みずべのはなし

承太郎はこの辺の海の担当だった。
担当というのはあれだ、神様とか精霊とか呼ばれるあれだ。
そのあたりの呼び名は人間が勝手につけたもので、承太郎たちは自分たちのことを”同類”とだけ呼んでいるし、司っている場所のこともただ”担当”と呼んでいる。
さてこの辺の海の担当であるところの承太郎は、数百、あるいは数千年のあいだを心穏やかに過ごしてきていた。
そしてある日、いつものように海岸を見回りと称して散歩していたときのことだ。
その日は、山の天気を担当している同類の機嫌が悪く、例年にないくらいの大雨が続いていて、それがやっと晴れ間を見せたという日であった。
承太郎が歩いていたあたりには、この海へ流れこむ一本の川があった。
陸の上の方、なんとかいう山の湖から湧き出ていたと記憶している。
そこまで行ったことはないが。
それで、その川と海との合流点の付近に、人影が一つ。
同類だ、と承太郎は思った。
人間が着るような服を着ているが、間違いない。
彼はちょっとこのあたりでは見たことのない顔をしていた。
整っているのか歪んでいるのかよく分からない、アンバランスなやつだ。
髪もアシンメトリーにまとめていて、前髪が片方だけ長い。
右の耳には小さな葉と果実が生えている。
珊瑚のような色合いの果実だ。
「おい、お前。見ない顔だが、どこの担当だ?」
承太郎が声をかけると、水面を眺めていた相手ははっとして顔を上げた。
「ああ、ここの担当の方ですか?僕は花京院といいます。この、流れ込んできている川の担当です。よろしく」
「この川の担当か。俺は承太郎という。いったいどうしてこんなところまで?」
この川はもうずっと、何百年もこの海に流れ込んでいるが、その担当者が海までやってきたのは初めてだった。
「いえ、実は、先日の大雨で川の上流が少々……なんというか……大変なことになってしまいまして。確認のために見て回っているのです」
「そうか。この辺は、確かにかなり荒れたが、大変ってほどじゃあない。心配しなくてもいいぜ」
「本当ですか!ああ、よかった……海の方まで被害が出ていたらどうしようかと思っていたんです」
彼、花京院は安堵の表情を浮かべた。
「それでは、僕はこれで。上の方に戻りますね」
「おう」
花京院はお辞儀をすると、そのまま川に入り、上流へと帰っていった。
承太郎は少しの間、その場に立ちっぱなしだった。

それから何日か、あるいは何年かして、また承太郎が海岸を散歩していたときのことだ。

承太郎は、川との合流地点に花京院が立っているのを見つけた。
「花京院じゃねえか。また何かあったのか?」
「いや、何かあったってわけじゃあないが、その……君の顔が見たくなって」
花京院は照れたように笑った。
承太郎は、「……そうか」としか言えなかった。
「ええと、忙しくないのなら、少し話をしていっても構わないか?」
「いいぜ」
花京院は海のことを知りたがった。
水の流れのこと、冷たさのこと、色のこと、魚のこと、船のこと。
承太郎は口数が多い方ではなかったが、なぜか嫌な気はせず、どれも丁寧に答えてやった。
それから承太郎も、花京院に似たような質問をした。
花京院は目を輝かせながら、自分の川についてのことを話した。
海とは承太郎であり、川とは花京院である。
彼らはお互いについて、少しずつ知っていった。
それから花京院は、ちょくちょく承太郎のいる海岸まで遊びに来るようになった。
承太郎も、沖や水底といったところの見回りも、もちろん欠かせたわけではないが、明らかに海岸に出る日が多くなった。
そして承太郎はあるとき、真っ赤な珊瑚で小さな耳飾りを作った。
「なあ、花京院。お前に受け取ってもらいたいものがあるんだ」
「え、何だい?」
承太郎は波打つ両手で、赤い耳飾りを差し出した。
花京院はみるみるうちに顔を贈り物と同じくらい真っ赤にすると、川へ飛び込んで陸の方へ逃げていってしまった。
けれど何年もしないうちに戻ってきて、やっぱり赤い顔で、恭しくそれを受け取った。
花京院はそれを、左の耳に飾った。
ちょうど右の耳から生えている果実とお揃いのような感じだ。
「よく似合ってるぜ」
「うん、ありがとう。それで、僕も……君に渡したいものを持ってきた」
それは小さな緑色の丸い石だった。
川底で削られて、丸くなったものだろう。
承太郎はそれを受け取ると、自分の耳に半分ほど沈めてくっつけた。
「これで俺はお前のもので、お前は俺のものということだ」
「そうなるね、うん」
そう言ってはにかむように花京院が笑ったので、承太郎は彼を抱きしめて、濡れた唇でキスをした。

さてそうして、承太郎と花京院が海岸や港町で逢瀬を重ねていた、ある日のことである。

彼らは、海岸に一人の人間の青年が座り込んでいるのを見つけた。
ただ海を見ているだけならいいが、どうにも彼の周りに悲壮な空気が漂っている。
今にも立ち上がって、入水していきそうだ。
別に人間の自殺者が出たってどうということもないが、ちょうど目の前にいることだし、気にはなる。
二人は波打つ体をちょっと抑えて、声をかけてみることにした。
「こんなところで何をしているんですか?」
「ああ、この辺の人か?いや、海を眺めていただけだ」
「それにしちゃあずいぶんとヤバそうな顔をしているが」
「分かっちまうか?いや……ああ……そうだな、もしよかったら、話を聞いてくれねえか?」
時間なら十分にあるので、二人は青年に付き合うことにした。
青年はポルナレフと名乗った。
「いや、何、よくあることっつったらよくあることなんだろうか……妹がな、その、悪い男に……うん、今は家で無事にしてるんだけどさ。学校帰りで……俺が職場に電話をもらったときには、もう何もかも手遅れでさ。俺らは小さい頃に両親をなくしてて……俺はあいつを守ってやるって決めて、ここまで一緒に来たってのに、一番肝心なところで……何もできなかったんだよ……!」
最後の方は振り絞るような声だった。
彼は犯人への、そして自分への怒りで震えていた。
承太郎と花京院には妹がいたこともなければ、親がいたこともなく、彼に向かって「分かるよ」とは言えなかった。
その代わりに花京院は、「妹さんは、今は外に出られないのかい?」と聞いた。
「うん?いや、昼間は大家さんに見てもらってずっと家にいるが、俺と一緒なら、買い物くらいは外出してるぜ」
「だったら明日の夕方、妹さんを連れてまたここに来てくれないか?」
「なぜだ?」
「見せたいものがあるんだ」
ポルナレフは訝しげな顔で花京院と承太郎を見た。
一瞬自分と承太郎の体格を見比べて、それから二人が手を繋いでることに気が付いた。
「……分かった。だが妹に何かあったら、ただじゃあおかねえからな」
「君がついているんだから大丈夫さ」
それで次の日、日が沈むより少し前の時刻に、彼は妹を伴って海岸に現れた。
妹は長い黒髪を持つなかなか美しい顔立ちをした少女だったが、とてもやつれていた。
「やあ、こんにちは。僕の名は花京院というんだ。それでこちらが」
「承太郎だ」
「妹のシェリーだ」
「……こんにちは」
「それで、見せたいものって?」
ポルナレフに尋ねられて、承太郎と花京院は二人を、自分たちが合流するところに案内した。
太い川が海に流れ込んでいる。
「そろそろだ」
承太郎がそう呟いて、そして太陽が海に入り始めた。
その光は海に川に、細かく反射して輝いた。
海はキラキラとまたたき、川はさらさらと流れ、それが海に交わるところでは、海からの波と川からの流れで、特に美しく複雑に輝いている。
宝石箱をひっくり返したって、こんな光にはならないだろう。
この光景は、承太郎と花京院のお気に入りだった。
いつも二人で、ずっとずっと眺めているのだ。
自分たちから人間にこれを見せたのは、初めてだった。
「きれい……」
シェリーがぽつりと、囁くように口にした。
輝く風景に目を奪われていたポルナレフは、はっとして妹の顔を見た。
彼女は目に涙を浮かべていた。
「シェリー」
「お兄ちゃん、わたし……」
そこから先は声にはならず、彼女は崩れ落ち、ポルナレフはそれを支えて胸を貸した。
承太郎と花京院はそんな彼らからは視線を外して、光る水面を眺めていた。

「今日はありがとう。いいものだったぜ」

「おう。気をつけて帰れよ」
「お前らもな」
ポルナレフは妹の肩を抱き、町の方へ帰っていった。
承太郎と花京院も、自分の海と川へと戻った。

それからまた何年かして、承太郎と花京院が波打ち際でカニやヒトデをからかいながら過ごしていたとき。

「ああ、あんたら!」という声がした。
二人が顔を上げると、そこにはあの青年、ポルナレフが立っていた。
心なしか、以前見たときより大人びた顔をしているように見える。
人間というものは成長が早い。
「ずっと探してたんだ。でもこの辺の町じゃ、どこにも承太郎とか花京院とかいう名前のやつはいねえって……まあそんなことはどうでもいい。実は今度、シェリーが結婚するんだ。それでぜひ、あんたらにも結婚式に出席してもらいたい」
「結婚?それはそれは、おめでとう。式はいつだい?」
「6月の12日だ」
「6月の……ええと……82日後だな?」
花京院は頭をフル回転させて日数をはじき出した。
人間の暦は普段使っていないのだ。
「うん?そのくらいのはずだぜ。どこに招待状を送ればいい?」
承太郎と花京院は顔を見合わせた。
人間の持つような住所などは、二人とも持っていない。
川や海に流してくれれば、確実に届くのだが。
「うーん、ええと、あー、君の家はどこにあるんだい?」
「俺の?○○のところの△△村だぜ」
「ああ、分かった。川の近くだな。招待状ってもう作ってあるのかい?僕が取りに行くよ」
「え?送るぜ」
「いや、実は俺たちは、二人で旅をしているんだ。送り先の住所はねえんだよ」
「そうだったのか!道理で!分かったぜ、二人分の招待状を作っておくから、取りに来てくれ」
そういうわけで、花京院は一人で川を遡り、ポルナレフの家まで結婚式の招待状を受け取りに行った。
気を抜くと何年も過ぎてしまうので、二人は忘れないように月の満ち欠けを数えた。
承太郎と花京院の二人とも、自分が主役でない式典に参加するのは初めてだったので、港町に繰り出して人間のしぐさやファッションなどを研究した。
そういったことも、二人にはとても楽しかった。
それから二人で、花嫁への贈り物を考えた。
黒髪のあの娘は、美しいレディになっていることだろう。
二人は彼女に、練り香水を贈ることにした。
承太郎の海の水と、花京院の川の水を混ぜて作ったものだ。
香りはきつくなく、注意しないと分からないほどである。
だがしっかり嗅いでみると、森林に囲まれた爽やかな川のような、また同時に深く包み込む海のような、そんな香りがする。
そうして結婚式の日がやってきた。
承太郎は青い礼服、花京院は緑の礼服に身を包み、ポルナレフとシェリーの村にやってきた。
礼服はかなり古い型のものであったが、こういう式でそれはあまりおかしなことではないし、二人にとても似合っていたので、周りは「あれは誰か」とひそひそ話し合うものの、参列を断られることはなかった。
花京院がこの辺りの天気を担当している同類に話を通しておいたので――ちょうど今は機嫌のよい時期だった――からりと晴れ上がった、明るい日になった。
花嫁も花婿も、とても幸せそうだった。
フラワーシャワーのときに、花京院がこっそり、少しだけ川の水を花びらに混ぜた。
それはキラキラと輝き、シェリーの姿を美しく飾った。
式のあとは長い長いパーティとなるわけだが、二人はその前に退席することにした。
酒は飲めるし、肉や野菜を口にしても腹をこわすことはないのだが、そう積極的に食べるものでもない。
ポルナレフは、二人を引きとめようとしてきた。
「お前らのおかげでシェリーは立ち直れたんだ。シェリーだけじゃねえ、俺もだぜ。友人たちにも紹介したいし」
「いや、そろそろ俺は海に戻らないといけねえ」
「海に?船でも出るのか?」
「そんなところだ」
「承太郎さん!花京院さん!」
高らかな声がかかり、白い衣装の花嫁が彼らの元にやってきた。
「ああ、シェリー!おめでとう、とてもきれいだよ」
「来てくれてありがとう。嬉しいわ」
そう言って笑う彼女は、もう涙に暮れる少女ではなく、一人の美しく立派な女性だった。
彼女に付きそう新郎は、色の黒い肌を持つ男で、このあたりの生まれではなさそうだった。
「ウルムドは俺の友人の弟なんだ」
ポルナレフがそう紹介した。
彼は承太郎と花京院を見て、目を丸くしていた。
「あの、お二人は、もしかして……」
「ああ、きっとあんたが考えているとおりだ」
「シェリー、君に贈り物があるんだ」
「あら、何かしら」
花京院は練り香水を取り出してシェリーに手渡した。
「僕と承太郎で作ったんだ」
「まあ、手作りなの?ありがとう、大事に使うわね!」
承太郎と花京院は新郎新婦に心からの祝福を送り、そして式場を去っていった。
「……どうかしたかい、シェリー?」
「いえ、この香水の瓶、なぜだか濡れているのよ」
「それは悪いものじゃあないから大丈夫だ。本当に大事にするといい。きっと君を守ってくれるよ。僕もお兄さんもいないときは、必ずそれをつけておくれ」

結婚式の日は記録的な大潮となった。

天候を記録している役所は首を傾げたが、このあたりの海は月とは連動せずに潮が変わることが多いので、今回も海の神の気まぐれだろうということになった。
それが実際その通りだと知ってしまったポルナレフが、なぜか二人の相談役になってしまうのは、もう少しだけ先のことである。
「なあポルナレフ、花京院が全然遊びに来てくれないんだが」
「治水の工事のあと恥ずかしがってるって言ったろ!?あれからどんくらいたったと思ってんだよ!」
「3日くらいか?」
「3年だよ!!」