3-B教室のテンメイさん

「テンメイさん、テンメイさん、×××くんは誰のことが好きですか」

母校に悪霊が出る、という話を聞いた空条承太郎は、久しぶりに日本の実家に戻ってきていた。
母ホリィが歓迎してくれて、香りの良い紅茶とマフィンを出してくれる。
そのままお茶を飲みながら、彼女は例の『悪霊』について話してくれた。
「××高校で流行ってるらしいのよ~。お向かいの××さんが詳しくてね、教えてくれたの」
ママ友ネットワークの情報によると、それはいわゆるこっくりさんの亜種であるようだった。
ただ、その名前が。
「テンメイさん、か」
「ええ。天命さん、なんてこっくりさんやエンジェルさんに比べると仰々しいわよね。ヴィジャ盤に親しみやすさなんてあってもろくなことはないけど……承太郎、どうかした?」
「……いや、なんでもない」
そのとき承太郎が思い出したのは遠い異国の地でのことだった。
怪しい老婆が怪しいホテルに案内してきたので、示し合わせて宿帳に偽名を書いたことがあったのだ。
そう、あのとき。
「──テンメイ?」
「そう、ほら、典明って漢字を音読みするとテンメイになるだろう?昔母親に聞いたことがあるんだけれど、実はぼくの名前は漢字が先に決まっていて、読み方はノリアキとテンメイで迷ったそうなんだ。ふふ、君のQ太郎というのはどこのゴーストかな?」
「いくらでもゴーストの出そうな雰囲気だろ」
「確かにね」
そう言って笑いあった、あれはもう何年前のことだったか。
あのホテルは一種の幻覚だったからもうないし、そもそもあの街は実際には廃墟だった。
そしてあのとき笑いあった彼は旅の終わりに死んでしまったからもういない。
何もかも、何もかももう存在していないのだ。
「それでね、ただのお遊びヴィジャ盤だったらよかったんだけど」
母の声に、承太郎は現実に引き戻された。
「特定の質問をしてはいけないってルールもよくあるものだわ。だけどその質問をした生徒の前に、本当に『悪霊』が現れるとなれば話は別よね」
そう、今回の問題はそこである。
ただこっくりさんの亜種というだけならスピードワゴン財団の調査に引っかかることも、忙しく海外を飛び回っている承太郎にその案件が回ってくることもなかっただろう。
現れた悪霊とやらも単なる噂や見間違い、あるいは生徒の狂言ではないと思ったほうがいい。
調査資料によれば、生徒の中にスタンド使いであることが確認できたものはいないということだ。
だが本人が未自覚の場合や物質同化型のスタンドの例もある。
スタンド関連の事件である可能性がある、そうでなくても謎の超常現象が起きているということで承太郎にお鉢が回ってきたというわけなのだ。
こうして承太郎は、己が母校に忍び込むことになったのだった。

草木も眠る丑三つ時。
空条承太郎は高校の敷地内にこっそりと侵入した。
監視カメラのついている校門は無視、生け垣とフェンスをひとっ飛びで乗り越えての犯行である。
悪行をはたらく気はないので許して欲しい。
悪霊が出てくる教室は決まっているとのことなので、大股でさっさと該当の教室3-Bへ向かった。
そこは二階の端から二番目の教室だった。
この高校は一階に職員室や医務室などが集まっており、一階は3年生の教室となっている。
3-Bの教室は床に一部修繕したあとがあった。
不思議に思った承太郎だったが、見取り図を思い浮かべて納得した。
ここはちょうど医務室の真上の教室である。
この高校の医務室とその周辺は、一度大きく破壊されたことがあるのだ。
承太郎は学生用の小さな椅子を引っ張り出して腰掛け、机の上に持ち込んだ懐中電灯と用意してきた紙、そして5円玉を置いた。
紙には『あ』から『ん』までの五十音と数字、『はい』『いいえ』の文字が書かれており、それらの文字の上に簡易的な鳥居のマーク、及び階段・・の図形が描かれている。
ちょうど神社の前の階段を図で表しているようだ。
テンメイさんは人数に指定がないので、一人でも呼び出せるだろう。
まず5円玉を鳥居のマークの上に置き、人差し指を添えて特定の文句を唱えながらゆっくり階段のマークまで動かす。
「『テンメイさん、テンメイさん、こたえてくれますか』」
承太郎の人差し指がぴくりと動いた。
それから5円玉はゆっくり『はい』の位置に移動した。
承太郎は冷静にその様子を観察した。
「『テンメイさん、テンメイさん、』」

「テンメイさん、テンメイさん、明日は服装チェックがありますか?」
「いいえ、だって!おしゃれして告白チャンスじゃん?」
「えー、やだー!」
「いいじゃんー!」
「じゃあ次あたしね。テンメイさん、テンメイさん、定太郎ジョータローくんは誰のことが好きですか!」
それは定番の質問だった。
そのはずだったのだ。
なのにその質問がなされた途端、5円玉は激しく紙の上を動き始めた。
机を囲んでいた女生徒たちから悲鳴が上がる。
彼女たちは恋に関する質問がしたかっただけで、ホラーな展開など求めてはいなかったのだ。
やがて5円玉は『はい』と『いいえ』の間を高速で行ったり来たりし始めた。
「なにこれ、なにこれ」
「なん、なんでぇ、しちゃいけない質問じゃなかったのに」
「お、おかえりください、テンメイさん、テンメイさん、おかえりください!」
「ヒッ!?」
「なに、」
「うしろ!うしろ!」
「ヒィ!!」
「キャアアアァァ!!!」

以上が、一番最近に悪霊が目撃された状況だ。
ここまで符合があって、に無関係だろうとは承太郎は思えなかった。
悪霊の見た目は目撃した人によってまちまちである。
ぼんやりとした影のようだったと言うもの、自分たちと同じくらいの高校生に見えたと言うもの、血まみれでずぶ濡れのおばけらしいおばけだったと言うもの、あるいは人とは思えぬ緑色の体表をしたクリーチャーだったと言うもの。
どれもこれも懐かしい──否、血まみれのずぶ濡れは見ていないな、と承太郎は思い直した。
血まみれのずぶ濡れであったところを回収され、ある程度清められた遺体をしか自分は見ていない。
腹に穴を開け、大量の血にまみれ、壊れた給水タンクから流れる水でしとどに濡れたその姿は、己の想像の中でしか見たことがない。
「……『テンメイさん、テンメイさん、明日の天気はなんですか』」
5円玉が動く。
『は』『れ』
「『テンメイさん、テンメイさん、明日のプロ野球、巨人と中日どちらが勝ちますか』」
『ち』『ゅ』『う』『に』『ち』
「『テンメイさん、テンメイさん、あなたの好きな球団はどこですか』」
『き』『ょ』『じ』『ん』
「『テンメイさん、テンメイさん、あなたの好きな俳優は誰ですか』」
『た』『む』『ら』『ま』『さ』『か』『ず』
「……『テンメイさん、テンメイさん、あなたの名前はなんですか』」
水の匂いがする。
カビ臭い水の匂いだ。
一番最近の例ではじょうたろう・・・・・・くんの好きな人を尋ねたというが、それは例外パターンだった。
その他の目撃パターンはすべて、してはいけない質問をした場合である。
人は禁止されているものほどしたくなるものなのだ──特に高校生にとっては。
テンメイさんに聞いてはいけないもの、それはテンメイさんの名前である。
それを初めて尋ねた学生が、なぜそんなものを聞いたのかは定かではない。
テンメイさんと呼ばれているのだからそれが名前だと思うのが普通だろう。
ただの悪ふざけだったのか、この変則こっくりさんの正体を暴いてやろうとでも思ったのか。
とにかくその生徒はテンメイさんにこう尋ねた。
「あなたの名前はなんですか」、と。
そして今、承太郎も。
水の匂いはだんだん強くなってきた。
もう、すぐ背後から漂ってきている。
だが気配はない。
幽霊だからだろうか?
承太郎は以前会ったことのある幽霊を思い出した。
彼女は例の小道の中では、一見して死んでいるとは分からない見た目と気配をしていたが、すべての幽霊がそうとは限らないのかもしれない。
あるいは今後ろにいるのが、幽霊ではないのか。
「テンメイさん、テンメイさん、あなたの名前は……花京院典明ですか」
一気にサビ臭さが強くなる。
いや、これはサビではない。
承太郎は机を蹴って立ち上がった。
テンメイさんも似たようなこっくりさんのたぐいの例に漏れず、硬貨から手を離してはいけないとか手順を踏まないと終わってはいけないとかいったルールが定められているが、そういうものは全部無視した。
勢いよく振り向いた先にいたのは──
「……てめーがテンメイさんか」
それは確かに、悪霊と呼ぶにふさわしい姿をしていた。
ヒト型で、もとは緑色だったのだろう長ランを水と血で黒く染めている。
前髪が片方だけ長い赤毛は水に濡れてべったりと顔に張り付いていた。
その顔には血の気がなく、表情がなく、眼球がなかった。
腹に空いた穴と同じようにぽっかり空いた眼孔が、音もなく承太郎を見つめている。
「テンメイさん、か。なるほどな。じゃあてめーは」
承太郎は右手を強く握った。
途端に彼の体から精神のビジョンが発現した。
その目は怒りに燃えている。
「花京院典明じゃあねーってことだ」
それはただひと目見れば分かった。
これ・・は彼ではない。
彼の忘れ形見ですらない。
彼の見た目やちょっとした情報だけを下手になぞっているだけで、直接の関係は何もないだろう。
それは承太郎のスタンド、スタープラチナが姿を見せても一瞥さえしなかった。
承太郎も出し・・はしたが、スタープラチナで殴りかかるような無駄な真似はしない。
これはスタンドではないからだ。
スタンドとは、人や動物の精神の形が姿を取ったものである。
だがこれは違う。
これはおそらく、怪異、と呼ばれるものだ。
承太郎にとっては専門ではない。
まだ知り合いの漫画家のほうが経験豊富だろう。
だがこれが、自分の専門スタンド案件でないことくらいは分かる。
だから承太郎はスタープラチナの拳を、真下に振り下ろした。
頑丈に作られている学校の校舎も、スタープラチナの前では紙でできたふすまに等しい。
教室の床は轟音を立てて崩れ、承太郎も受け身を取りながら落ちていった。
例の悪霊は悪霊らしく足がなく浮いていたが、承太郎について抜けた穴から下りてきた。
階下は、そう、医務室である。
「てめーのその姿と関連があるのはここしかねえ。あいつ・・・は結局、この学校には通わなかったからな」
彼がこの学校に転校してきたというのが本当のことなのかDIOの影響で口にしたでまかせなのか、今やそれすら定かではない。
彼はあのエジプトで命を落とし、とうとうこの地に帰ってくることはなかったのだ。
日本を発ったときに隣りにいたぬくもりは失われた。
──失われて、久しい。
彼はもうどこにもいないのだ。
こんな、怪異に成る・・ような思い出は、こんなところにはない。
怪異は承太郎の専門とするところではないので、明確な解決方法が頭に浮かんでいるわけではない。
だがこの医務室のほうが、より怪異の核に近いだろうと踏んだのだ。
あの教室で5円玉に人差し指を添えている限り、怪異のルール内に閉じ込められていることになる。
素人が怪異のルールを無理やり破ろうとするのは逆効果であることも多いが、ここにいるのはただの調査員ではない。
最強のスタンド使い、空条承太郎である。
スタンドバトルでも相手スタンドのルール内で裏をかくより、ルールごとぶち壊してしまうのがこの男の戦い方なのだ。
ましてや相手は怪異、それもおそらく『場』が生み出したものだろう。
彼の姿を怪異に写すような人間が、今のこの高校にいるはずがないのだから。
であれば、この怪異のことは自律型スタンドとみなしてよいだろう。
主を持たず、これといった命令も与えられておらず、ただルールのとおりに動くだけの。
「にしちゃずいぶん見た目が悪趣味だがな」
承太郎には霊感というものが、少なくとも自分で思っている限りはないが、だが彼にはスタープラチナがある。
素早く懐中電灯で照らしただけの室内だが、スタープラチナの目はすぐに違和感を拾い上げてきた。
それは医務室の壁である。
壁の一部だけが真新しい理由に、承太郎はもちろん思い当たっている。
それはそうだろう、なぜならそこは他でもない承太郎が壊したところだからだ。
あのときも今と同じように、スタープラチナで敵と対峙していた。
だが敵は違う。
敵はこんな、過去の残滓などではなかった。
相手は妖しく目を光らせた彼だった。
洗脳下で卑劣な言動をしてはいたが、しかしこんなただ怒りのみが湧くような相手ではなかったのだ。
承太郎は医務室の壁の真新しい部分を狙って拳を振るった。
壁は上階の床と同じようにあっけなく崩れ去った。
なお、後処理は財団に任せることとする。
壁の中身、というか材質は当然のことながら鉄筋とコンクリートである。
だがスタープラチナは、暗闇の中でも異質なものを発見していた。
「この白いもの……定番なら人骨ってとこか。裏になんかの事件が隠されてそうだが、ここから先はおれの仕事じゃあねえな」
承太郎は折れた鉄でも砕けたコンクリートでもないものをつまみ上げ、暗い眼孔で見つめてくる悪霊に向けて差し出した。
「これがお前か?自分自身・・・・の姿を取ってねえってことはおおかた変質しちまってんだろうが、『出た』原因はこれだろう」
悪霊は黙っている。
そういえばこいつは、質問に答えはするが言葉を発しはしなかったな、と承太郎は思った。
意思というものがもうないのだろう。
ほとんどシステムのような怪異だ。
「おれはこいつを所属機関に報告する。そこがまあ、うまいこと言って警察に通報するだろう。なにか超常現象じゃあない理由をつけて、偶然壊れた壁から白骨が出てきた、みたいにな。そうすりゃおめーの身元も、おめーを埋めた犯人もすぐ見つかるだろうさ。万が一そううまく事が運ばなかったとしても……この骨そのものは供養される。それは間違いねえ」
承太郎の言葉を聞いて、悪霊は小さく頷いた。
あるいは小さく首を傾げた。
その拍子に、濡れそぼったそれの顔からぽとりと一つ水滴が落ちた。
そしてそのまま、それは音もなくすうっと姿を消した。
「……やれやれだぜ。これでもうガクセーの呼び出しに出てこなくなりゃあいいんだがな」
だがその調査は優秀な職員がやってくれるだろう。
承太郎はひとまず解決したとして、その日は帰ることにした。
一人の帰り道、なんだか妙に肩が軽い気がするのは、きっと気のせいだ。