2015年ハロウィン。
花京院典明は一人で夜の町中を歩いていた。
その日は10月31日、いわゆるハロウィンだった。
ここ10年でハロウィンもだいぶ日本に浸透し、近所の家にお菓子をもらいに回るのが普通になってきている。
とはいえ、知らない大人の家に無防備に近付くわけにはいかない。
学校から渡されたリストに載っている家にだけ、必ず3人以上で、暗くなる前に帰ること。
小学校ではそんなふうに言われていた。
だが花京院は日の落ちた今も、シーツに穴を開けたお化けの仮装で、物寂しい住宅街の小さな道を歩いている。
理由は明白だ。
家に、帰りたくないのだ。
「おともだちと3人以上で」と言われたって、そんなおともだち、一人もいない。
花京院はクラスで孤立していた。
いじめられているわけではない。
だが、どうも『違う』のだ。
自分だけ異端子のような、『みんな』とは『違う』存在のような気がして、どうしても心を開くことができない。
だからハロウィンだって、家で静かにしているつもりだったのに、息子にはハロウィンの日に一緒に出かける友人がいない、なんて信じたくない母親に、なかば追い出されるようにして出てきたのである。
そんな花京院が、一人でお菓子をもらって回るなんてできるはずもなく、こうして何も入っていないバスケットを片手に下げ、とぼとぼ歩いているというわけだ。
既に他の子どもたちは家に帰ってしまったようだ。
ちらほらと会社帰りらしき大人たちも見えるようになってきたが、何をしているのかと聞かれたくないので、花京院はこそこそと隠れていた。
もう、かなり歩いてきてしまった。
住宅街を抜けると、そこから先はずっと畑が続いている。
そこまで行くわけにはいかない。
花京院は心が沈むのを感じながら、家へと戻ることにした。
そうして、とある家の、高い塀のところを曲がろうとした、そのときである。
向こうから走ってきてぱっと飛び出してきた誰かと、思い切りぶつかってしまった。
尻もちをついた花京院がシーツの穴から見上げると、同じくらいの年頃の少年である。
黒くてかっちりとした服に黒いマント、これまた黒い帽子を合わせている。
吸血鬼か何かの仮装だろうか。
彼が顔を上げたので、花京院はびっくりすることになった。
帽子の下の少年の顔は、驚くほどにきれいだったのだ。
クラス中の男子が夢中になっているユミちゃんだって、こんなきれいな顔はしていない。
彼は、長いまつげに縁取られた目を大きく見開いた。
それから花京院の手を、はっしと掴んだ。
「……見つけた!」
「え?」
少年はぷっくりした唇で笑った。
「やっと、見つけた。お前、名前は?」
「花京院だけど…」
「花京院だな。おれは承太郎っていうんだ。なあ、おれのうちに来てくれよ!」
「君のうちに?」
花京院は首を傾げた。
おうちにお菓子が余っている、とかだろうか。
子どもたちが来るのが夜だと思って準備していたら、誰も来なかったとか。
だったらバスケットの中に、少しは何かを入れられるかもしれない。
「いいよ」
花京院がそう言うと、承太郎は街灯の光に目をきらきらさせて破顔した。
その目はなんだか緑がかっているように見える。
外国の子なんだろうか。
「嬉しいぜ、花京院!」
承太郎はそう言って、花京院の目の下、ちょうどほっぺたがあるあたりに、キスをした。
シーツごしだったけれど。
花京院は内心とても慌てたが、外国ではあいさつ代わりにキスをするのだと聞いたことを思い出し、あんまりびっくりするのも恥ずかしいなと、咳払いをするだけにとどめた。
「じゃあ、早速来てくれよ。紹介するぜ。こっちだ!」
承太郎に手を引かれるまま(紹介ってなんだろう?)、花京院は住宅街の道をあっちへこっちへと歩いた。
あまり広い町ではないが、見知らぬ建物ばかりが続くようになり、少し不安になる。
ちゃんと帰れるだろうか。
そんな花京院の心などつゆ知らず、承太郎は塀と塀の隙間の、狭い路地の前で立ち止まった。
「この先だ」
「ここを通るのか?」
「近道だからな。なんだ、怖いのか?」
「まさか!」
本当はちょっと、ほんのちょっとだけ怖かったのだが、花京院の右手を握る承太郎の左手がとてもあたたかくて、暗闇に飲み込まれてしまいそうな感じは、あまりしなかった。
ゴミ箱の横を通って路地を抜けると、そこは、住宅街ではなかった。
いつのまに畑の方に出てきてしまったのか?
花京院はそう考えたが、承太郎はまったく構わず、ずんずん歩いてゆく。
目の前には、とても大きなマンションらしき建物が見える。
「あそこが君のうち?」
「そうだ。気に入ったか?」
「どの部屋なんだい?」
「おれの部屋は2階の右から3番目だ。だけどお前は、好きな部屋を選んでいいぜ」
「好きな部屋?えっ、もしかしてあそこ、あの建物、全部が君のうちなのか!?」
「そうだぜ。とはいっても、本当はおれのおじいちゃんのうちなんだ。おれが大きくなったら別のうちを作るか、お前が気に入ったならあれをもらってもいいぜ」
花京院は目の前の豪邸にすっかりたまげてしまって、ただ手を引かれるまま、後ろを見るなんてことはせずに歩いていった。
もしここで振り向いて、そこに住宅街なんてなくなっていることに気が付けば、まだ戻れただろうか?
いいや、きっと無理だろう。
承太郎は大きな門の前に立ち、そこを3回叩いた。
すると門はギイィと音を立て、ひとりでに開いた。
古そうなお屋敷だけどハイテクなんだな、と花京院は思った。
門の先には庭があり、生け垣や彫刻が並んでいたが、暗くてよく見えなかった。
ふいに、お屋敷の大きな扉が向こう側から開き、老人が姿を見せた。
「坊ちゃま、おかえりなさいませ。そちらの方は」
「見つけたんだ、ローゼス。かあさんを呼んでくれ」
ローゼスと呼ばれた執事(執事だって!花京院はそんなもの、漫画でしか見たことがなかった)は礼をして、奥の廊下に消えていった。
承太郎はまだずっと花京院の手を握ったままで、椅子の並んだ居心地のよさそうな広い部屋に入っていった。
承太郎は大きなソファに腰を下ろした。
手を繋いでいる花京院も、自然とその隣に座ることになる。
承太郎は熱っぽい瞳で花京院を見つめてきた。
やっぱり、目が緑色をしている。
と、花京院たちが入ってきたのとは反対側にあった扉が開いて、女の人と男の人が入ってきた。
「かあさん!おじいちゃん!」
ええっ、と花京院は思った。
かあさんと呼ばれたきれいな女の人はいいとして、男の人は彼女と同じくらい若く、とても孫がいる年だとは思えない。
派手なマフラーとおへそを出したファッションも、若者のそれだ。
「承太郎、その子は……」
「おれ、見つけたんだ。おれのおよめさんだ!」
「え!」
「えええっ!?」
花京院は心底びっくりした。
誰が誰の何だって?
「まあ、そうなの承太郎?」
「ああ、花京院っていうんだ。おれのうちに来てくれるって言ったんだ。大きくなったら結婚する」
「けっこん!?」
花京院は大きな声を出した。
「あらまあ、いいわねえ」
「まっ、まって、待ってください。ぼくそんなこと聞いてない!」
「なんでだ?ここまで来てくれたじゃねえか。おれのうちの、門の中に入ったんだし」
「ええ?だって…」
「あー、盛り上がってるとこ悪いが」
ちょっと沈んだ感じの声が聞こえて、見れば承太郎の年若いおじいちゃんが、腕を組んで苦々しそうな顔をしていた。
「承太郎、その子、多分………人間だぜ」
「……え?」
「…………は?」
承太郎は花京院の目をじっと見つめてきた。
シーツに開いた穴から覗く目を。
それから繋いだ手を見下ろし、それから。
承太郎は花京院の被っているシーツの裾をつかみ、がばりとそれを剥ぎとった。
その中から出てきた少年を見て、承太郎は目をまんまるにした。
「花京院、お前、お化けじゃあ、ないのか?」
花京院の手を握ったままで固まってしまった承太郎を見下ろして、おじいちゃんは「やれやれ」と言った。
「仕方ない、おれが説明しよう。おれの名前はジョセフ・ジョースター。こっちは娘のホリィで、承太郎の母親でもある。それで、花京院、だったな?おれたちは君とは違う。おれたちは人間じゃあない。呼び名はいくつかあるが、人間の言葉でいうと……悪魔だ」
「………あくま」
花京院はぽかんとして口を開いてしまった。
だって、こんな、こんなきらきらした目の、ふっくらした唇の、手だってふくよかな、そんな悪魔がいるだろうか?
「2000年前の戦争で、魔界は荒れ野原なんだ。だからおれたちは仲間を探すときは、人間界に出ていく。ハロウィンの日や、クリスマスの次の日なんかにな。それで……」
「ぼくを、お化けだと?」
「そういうことだろうな。まァ仕方ない、ここで見たことは誰にも言わないって約束するんなら、元の世界に」
「いやだ」
「承太郎?」
承太郎はもう片方の手も伸ばしてきて、花京院の両手をがっちりと掴んだ。
「おれはこいつをおよめさんにするって決めたんだ。一目見てこいつだって分かった。こいつ以外にありえない。人間だろうがどうでもいい。人間界になんて返してたまるか……!」
そう言う承太郎の目は、緑の炎にメラメラ燃えている。
見ているだけでやけどしそうだ。
花京院は眉尻を下げた。
承太郎が悪魔?
ぼくがおよめさん?
人間界には戻れない?
「うちに来て欲しい」って、もしかして結婚して欲しいって意味だったのか……?
それから花京院は、目を彷徨わせてしばらく逡巡した。
それから、承太郎の手をしっかりと握り返した。
「ぼくも、一目見たときから君しかいないと思っていたんだ。ぼくでよければ、ずっと一緒にいて欲しい」
その言葉を聞いて、承太郎は顔を輝かせた。
「あらあら!まあまあ!よかったわねえ」
「ちょ、ちょっと待て、花京院。こっちに来るってことは、もう二度と……ってことはないが……おいそれとは人間界には戻れなくなって、こっちで暮らすことになるぜ。一時の判断で決めていいことじゃあねえ。本当にいいのか?」
「ジョースターさん、ぼくがここで人間界に帰っても、また承太郎に会えるんですか?」
「まあ、無理じゃあねえが。人間界への入り口は、どこに繋がるか不確定だ。次の日には別の道に繋がっている。同じ町でまた会うっていうのは、難しいだろうな」
「だったら、ぼくはここにいます」
「花京院がこう言ってるんだ。もう、うちの門の中に入っちまったんだし、うちの一員にしていいだろ」
ジョセフは顔をしかめて頭をかいたが、最後には「仕方ねえな」と認めてくれた。
こうして花京院少年は、ハロウィンの夜に魔物に連れ去られて、いなくなってしまったのである。
「ねえ承太郎、ぼく、部屋は君の隣がいいな」
花京院が不死になるための相談に行った吸血鬼の館で、ゲロを吐くような目にあってしまうのは、また別の話。