赤ずきん

元ネタはニコミさんのツイートより。

承太郎には最近、気になる相手がいる。

名前は知らないから、承太郎は彼のことを赤ずきんと呼んでいる。
いつも赤いフードを被って森を歩いているからだ。
黒と緑が多い森の中で、彼の赤はよく目立つ。
承太郎はいつも、彼が食べられてしまわないか心配していた。
悪い狼に、つまり俺みたいなのに捕まりはしないか、と。
赤ずきんは人間であるから、狼の承太郎には年の頃ははっきり分からないが、まだ少年であることは確かだ。
彼はいつも腕にバスケットを下げ、ひとりきりで森の中を歩いている。
そうして彼は、森の奥にある小屋に入っていく。
夕刻、日が沈む直前くらいの時刻に、彼はそこから出てきて町の方に帰っていくのだ。
彼を襲う狼や熊やその他の獣がいないか、承太郎はいつも目を光らせていた。

その日も承太郎は、赤ずきんのあとをこっそり追っていた。

赤ずきんはとても痩せている。
腰など折れてしまいそうなほどだ。
よく肥えているとは到底言えず、美味しそうには見えないはずなのだが、承太郎は彼のことがとても気になっていた。
そしてその日承太郎は、とうとう赤ずきんに話しかけてみたのである。
がさり、と音を立てて彼の前に姿を見せると、赤ずきんは一瞬、驚きに目を見開いた。
ところがすぐに、………満面の笑みを見せた。
赤い、花がほころぶようだった。
承太郎の方がびっくりして、しばらく動けなかったくらいだ。
俺は凶暴な狼で、こいつはか弱い人間なのに、どうしてこんな顔で笑うんだ?
「こんにちは、狼さん。僕を食べに来たのですか?」
「いや、そういうわけじゃあ、ねえ」
「では何か、ご用があるのですか?」
「その、お前はいつも、こんな森の中で何をしているんだ?」
「森の奥の小屋に、僕のおばあさんが住んでいるのです。体を壊してしまったので、お見舞いに食べ物や飲み物を届けているんですよ。狼さんの食べ物は肉でしょう?」
「いや、ああ、それはそうだが。俺はお前を食べたいわけではなくて」
言ってから、承太郎は自分で驚いた。
俺はこいつを食べたいんじゃないのか?
だったらどうして話しかけたんだ?
「………その。見舞いに行くのなら、花でもあった方が喜ぶんじゃあねえか」
「花?」
「ああ。綺麗な花が咲いているところを知っている。ついてきな」
承太郎はそう言って歩き出した。
正直ここで逃げられると思っていたのだが、赤ずきんは何も言わずにあとに従ってきた。
警戒心というものがないのだろうか。
いやむしろ、心なしか浮き足立っているようにすら思える。
承太郎は、自分だけが知っている花畑へ赤ずきんを案内した。
惜しいことだとは思わなかった。
他の誰にも教えたことのない場所だったが、なぜか彼には見せてもいいと思えたのだ。
赤ずきんは花畑を見て目を輝かせた。
「とても綺麗だ!」
「だろう。いくつか摘んでいくといい」
「そうだね」
赤ずきんはバスケットを置くと、色とりどりの花々を摘み始めた。
承太郎はそんな彼の横顔を盗み見てみた。
すっと通った鼻筋、長いまつげ、広い口、ゆるくウェーブのかかった前髪。
承太郎は知らず喉を鳴らしていた。
こう見れば、脂は乗っていないが、十分うまそうだ。
俺がこいつを食うんだったら、骨の髄まで全部かじり尽くして吸い尽くしてやる。
「このくらいかな?」
赤ずきんが顔を上げた。
承太郎ははっとして、先ほどまで考えていたことを頭の隅に追いやった。
「狼さんには、はい、これ」
彼は笑顔を見せると、承太郎の頭の上にふわりと花冠を乗せた。
「俺にこんなものを寄越しても、なんにもならねえぞ」
「そんなことないよ。君はとてもハンサムだから、よく似合ってる」
承太郎は不満気に鼻を鳴らしたが、冠を脱ぐことはしなかった。
それから赤ずきんは、花をバスケットの隅に詰めて立ち上がった。
「さあ、僕はおばあさんのところに行くよ」
「そうか」
「……行ってしまうよ?」
「ああ、行くといい。道が分からなくなったのか?」
「そういうわけじゃあ……うん、そうなんだ。よかったら案内して欲しい」
「いいぜ」
承太郎は腰を上げ、赤ずきんを伴って歩き始めた。
赤ずきんは、後ろでずっと静かにしていた。
赤ずきんがいつも通っている小道に出て、承太郎は「じゃあな」と言って背中を向けた。
「あ、ま、待って!」
「どうした?」
「ええと、君はその、僕のこと……いや、今日はありがとう、って。また明日も会えないかい?」
「いいぜ。明日またこの小道に来る」
「ああ、うん……」
承太郎はそうして姿を消した。
一人取り残された赤ずきんは、小さくため息を付いた。

それから承太郎は、毎日赤ずきんの前に現れた。

赤ずきんは毎回大げさなほどに喜び、一緒に花畑へ行くのだった。
何日かそんなことを続けていくうち、赤ずきんは承太郎にも慣れて、そのごわごわした黒い毛に手をすべらせることすらあった。
赤ずきんからは、花の匂いがした。
そのたび承太郎は腹の底が声を上げるのを感じたが、無視することにしていた。
だのに、赤ずきんの方からこう言ってくるのだ。
「なあ、僕にはそんなに魅力がないのかい?痩せているのがいけないのか?君はいつになったら僕を食べるんだ?」
「………食わねえよ」
「なぜ?」
「なぜって、お前とこうやって話すことができなくなるからだろう」
「そうか」
「そうだ」
承太郎には、彼がなぜ泣きそうな声をするのかが分からなかった。

そんなふうに二人で過ごしていた、ある日のことだ。

承太郎は赤ずきんと別れても、こっそり木立の影から彼を見守っている。
そこで気が付いたのだ。
森から出て町へ帰っていく赤ずきんが腕から下げているバスケットから、昼間摘んだ花が覗いていることに。
見舞いに行ったなら、あれはおばあさんとやらの家にあるはずだ。
もしかして、追い返されたのか。
承太郎は頭にきた。
せっかくあいつが手ずから摘んだ花だというのに。
それに、肉親というなら言ってやりたいこともある。
あいつが日々痩せていっていることについてだ。
やつれていると言ってもいい。
もっとちゃんと食わせてやれ、と。
そういったことを言ってやろうと、承太郎は一人で森の奥の小屋までやってきた。
小屋は静かだった。
静かすぎる。
暖炉にくべるための薪も見当たらない。
承太郎は鼻をひくひくさせた。
台所の匂い、洗濯物の匂い、そして人の匂い。
そういったものが、一切感じられない。
何か急激に嫌な予感がして、承太郎は小屋の扉を体当たりで開けた。
そこに広がっていた光景は。
小屋の中には、砂や埃や雑草が入り込んでいた。
床もところどころ抜けているし、足の折れた椅子も転がっている。
承太郎は「おばあさん」がいるだろう寝室に入ってみた。
ベッド、の残骸、の上にあるものは、ただ重い空気のみだ。
そのベッドの前には、枯れかけた花が置いてある。
赤ずきんが摘んでいた花だ。
彼はいつもここで、たった一人で一日を過ごしていたのだ。
いったい、なぜ。
承太郎は小屋を出て、自分の巣までとぼとぼ歩いて帰った。
なぜだか全く分からないが、なんだかとても惨めな気分だった。

次の日承太郎は、いつものように小道で少年を待った。

やってきた赤ずきんは、いつにもまして痩せて顔色が悪かった。
それでも彼は、笑顔を浮かべた。
「狼さん、こんにちは。今日もお花畑へ連れて行ってくれるかい?」
「駄目だ」
「え?」
赤ずきんは目をぱちくりさせて狼を見やった。
緑の瞳が、危険な雰囲気に燃えている。
「お前の『おばあさん』は俺が食った」
「え…」
「頭からぺろりと平らげた。だからあの小屋には、もう誰もいない」
承太郎がそう言うと、赤ずきんははっとした顔になった。
「見たのか……」
「ああ。お前はあそこで何をしている?何もない廃屋で、存在しないやつを相手に?」
「君に会いに来てたんだ」
「何?」
赤ずきんはふうっと息を吐くと、草の上に座り込んだ。
それからバスケットの蓋を開けてみせた。
そこに入っていたのはパンでもワインでもなく、ただの石ころだった。
「僕ははじめから、この森には、君……狼に会いに来ていたんだ」
「何のために?」
「食べてもらうために」
赤ずきんはうつむいて、赤いフードのせいで表情が見えなかった。
「もう、食べるものがないんだ。麦も豆も野菜も不作で、もちろんお金もない。母さん一人が食べていくので精一杯さ。僕を育てる余裕なんてないんだ。だから僕は、狼に食われてしまうように、と、森に寄越されていたんだ」
承太郎は彼に近付いて、鼻先でフードを押し上げた。
彼は泣いているような笑っているような、歪んだ顔をしている。
「だから、初めて君に会ったとき、これで食べてもらえるって……やっと終われる、って思ったんだ。だけど君ときたら、僕を食べてくれる気配も見せないし、優しくしてくれるし、……君のせいで、死にたくないなんて思うようになってしまって……」
「……死にたいなんて言うな」
「死ぬしかないんだよ!」
赤ずきんががばりと顔を上げたので、涙がきらりと飛んだ。
承太郎はふと、その光が綺麗だ、と場違いなことを考えた。
「分かった。お前は俺の腹の中に入るために、この森に来ていたんだな?」
「そうだ。僕がいなくなって悲しむ人なんてどこにもいない。さあ、僕を食べてくれ」
「……ついてこい」
承太郎はいつもの花畑への道とは別の方向へ歩き出した。
赤ずきんは静かに後ろをついてきた。
着いた先は、小さな洞穴になっているところだった。
一匹狼の承太郎が巣にしているところだ。
赤ずきんは、巣の奥の方に置いてある花冠に目を留めたようだった。
すっかり茶色くなってしまったが、捨てるに捨てられなかったものだ。
「ここは君の家かい?」
「そうだ。ここで待っていろ」
赤ずきんは言われた通りに腰を下ろした。
承太郎は彼を残し、また森の中に出かけていった。
帰ってきたとき、彼はその口にうさぎをくわえていた。
驚いたのは赤ずきんである。
自分という食べ物があるのに、新しく狩りをしてくるなんて?
ところが彼は、そのうさぎを赤ずきんの目の前に置いた。
「食え」
「え?」
「食え。そんな痩せぎすじゃあ、俺が食うところがねえだろう」
「ああ、なるほど。だけど、本当にいいのかい?」
「俺が食えと言ってるんだぜ」
赤ずきんは少しの間、うさぎと承太郎を交互に見ていたが、意を決したようにうさぎに手を伸ばした。

腹を満たしたあと、緊張が解かれたのか、赤ずきんはうつらうつらし始めた。

承太郎は巣の中に横たわり、「こっちへ来い」と声をかけた。
彼は素直に従い、承太郎に言われる通りに、そのふかふかのお腹に頭を預けて丸くなった。
赤ずきんは、夢うつつの声でこう聞いた。
「狼さん、君の名前はなんていうんだい?」
「俺は承太郎という。お前は?」
「僕の名前は花京院だ……」
「そうか、花京院。もう寝ちまえ」
「うん………」
赤ずきん、花京院はそのまま眠りに落ちていった。
その表情は穏やかで、少し笑っているようにも見えた。
承太郎は彼の目尻に残った涙の跡を舐めとってやり、これから先ずっと、彼を自分の腹で暖めてやることに決めたのである。