
なんだろう。
「そうか、邪魔したな。帰るぜ」
「はい、さようなら」
そんなことを言って、彼は去っていった。
僕は一息ついて弁当をつつくのを再開し…ようとしたのだが、教室の生徒たちが皆して僕に群がってきたのでかなわなかった。
「花京院さん、JOJOとどういう関係なのッ!?」
「へ、JOJO?」
僕は首を傾げた。
JOJOといえば、うちの学校で一番の有名人である。
なんでも、見た目がチョーかっこよくて、スポーツもできて、授業をよくフケるくせにテストの点数がよくて、喧嘩が強くて、アメリカ人とのハーフで、おまけにおウチが金持ちらしい。
全部クラスの女子が言っていた台詞なので、真偽の程は定かでないが。
で、そのJOJOが、いったいどうしたというのだろう?
「花京院さん、どこでJOJOと知り合ったのッ!?」
「JOJOに興味ないとか言っといて、嘘じゃんッ!」
「あそこってどこよ、JOJOと会うのッ!?」
……ん、これはもしかして、もしかすると。
あの、背が高すぎて顔の見えない彼が、JOJOだというのだろうか。
「え、えー……あー…ええと……なんというか、事故というか…」
「なんでJOJOに話しかけられてんのよッ!?」
「私にもよく分からないんですが……でも私と彼とは何の関係もありませんよ」
「ほんとにッ!?」
「ほんとにほんとに」
僕はその昼休み、弁当を最後まで食べることができなかった。
 

放課後、僕は嫌な予感を感じながら図書室に向かった。
扉を開けると、司書の先生が戸惑ったような表情を浮かべている。
僕は借りていた本を返すと、新しい本を手にとって机のあるスペースに向かった。
………ああ、全く今日は災難だ。
「よう」
この声は間違えようがない。
「えーと、JOJOさんであってますか」
「なんだ、気付いたのか」
「いや、全然。でもクラスの人が教えてくれました。みんなで、とっても、優しくね」
「それはよかったな」
嫌味だったことに気が付かなかったのかとも思ったが、声が微妙に笑っている気がする。
スーパーイケメンみたいな評判だが、案外性格は悪いようだ。
「そのJOJOさんが私みたいなのに何のご用ですか?」
正直迷惑なんですけど。
そこまではさすがに口にしなかったというのに、ヤツは机の上に身を乗り出してきた。
「てめー、昼飯一人で食うような女だろ。俺と少し喋ったからって、なんともねえだろうが」
「君、女子のネットワークと陰湿さを知らないな」
そういえばJOJOは二年だったはずだな、と思いだして、僕は敬語をやめた。
同い年だし。
「何だ、俺と喋るとイジメられんのか」
「まあそういうことだよ。ああ、私もとうとう便所飯デビューか」
「何だその便所飯ってのは」
「トイレの個室で、一人でご飯食べるってことだ。君みたいな人生勝ち組には一生関係のないことさ」
「ンな不衛生なとこで飯なんか食うな。一人で食ってんならちょうどいい、明日からは俺と食え」
「はあ…はあ?」
彼の言っている意味が分からなくて、僕は数学のノートから顔を上げた。
あ、言ってなかったが、僕はJOJOと話しながら、いつもどおり課題を進めていたのだ。
「なんで?」
「てめーは一人で飯食ってるんだろ。俺もだ。じゃあ都合の悪いことはねえだろう。明日から昼は屋上に来い」
「屋上は立入禁止だと思うんだけど」
「鍵を持ってる」
そういえばこいつは、体育教師を病院送りにするようなやつだった。
あの先生、ちょっと乱暴すぎて僕も嫌いだったけど。
「まあ、いいよ。トイレよりは屋上の方がご飯が美味しそうだし」
今度こそこの話は終わりだろうと思って、僕は数式を解くのを再開した。
JOJOが椅子から立ち上がったから、帰るのかと思いきや、大きな本を手にして戻ってきた。
ちらっと表紙を見たら、「海の生き物大百科」とかいう本だった。
ずいぶんかわいい趣味だな。
僕には関係ないけど。
僕の方は、本というか、活字であればなんでも読むタイプだ。
一番よく行く本棚は新着図書のコーナー、次が返却されたばかりの本が積んであるワゴン。
今読んでいるのは、有名な推理小説の一つだ。
今までなんだかんだ読む機会がなかったやつで、返却ワゴンの中で一冊だけ古びていて目についたのだ。
語り手が探偵について、手記の中で疑問を投げかけている。
「クリスティ、好きなのか?」
「え?いや、すごくファンってわけじゃあないけど、普通に面白いよ」
「俺はポアロよりコロンボだな」
「へえ、そう」
ちょうど話が佳境に差し掛かったので、僕の返事はおざなりだったが、JOJOは気にしていないようだった。
結局その日は僕もJOJOも、閉館時刻までそこで本を読んでいた。

 
 
 

次の日登校してみれば、僕の机は油性ペンによる落書きでいっぱいになっており、花瓶に花まで飾ってあった。
念のためにと、上履きと体操着を持って帰っていてよかった。
しかしイジメの手法が小学生から成長してないぞ。
僕は休み時間も、一人で本を読んで過ごしている。
暗い子、地味な子、それが僕の、周りからの評価だ。
だが別に、僕は本に逃げているわけではない。
単純に好きだから読んでいるのだ。
クリスティは昨日とっくに読み終わり、今は絵本作家のエッセイを読んでいる。
もし僕に、とっても仲良しの(人間の)友達ができたとしても、休み時間は本に向かっていると思う。
そう、今みたいに。
まあ、JOJOは僕のとっても仲良しの友達じゃあないけど。
一限目が終わった休み時間、早速本を取り出した僕の周りが、妙に騒がしくなった。
なんだか覚えがあるな、と思って顔を上げたら、僕の前の席にJOJOがどっかと座るところだった。
前の席の人、かわいそうに。
でも彼は、別に何も言ってこないので、僕は本に目を戻した。
本の中では、著者がイギリスの田園地方での一人旅を楽しんでいる。
「おい」
「………」
「おい」
「………」
「おい」
「……あ、呼んだ?」
「てめー、なんで机の上にハンカチ広げてやがる。昨日はしてなかっただろ」
「臭いものに蓋をしているだけだよ」
「臭いもの?」
JOJOは僕に了承も取らずにハンカチをめくった。
そして険しい顔になった。
険しいっていうか、般若っていうか。
チンピラも裸足で逃げ出すとかいうのは、あながち脚色でもなさそうだ。
「………おい」
今度の声は一オクターブ低かった。
僕らの一挙一動を、息を詰めて見つめていたクラスメイトたちが、皆縮み上がった。
JOJOはそんな彼らをじろりと睨めつけた。
「こんなクズみてえなことをやったのはてめえらか?直接やってないにしても見過ごしはしたんだろう。てめえら、」
「やめろよ」
僕はちょっと大きな声を出した。
家でも学校でもあんまり喋らないから、こんな尖った声を出すのは久しぶりだ。
「君が、それこそこんなクズみたいなことでいちいち目くじら立てることはないよ」
「………てめえら、次は俺に同じことをするつもりでいろよ」
クラスメイトたちは、必死に目をそらしていた。
「気にするなよ、JOJO。まあおかげで、君の目の届かないところだけ気をつければいいことになったけど。ほら、もうチャイムが鳴るから戻りたまえ」
JOJOは渋々といった様子で立ち上がり、教室から出て行った。
 

次の授業の後もその後も、JOJOは僕の教室に来た。
めんどくさいので無視して本を読んでいたが、JOJOは何が面白いのか僕をじろじろ眺めるだけで、何も言っては来なかった。
昼休みには、屋上に来いとか言っておいて教室まで迎えに来た。
彼氏か。
我ながら今のジョークは薄ら寒いものがあったぞ。
屋上に着くと、JOJOは鞄から弁当、っていうか重箱を取り出した。
僕も弁当を広げる。
屋上はぽかぽかしていて気持ちがよかった。
JOJOは僕の食べているものを見て、「小せえな」と言ってきた。
「んなだから背が伸びねえんだぜ」
「うるさいな、大きなお世話だ。私だって君くらい身長が欲しいさ」
「俺くらいってのは無理だろ」
座れば確かに頭の位置は近くなったが、広げた弁当を挟んで向い合っているので、やっぱり僕には彼の顔がよく見えなかった。
あ、休み時間の教室の机ならもっとよく見えたかも。
本を読んでて気が付かなかった。
まあいいか。
「小せえし、バランスも悪いんじゃあねえのか?茶色ばっかりだぞ」
「仕方ないだろ。前の日の残りと冷凍食品なんだから。女子高生に完璧な弁当を期待するなよ」
「…自分で作ってんのか」
「そうだよ?うちは両親とも、朝は早くて夜は遅いからな。君んとこはお母さんかコックさんかは知らないが」
「アマ…母親だ」
「ふうん」
僕とJOJOは、弁当のサイズがかなり違ったというのに、食べ終わったのはほとんど同時だった。
解せぬ。
弁当を片付けて、僕は立ち上がった。
「おい、どこへ行く」
「どこって、帰るだけだよ。いつもは自分の机でお昼を食べたら、あとはチャイムまで本を読んでるんだ」
「ここで読みゃいいだろ」
「え」
僕は目をぱちくりさせた。
確かに屋上は、陽が当たって心地いい。
「そうか……じゃあ5分前のチャイムまではここにいようかな」
「そうしろ」
JOJOはどこか満足そうにそう言うと、ポケットから煙草を取り出した。
ちょっと待て。
「おい」
「あ?」
「煙草はやめてくれないか」
「てめーもうるさく言うクチか」
「別に、君が勝手に煙草を吸って勝手に早死するのは構わないさ。だが、私の前ではやめて欲しい。煙たいから」
「…チッ」
JOJOは舌打ちしたものの、煙草のケースをぐしゃりと潰してポケットに戻した。
それからふてくされたように横になり、学帽を顔に乗せて眠ってしまった。
……学帽なんか被ってたのか。
道理で頭の形が変だったわけだ。
見えなかった。
 
 
 

JOJOが睨みを効かせたからか、僕に対するイジメは一日だけで終わった。
トイレの個室に入った時は、上からバケツに入った水でも降ってこないか警戒したのだが。
ちょっとクラスの女子にシカトされるくらいだし、それは実のところ今までと特に変わりはないので、僕の学校生活は平穏そのものと言ってもいいくらいだ。
休み時間にJOJOがやってきて、特に何を話すわけでもなく本を読み、昼は一緒に弁当を食べたあとに本を読み、放課後は図書室で本を読む。
そのうちJOJOも、図書室以外でも本を持ち歩くようになった。
僕におすすめなんかを聞いてくるから、最近読んだ本から適当にピックアップして渡してやった。
彼は意外なことに、恋愛小説やファンタジーも抵抗なく読み、しかも感想や考察を僕に伝えてくるようになった。
頭がいいというのは本当らしく、彼の意見を聞くのは楽しかった。
そんな、ある日のことだ。
僕らが図書室に行くと、司書の先生が「花京院さん」と声をかけてきた。
「花京院さんにこの前頼まれた本、もう絶版らしいの。県の方の図書館の閉架書庫にならあるらしいんだけど」
「そうなんですね、ありがとうございます」
僕はお礼を言って、机のあるスペースに向かった。
「本ってのは、この前なんか書いてたやつか」
「うん。この図書室は利用者が少ないだろ。だから図書のリクエストを書いて出すと、かなり対応してくれるんだ。だけどこの前頼んだのは、絶版だったらしいね。仕方ない」
「……うちにあるかもしれねぇ」
「えっ!?」
僕は慌てて口をつぐんだ。
図書館や図書室で大声を出す奴は首をくくらなければならない。
「ドイツのハードボイルド小説、だったか?親父の書庫か、蔵にならあるかもしれん」
蔵て。
金持ちというのは本当なんだな。
いや、それより。
「書庫ってもしかして、本だけ置いてる部屋とかあるのか?」
「ああ、そうだが」
「いいなあ…!」
僕は身を乗り出した。
ちょっとだけJOJOとの距離が近付いたが、なぜか彼は身を引いた。
「そういうの、憧れなんだ。高い本棚に梯子とかつけるんだよ。夢だなァ」
「でかい本棚も梯子もあるぜ。……うちに来るか?」
「いいのか?ぜひ!うわあ、楽しみだな」
その時僕は、梯子のついた本棚に読みたかった本が並んでいる情景を想像してニヤニヤするのに忙しくて、いつもは僕らのことなんかいないように振る舞う、図書室の他の利用者たちが、一斉にこちらを見たのに気付かなかった。

 
 
 

次の日の放課後、外せない学校関係の用事の時以外では入学してから初めて、図書室に行かなかった。
JOJOと二人で、彼の家に向かっていたからである。
そういえば一緒に下校するのは初めてだな。
彼の家と、僕が使っている駅が逆方向だからな。
20分も歩かないうちに、JOJOの家に着いた。
JOJOの家に……家っていうか………
「お屋敷かな!?」
「?それがどうした?」
「金持ちは黙っててくれるかな!?」
別に、うちだってお金がないわけではない。
家族旅行に海外とか行くし。
両親が仕事人間で家にいないだけだ。
だが、これは。
「本当にここが君の家か!?重要文化財とかじゃあなくて!?」
「お前ジョークのセンスねえな」
「うっ、それは自覚している…」
僕らが門の前でぎゃいぎゃい話していると、突然その門が、大きな音を立てて開いた。
出てきたのは金髪の女性だ。
僕より背が高いが、JOJOよりは顔が近くにあったので、とてもきれいな人だというのが分かった。
「きゃーっ!あなたが花京院さん!?下のお名前は?」
「え、あ、典子です」
「典子ちゃんね!あたしは承太郎のママのホリィよ、よろしくね♪ほら二人とも何してるの、上がって上がって!」
僕らはホリィさんに背を押されるようにして家に上がった。
……JOJOって承太郎っていうんだ。
外から見ても大きかった屋敷は、当然中も広かった。
美しい日本庭園には鹿威しまである。
案内された部屋は、立派な木の机と掛け軸のある応接間だった。
「承太郎、いきなりお部屋に連れ込んじゃ駄目よん!」
って何のことですかホリィさん。
出されたクッキーが美味しすぎてもぐもぐもぐもぐ食べていたら、JOJOに「持って帰るか?」と聞かれた。
「昨日死ぬほど焼いてやがったから、十分余ってると思うぜ」
「えっ、これホリィさんのお手製なのか!?」
「そうだが」
「かわいくて明るくてお菓子を作るのがうまいなんて、最高じゃあないか。恋をするならあんな感じの女性がいいな」
「……てめーのジョークはマジで笑えねえ」
「悪かったな」
とはいえいつまでもお茶をごちそうになっているわけにはいかない。
僕らの目的は書庫なのだ。
そしてそこは、とても素晴らしい場所だった。
JOJOの家は畳の部屋が多かったが、書庫はフローリングだった。
壁は全て本棚になっており、部屋の中にも本棚が二列に並んでいる。
「うわあ!あの本もこの本もある!えっ、この雑誌ッ!?まさか生で見れるなんて!君のお父さん、すごいなJOJO!」
僕が本棚に飛びついてあちこち見ている間、JOJOは入り口に肩を預けてこちらを見ているだけだった。
(いつものことだが)ここからは彼の顔が見えないが、なんだか少し笑っているように感じる。
もしかして、興奮しすぎて引かれただろうか。
「あー…ええと…本当に、梯子があるんだな。登ってみてもいいかい?」
「好きにしろ」
お許しが出たので、僕はわくわくしながら梯子に足をかけた。
梯子もだが、本にも少しも埃がついていない。
ホリィさんがきちんと掃除をしているのだろう。
「作者から見るにこのあたりに……あった!あったよJOJO!」
「そうか」
「わっすごい、この本もある。あ、これも面白そう」
「貸してやるから慌てるな」
「ええ?でもこれ、君の本じゃあないだろう」
「気にするならうちで読んでいけ。気になるの持って降りてこい」
「ええと、じゃあこれとこれとこれ!あっこれも、」
そこから先は、スローモーションの世界だった。
左手で本を抱え、右手で本を抜き取っていた僕は、両手がふさがっていた。
それでもって、本の重みでバランスを崩してしまったのだ。
ぐらりと傾く体、梯子から浮く足、遠のく本棚、天井の照明。
がくんとした衝撃があって、けれどそれは、体がフローリングに叩きつけられたものではなかった。
首の下と膝の裏に太い腕を感じ、ああ自分はJOJOに助けられたのだと分かった。
が、何かがおかしい。
彼は書庫の入り口にいた。
この部屋は本棚で狭くは見えるが、決してそうではない。
僕のところまで、腕が届くはずがないのだ。
僕はゆっくりと頭をめぐらせた。
そして、僕を抱きかかえている、半透明で、青みがかった、黒髪をなびかせた、筋骨隆々な大男と、ばっちり目が合った。
本棚の並んでいる場所で大声を出す奴は、首をくくって死ぬべきだ。
だが今回は、今回だけは、どうか許して欲しい。
「うええええええああああああおおおおおお!!!??」
「うるせえぞ」
「えっ君!?君なにこれ!!?」
「…てめー、スタンド見えるのか」
「スタ…え、何?えっこれ…これもしかして、僕の『友達』と同じやつか!?」
「!てめーもスタンド使いか。出してみろ」
僕はパニックになりながらも、『彼女』の姿を出した。
緑色に光る、とてもきれいな『友達』だ。
「やっぱりか!」
「え!?君見えるのか、『彼女』が見えるのか!?僕の『友達』が!?」
「なんだてめー、一人称、僕なのか」
「そうだよ!よそで口に出したことはないけどな!そんなことはどうでもいいんだ、ッ君、見えているのか、本当に…?」
「ああ」
「そうか…そうなのか」
僕は青い巨人に抱きかかえられながら、声を震わせた。
『彼女』が見える人なんて、この世にいないと思っていた。
誰にも教えられなかったけど、漠然と、『彼女』は『僕』なのだと知っていた。
だから、ほんとうの意味で『僕』を見てくれる人なんて、どこにも存在しないと思っていたのだ。
思わず目の端に涙がたまる。
そうか、『彼女』を見ることができる人が、この世界にいたんだ。
そこへ、バタバタと音を立ててホリィさんが駆けてきた。
「承太郎ッ!?無理矢理は駄目ってあれほど…あら?」
ホリィさんはJOJOと僕と、それから青い巨人と、緑の『彼女』を順に見て、それから目を丸くした。
「まあまあ、もしかして典子ちゃんもスタンド使いさんなの?」
「え…ええと、その…スタンド…というのは、一体?」
 

先ほどの応接間に戻って、再びお茶をいただきながら、僕はなんとか自分を落ち着けた。
JOJOの話は、僕にはショックが大きかった。
JOJOだけではなく、ホリィさんも同じように、他の人には見えない分身を持っているそうだ。
彼女のそれは人型ではなく、花の咲いた茨のようなものだったが。
こういうものを持っている人間は他にもいて、そういう人たちの間では、これを「スタンド」と呼ぶとのことだ。
「てめーのスタンドの名は?」
「名?」
「名前がないと呼べないだろ」
「ああ、そうか」
僕は納得した。
僕と『彼女』しかいないのであれば、『彼女』に名前はいらないが、他の人から呼ばれるためには、それと分かる名前が必要だ。
「名前……考えたことなかったな」
「ふむ…そうか」
JOJOは顎に手を当てて何やら思案した。
それから「おい」とホリィさんに声をかけた。
「ジジィとアヴドゥルを呼んでくれ」
「ええ、そうね」
それからJOJOは僕の目を見つめた。
「てめー、明日もうちに来い」
「え?いや、それはいいけど」
「スタンドに詳しいやつが知り合いにいる。そいつに見てもらおう」
「その人も、スタンド…が見えるのか?」
「もちろんだ」
僕はもう、すっかり驚いてしまっていた。
17年という僕の人生は、この世界は、とても狭いものだったのだ。
「大丈夫か、花京院?」
「ああ、大丈夫だ…ただちょっと…びっくりして……『彼女』は僕の妄想の産物じゃあなかったんだなって……ずっと僕だけで生きていくものかと…」
「………そうか」
JOJOは僕の頭にぽんぽんと手を叩いた。
その動作は、不思議と嫌味には感じなかった。
 

借りに行った本は、とりあえず応接間に置かせてもらうことになった。
とても本なんか読める状態ではなかったからだ。
とはいえ、ほとんど茫然自失で自宅に戻った僕にできたことといえば、自分の部屋の本棚にある本を読むくらいだった。
幾度も読んだショートショートだが、全然頭に入ってこない。
博士が突拍子もない薬を完成させるところを、何度もなぞっている。
ふと気が付くと、『彼女』がその緑の姿を現して、僕を見守っていてくれた。
僕は『彼女』の頬を撫で、そっと笑みを作った。

 
 
 

「ふむ、法皇のカードか。慈悲と和を暗示するカードだ。そうだな、緑の体を持つ……ハイエロファント・グリーンと名付けよう」
「ハイエロファント…」
その名はなんだか、とてもしっくりと馴染んだ。
JOJOの知り合いというのは、エジプトの占い師の方だった。
彼のスタンドは、赤く燃える炎の化身だ。
「ハイエロファント・グリーン」
『彼女』ことハイエロファントは、僕をじっと見つめている。
「これからも、よろしくな…ハイエロファント」
JOJOとホリィさんも、タロットカードを並べた机についていた。
「で、アヴドゥル。ジジィは?」
「スピードワゴン財団の目黒支部に顔を出すとのことだ。すぐにいらっしゃるだろう」
アヴドゥルさんがそう言い終わらないうちに、玄関のチャイムが鳴った。
「はあ~い!」
ホリィさんがかわいらしい声を出してぱたぱたと走って行く。
しばらくして、JOJOと同じくらいの大柄な男性が顔を見せた。
灰色の髪と髭をたくわえているが、盛り上がった筋肉のおかげで、ちっとも老いは感じない。
彼は僕を見て目を丸くした。
ちなみにその様子ははっきり見えたわけではなく、雰囲気で察した。
座っている僕からは、彼の顔などほとんど見えない。
「……オーノーッ!承太郎、確かにかわいい子じゃが、こんな小さな子を恋人にして大丈夫なのか?お前ロリコンじゃったのかァッ!?」
「小さ…!?」
「おい待てジジィ、何を言ってる。花京院は別に俺の恋人じゃあねえぜ」
「そうなのか?じゃがホリィが…」
「もう、パパったら!典子ちゃんは承太郎と同い年なのよ!」
「え~ッ17歳!?ホントにィ!!?」
「…本当ですよ……」
ひとしきり騒いだあと、彼、ジョセフ・ジョースターは自己紹介をしてくれた。
彼はホリィさんのお父さんで、JOJOのお祖父さんにあたる人らしい。
「よろしく」と言って手を差し出してきた彼には、先ほどのコミカルな様子はない。
「花京院くん、じゃったな。君はいつ頃そのスタンドが発現したのかな?」
「いつ、ですか?さあ…物心ついた時から一緒にいましたので」
「ふむ、生まれついてのスタンド使いか」
「え、それ以外のスタンド使いがいるんですか?」
「うむ…」
ジョースターさんはあごひげを撫でながら僕の顔を見た。
何か、言えないことでもあるのだろうか。
彼が何か言う前に、JOJOが口を開いた。
「人工的にスタンド使いを作るブツがある。俺やアマやジジィはそれとは別だが、スタンドを持ったのはごく最近だ」
「承太郎」
「心配するなジジィ、こいつは信用できる。どこにも漏らさないさ」
「あ、はい、大丈夫です。漏らす相手とかいないし」
少々自虐的なことを言ってしまったが、JOJOに信用できると言われてこそばゆいのを隠すためだったのだから仕方ない。
僕はジョースターさんに、スタンドの研究や支援などをしている、スピードワゴン財団というところを紹介してもらった。
何かあったらここに連絡するように、とのことだ。
「でも大丈夫よ、パパ。典子ちゃんには承太郎がついてるんだから!」
「そうじゃな、見た目が若すぎてびっくりしたが、話してみればきちんとしたお嬢さんのようじゃし、承太郎、大事にするんじゃぞ」
「……やれやれだぜ」
 

ジョースターさんとアヴドゥルさんは今回のために来日してくれたようで、空条邸に一晩泊まって帰るとのことだった。
「わざわざすみません」
「なァに気にするでない。ホリィや承太郎、それに何よりお前さんに会いたかったからのう」
JOJOは始終渋い顔をしていたが、本気で嫌がっているわけではないようだった。
「大事(おおごと)にしちまってすまねえな」
「私にしてみたらこれ以上ないほどの大事だよ」
「てめー、自分のことは僕って言うんだろ」
「え?ああ、自分の頭の中ではね」
「じゃあ俺の前でもそう言え」
「ええ~?ちょっと痛いだろ?」
「?どっか痛むのか?」
「そういうわけじゃあなくて…うーん……じゃあ、君と二人の時だけな」
「おう」
僕の一人称を気持ち悪いと思わないでくれるなんて、友達っていいなあ、と思いながら、僕は空条邸をあとにした。

 
 
 

それから僕らは、学校の図書館とJOJOの家、どちらにも半々で行くようになった。
ホリィさんが美味しいお菓子を出してくれる空条邸はとても居心地がいいが、図書室の雰囲気も好きだし、新着図書を入れてくれるのはありがたい。
僕はその頃、数少ない図書室の他の利用者が、僕とJOJOが放課後デートしているから図書室に来る頻度が下がっているんだと思っているということに、全く気がついていなかった。
そんなふうに、僕らが本を片手に至極健全な友人としての付き合いを続けていた、ある日のことだ。
僕らはその時、学校の図書室で、テスト前ということでたんまり出された課題と格闘していた。
僕も勉強は苦手ではないが、JOJOが頭の回転が早いというのは本当で、少し詰まるようなところを彼に聞いてみると、非常に理解しやすく教えてくれる。
授業をよくサボるらしいのに、悔しい。
「……よし!生物はこれで終わりだ。英語は明日やろう。JOJO、君は?ちっとも進んでいないようだが?」
「俺は課題のノートなんざ出したことがねえな」
「今はよくても将来困るぞ、JOJO」
「てめー、そのJOJOっての…」
がらり、と音がして、一人の生徒が図書室に入ってきた。
反射的にそちらを向く。
長い茶髪をカールさせ、ミニスカートがほぼスカートとしての役割を放棄しているタイプの女子だ。
そういう子だって本を好きなんだろうし、別にそれはおかしなことでも悪いことでもないのだが。
彼女の問題は、JOJOを見て「えっ!」と声を上げたことだ。
「嘘ォ、JOJO!?こんなところにいたのッ、」
「うるせえ」
JOJOの声は決して大きくはなかったが、地を這うように低く強く、彼女どころか僕の体までをびくりと固まらせた。
「ここは図書室だぜ。静かにできねえなら出ていきな」
彼女はそれにビビったのか、「そう、じゃあ、またね、JOJO」と言ってすぐに図書室からいなくなってしまった。
「ええと…邪魔が入ったが、何を言おうとしていたんだい、JOJO?」
「それだ」
JOJOは僕に指を突きつけた。
「そのJOJOっての、やめろ。やかましい女どもと同じ呼び方はやめな」
「ええ?じゃあなんて呼べばいいんだい?空条くん?」
「承太郎でいい」
「そう?じゃあ承太郎」
JOJO、あるいは承太郎が低い声で脅しをかけた直後だったので、図書室はいつも以上に静かだった。
僕は、他の利用者の皆さんが心の中でざわっとしたのを、知らなかった。
僕はノートを閉じて鞄に入れ、本棚から持ってきていたファンタジー児童書を開いた。
主人公の少女が、氷の迷宮でキーとなる魔法の呪文を探している。
承太郎も本を開いて、僕らの間にはまた心地良い沈黙が落ちた。

 
 
 

彼のことを承太郎と呼ぶようになってから、僕らの距離は縮まったようだった。
空条邸で僕がSFの短篇集を読みふけっている時、煙草を吸っていた庭から戻った承太郎が、僕にこう話しかけてきた。
「花京院てめー、休日は何してやがる」
「休日?そうだな、家で本読んでるか図書館で本読んでるかだな」
「全く手の付けられねえ中毒者だな」
承太郎は僕の隣にうず高く積まれた本たちを見やった。
全てこの家の書庫から持ってきたSFだ。
今僕の頭の中では、宇宙船が飛び交い、惑星が成長し、人工知能を含む議会のメンバーがタイムワープを行っている。
「古い本には興味がねえか?」
「古い本?」
「100年前とか、500年前とかのものだ。俺も詳しくは知らねえが、○○駅の××デパートのギャラリーで、そういう本の展示をやってるらしい」
「えッなんだいその情報!気になるじゃあないか」
「今度の日曜、空いてるなら一緒に行くか?」
「行く行く!わあ、楽しみだなあ」
そうして僕らは、次の日曜、一緒に出かけることとなったのだ。

 

日曜までは特に何も起こらず過ぎていった。
いつもどおり、休み時間には僕の教室で承太郎に見つめられながら本を読み、昼休みは屋上で一緒にごはんを食べてから本を読み、放課後は図書室か承太郎の家で本を読み、ついでにいうと自宅に帰って夕飯を作って食べて、寝る前にも本を読むという日々だ。
そうしてやってきた日曜日、待ち合わせの11時半、僕は駅前の広場にいた。
休日の大きな駅だから、人で溢れている。
承太郎はどこだろう?
ポケベルなんて高いものは持っていないから、自分の目で見つけないといけない。
眼鏡をかけようか、と思いながら辺りを見渡すと、妙に人だかりのできているところがある。
どうして目についたかというと、その人だかりというのが、みんな黄色く高い声を上げている(服装の雰囲気から察するに)妙齢の女性ばかりだったからだ。
誰か有名人でも来ているのだろうか。
そちらをついぼんやりと眺めていると、なぜかその集団が、僕の方に近付いてきた。
露出度の高いおねーさんが、明らかに見下した態度で、文字通り僕を見下ろしてくる。
僕とは人種が違うというやつだ。
だからといって人種差別はやめていただきたい。
そりゃあ確かに僕は、パーカーにジーンズにスニーカーだが。
なお背が低いのをヒールでカバーするという作戦は、試してみたことがない。
そもそも低身長童顔オシャレセンスゼロの僕では、ヒールがこれっぽっちも似合わないのだ。
化粧っけもないしな。
で、なんでこんなおねーさんたちがと思っていたら、上の方から「おい、どけ」という声が降ってきた。
相変わらずいい声だな…って、もしかして。
首をぐぐぐいっと上に持ち上げると、見慣れた距離に人の顔があった。
「承太郎!?」
「てめー、小せえんだから俺の方を探せよ。すぐ分かんだろ」
「うっ、ごめん」
たしかに彼は背がとても高く、ちょっと足長すぎない?バランス大丈夫?という気になるくらいなのだが、それは彼が一人でいるときの話であって、人だかりの中で全身が見えない状況では、「あ、あの人背が高いな」くらいに見えてしまうのだ。
多分周りのおねーさんたちが(僕とは違って)たっかいヒールを履いているのもあると思う。
承太郎の服装も、いつもと違うし。
彼の私服は、何やらカッコつけたベルトの飾りのあるシャツと長いコート、それに色を合わせたズボンだった…シルエットは学ランに近いぞ……。
頭の上に黒とは別の色が見えるから、帽子も被っているようだ。
承太郎が僕に話しかけたことで、彼を取り巻いていたおねーさんたちが色めきだった。
「嘘でしょ」とか「こんな子と」とか「妹?似てないけど」とか聞こえてくる。
こんな子で悪かったな、同い年ですよ。
ところが承太郎は、腕を引くおねーさんたちに「うるせえ」と低い声を出した。
僕に話しかけた時とは大違いの威圧感でもって。
一気に静かになった周りを無視して、承太郎は僕に「行くぜ」と声をかけて歩き出した。
助かった、のだが。
「じ、承太郎、ちょっと待ってくれ」
「どうした、忘れもんか」
「そういうんじゃあないんだ。君、歩くのが速い。君と僕とじゃあ足の長さが違うんだよ」
そう言うと、承太郎は僕の足を見下ろした。
「…細ェ」
「そういう話をしているんじゃあないッ!」
「分かった分かった。俺が先に歩くと、どうしても置いてっちまうな。てめーが前を歩け」
「ええ~?嫌だよ、君を後ろに引き連れるとか、どんな猛獣使いだよ。せめて隣を歩いてくれ」
「仕方ねえな。速かったら言えよ」
「速い」
「……こんくらいか」
「ああ、そのくらいで頼む」
そうやって僕らは、お目当ての展示をやっているデパートまで歩いていった。
気を抜くと承太郎はすぐ(僕からすると)大股で歩いて行ってしまうので、しばしばコートを引っ張らなければならなかった。
承太郎は学校一のモテ男だが、それは町でも変わらないらしい。
そりゃこんだけスタイルよくて存在感抜群のオーラを出してたらな。
承太郎に目を奪われて振り向いた人々は、次に僕を見て、それから何やら連れと言葉を交わす。
また似てない妹とか言われてるんだろうか。くそ。
お出かけに使えるカワイイ服とか持ってないんですよ。
デパートのある大通りまで来て、承太郎が「飯はどうする?」と聞いてきた。
「僕はあまりお腹が空いていないし、君に任せるよ」
「そうか。じゃあ適当に、デパートん中に入ってるところでいいか」
「はッ!?ちょ、おいおいちょっと待て」
「今度は何だ」
「何だじゃあない。デパート内のレストランとか、味は問題ないだろうがね、お高いんだぞ、このボンボンめ!」
「別に俺が持つぜ」
「それが君の稼いだお金なら僕もごちそうにならないこともないが、君のそれはお小遣いだろう。嫌だよ。軽食屋か食べるものを出す喫茶店を探そう」
承太郎は苦い顔をしていたが、僕はさっさとそういう店を探し始めた。
やがて、サンドイッチのメニューが充実している喫茶店を発見し、僕らはそこに入った。
僕はトマトと卵の入ったやつを、承太郎はカツの入ったやつとツナの入ったやつを2皿も頼んだ。
休日の昼はどの店も混雑していて、サンドイッチはなかなか出てこなかった。
僕らはその間、この前読んだ本について意見を出し合った。
「1巻は確かに面白い冒険小説だったが、2巻はちょっと、最後の数ページで畳みすぎじゃあねえか」
「2巻はどちらかというとキャラ小説だよな。3巻は読んだかい?」
「まだだ」
「そっちは冒険小説に戻ってるんだが、1巻と比べると見劣りするなあ」
「そうか」
そんなことを話している間に、僕らのもとにサンドイッチが運ばれてきた。
わりあい大きなそれを、承太郎はばく・ばく・ばくとあっという間に平らげてしまった。
「早ッ」
「おめーが遅いんだ。小鳥みてえにちまちま食いやがって」
「よく噛んで食べないと大きくなれないぞ」
「お前はもうちっとジョークのセンスを磨け」
仕方ないだろう、ジョークを言い合う友達なんていなかったんだから。
僕も頑張ったが、とうとう最後の1枚、3分の1ほど残してギブアップした。
承太郎に頼んだら一口で消し去ってくれた。強い。
それからコーヒーを飲み干して、僕らは目的のデパートに向かった。
ギャラリーは広くはなかったが、とても面白かった。
「承太郎、見てみろ。この絵本、全ページに金箔が使ってあるぞ。綺麗だなあ」
「結構色が残ってるもんだな。何の話だ?」
「これはいわゆる『見るなのタブー』の話だ。一人の少女が、マリア様に禁じられた扉を開けてしまって天国から追放され、通りがかった王様に見初められるシーンだな」
「あー、なんか聞いたことあるなそれ。こっちも同時期の絵本だな」
「しかけ絵本か。ここを引っ張ると道化が動くんだな」
「パンチとジュディか」
「それは知ってるんだな」
パンチとジュディといえば、イギリスの方の童謡のイメージがあったから意外だったのだが、他の文学でも引用されることがしばしばあるから、クック・ロビンほどではないだろうが、有名なのかもしれない。
「おっ見ろ承太郎、東京五輪のムックだ」
「へェ」
「そういえばこの前、この頃を舞台にした小説を読んだな。冴えないサラリーマンが活躍するんだ。このへんは比較的新しい雑誌が多いな」
「あっちの方に中世の数学書があったぞ」
「数学書はさすがに、ストーリー性のあるものしか読んでないなあ」
「てめーにも苦手な本があったとはな」
「専門的な論文はさすがに読めないというだけで、数学自体は別に苦手じゃあないからな?」
「そいつは知ってる」
僕らはそこで、(もちろん小声で)たいそう盛り上がった。
展示はとても楽しかった。
全部見終わる頃には、承太郎が「小腹が減った」と訴えたくらいだ。
「このデパート内にもサ店があったろ」
「目玉が飛び出るほど高いんじゃあなければ、そこに行こう」
幸いなことに、そこはデパート内にしては良心的なお値段で、僕らはそこで休憩することにした。
「明日からは数学の論文でも読み始めようかな」
「おい」
「冗談だよ。でも、楽しかったよ。展示のこと教えてくれてありがとな」
「あー…まあ、俺も楽しかったからいい」
それから承太郎が、なぜだか黙りこんでしまったので、僕は鞄から本を出して読むことにした。
生物学の先生が、生徒と一緒にイノシシの罠を作っている。
承太郎はテーブルの向こうで、僕のことをじっと見つめていた。
僕はミルクティーを飲み終わり、承太郎は結構なサイズのホットケーキを食べ終わって、僕らは帰路についた。
僕と承太郎では降りる駅が違うのだが、彼は僕のうちの最寄駅と同じ切符を買った。
「何か用でもあるのか?」
「家まで送る」
「別に大丈夫だよ、駅から家まではすぐだし、そんなに時間も遅くない。いつも図書室や君の家から帰る時刻を考えたら早いくらいだ」
僕はそう言ったのに承太郎は譲らず、結局家の前まで送ってもらってしまった。
「十分暗いじゃあねえか。明日からは学校帰りも送るぜ」
「はあ?いいよそんなの。電車代もったいないし」
「チャリならそんなに離れてねえだろ」
「まあな……僕、朝はあまり強くないから電車通学してるが、自転車でも行けない距離じゃあないと思う」
「俺が朝、チャリで迎えに行く。てめーはケツに座れ。帰りもそれで送る」
「ちょ、ちょっと待て。そこまでしてもらう理由がない」
「本当に?」
承太郎の声は、はっとするほど真剣だった。
「本当に、理由が分からねえのか?」
「……君が…僕のことを……珍しく思って気に入ってるのは…分かってる」
「珍しがってたのは最初だけだ。俺は他の誰も家に上げたことはねえし、一緒に出かけたこともねえ」
「そんなことを…言われても……僕にはどうしたらいいのか…」
「俺と付き合え」
「…命令形かい」
「はい以外聞く気がねえからな」
「僕は…、……活字中毒だぞ」
「知ってる。初デート中に本読むくらいだからな」
「かわいくないし」
「そうか?俺は今日パーカーに目覚めた」
「何だそれ…ええと……そうだな、背が低い」
僕がそう言うと、承太郎はあろうことか、遙かなる高みから僕の頭の上に手を乗せた。
しかもぐしゃぐしゃ撫ぜてくる。
「ちょ、おい、やめろ」
「たいして髪の毛セットしてねえだろ」
「そうだけどさ!」
「そういうところも好きだっつってんだよ」
「………好き」
好き。
承太郎が。
僕を。
突然体中あちこちが、ふつふつと湧き出すように熱くなった。
顔なんかきっと真っ赤だ。
承太郎はそんな僕を見ても、少しも笑ったりしなかった。
「俺はお前のことが好きだ。お前は?」
「僕は………僕も……君のことが………好き、だよ」
絞りだすようにそう言うと、突然体が浮いた。
承太郎に腕を引かれ、その広い胸の中に抱きかかえられたのだ。
承太郎の体も熱い。
抱きすくめられた僕の耳に、どくんどくんという心臓の音が聞こえる。
承太郎は、僕が「潰れる、潰れる」と背中を叩くまでずっと、僕の体をぎゅうぎゅう抱きしめていた。
やっと体を離した承太郎は、その大きな手を僕の顎に添え、くいと上を向かせた。
経験が皆無だった僕は、キスをされるのだということに全く気が付かず、ぽかんとした顔のまま近付いてくる承太郎の顔を眺め―――
「うええええええああああああおおおおおおッッッ!!!??」
「何だどうした、スタンドは出てねえぞ」
「いや、ちが、えっ、えッ!?はあ!!?君そんなイケメンだったのか!!??」
「……は?」
「目とか緑なのか!?嘘だろ!?詐欺じゃあないか!!?聞いてないぞ!!!」
「………てめーは何を言ってる」
「いや!だから!!君の顔がそんな整ってるなんて知らなかったんだよ!!!」
「…………俺はてめーとぶつかった時からこの顔だが」
「………………見えてませんでした」
一体どういうことかと問い詰めてくる承太郎にシラを切ろうとして失敗し、僕は洗いざらいをぶちまけることとなった。
「つまりてめーは、背が低いのと目が悪いののせいで、俺の顔がまともに見えていなかったと」
「はい……。でも仕方ないだろ!?君の顔、50センチ以上も上にあるんだぞ!?首を上げるのだってつらいんだぞ!」
「俺はいつも首を下に向けてるんだがな」
「うっごめん…」
「だがそんなに目が悪くて、本が読めるのか?今日の展示だって…」
「近くのものなら大丈夫なんだ。本の読み過ぎで目を悪くしたようなもんだしな。遠くのものを見る必要があるときだけ眼鏡してる」
「ハァ―――……」
承太郎は大きなため息を吐いて、ずいと顔を近づけた。
Oh…本当に美形だ……びびる……。
「いいか、これが俺の顔だ。覚えろ」
「ハイ」
「あと、俺とお前は本日付で恋人になった。これも忘れんなよ」
「ハイ」
「明日の朝、ここまで迎えに来んぞ。待ってろ」
「ハイ」
「聞いてんのか」
「聞いてます」
承太郎はすっかり固まってしまった僕を見下ろしてもうひとつため息をつき、それからいきなり身をかがめて、僕の頬に小さな音を立てて軽いキスをした。
「ファッ!?」
「今日はこんくらいにしといてやる。明日からは覚悟しとけよ」
「か、覚悟」
目を白黒させている僕にニヤリと笑いかけて、承太郎は身を起こした。
それからまた、僕の頭をぐしゃぐしゃにした。
「引き止めて悪かったな。じゃあ、また明日」
「あ、うん。……おやすみ」
そうして僕らは別れた。
いろんなことが起こりすぎて頭の中がほとんどフリーズ状態だった僕はその日、何度か読んだことのある詩集だけ呼んで眠りについた。
詩の中では誰も座っていなかったはずの椅子の上に、夢の中では承太郎が座っていた。

 
 
 

次の日からも僕の生活は、そんなに大きく変わったわけではなかった。
まあ大体が、本を読んでいると思っていただければいい。
承太郎が漕ぐ自転車の上で、片手で文庫本を読もうとしたら怒られたくらいだ。
だって電車の中では読んでたんだもん。
まあでも本を落としたら嫌だからな。
承太郎の運転はものすごく速かった。
原付バイクとか平気で追い抜くレベルだ。
スタープラチナ(というのが彼のスタンドの名前だ。すごくロマンチックな名だ)を使えばもっとスピードが出るぜ、と言われたが丁重にお断りした。
あと他に変わったことといえば。
承太郎は、僕が彼の顔を知らずに付き合っていたのを根に持っているようで、事あるごとに顔をめちゃくちゃ近付けては「忘れんなよ」と言ってくる。
大丈夫だ。
大丈夫だから承太郎、顔が近い。
見てみぬふりをしてくれる他の生徒たちの空気がつらい。
僕の方はどうしても彼の顔に慣れることができなくて、つい顔をそらしたり目を高速で瞬いてしまったりする。
なにせ、何度見せられても毎回腰を抜かすほどのハンサムなのだ。
「やれやれ、いつになったらキスができるんだ」
「キッ…!?」
こうして僕らの日常は続く。

 
 
 

(花京院典子は背が低い)