蓮の葉ひらり

「転校生の花京院典明くんだ」
「よろしくお願いします」
そう言ってペコリと頭を下げた彼を、クラスの面々は物珍しそうに見つめた。
まったくいないわけじゃあないのだ、3年の演劇部の先輩もそうだし。
だけどやっぱり珍しいものは珍しいだろう、男性で纏足しているなんて。
彼の纏足靴は、伝統的な刺繍のかわいらしいものではなく、ユニセックスデザインのスマートなものだった。
走ることはできないから体育の授業は見学していたが、普段歩く分にはあまり纏足していることを悟らせないような自然さで、すぐにクラスメイトたちは彼の足が半分ほどしかないのを忘れるようになった。
2組の高飛車お嬢とは大違いだ。

さて花京院のクラスには、この学校で――どころかこのあたりで――一番の有名人がいた。

彼の名は空条承太郎。
すごく有名な不良学生だから、ここで文字を重ねなくとも、読者の皆さんにもお分かりいただけるだろう。
彼も、花京院をひと目見たときに「男で纏足か」、と思った。
それだけだ。
それ以上、特に思うことはなかった。
クラスメイトの中には、纏足というものに薄暗い興味を持っているものや、嫌悪感を抱いているものもいる。
だが承太郎は、纏足には何の関心もなかった。
知識として、足の骨を砕くことだとか、手入れをしないといけないとか、その程度のことを知っているだけだ。
中学の保健の授業でそれを習ったとき、「纏足では走れないから、火事などが起こったときは、力のあるものが背負って逃げるように」と一緒に教えられた。
その頃にはもう誰よりも背の高かった承太郎は、このクラスで一番力があるという自覚があったから、そうか、と思って覚えていた。
それだけなのだ。
だから承太郎が目の前の光景に少々驚いてしまったのも仕方なかろう。
今、承太郎の目の前では、花京院が纏足の足で軽やかに走っている。
その腕には赤子が抱かれている。
ちなみに承太郎の背にはその赤子の母親がいる。
そしてその更に後ろからは、炎が追いかけてきていた。

時は遡ること数十分前。

承太郎は一人で町を歩いていた。
声をかけてきた女性たちを適当にあしらい、本屋で目的の本を手に入れ、さあ帰ろうというとき、あるビルから火の手が上がっていることに気が付いたのだ。
人が集まっているが、消防車はまだ来ていない。
人だかりの中で、大きく声を張り上げている女性がいる。
「ユミコ!?ユミコどこ!?いないの!?」
「おい、どうした」
「一緒に来てた友達がいないの!まだ中にいるのかも……!あの子、赤ちゃん連れてるのに!」
それを聞いた瞬間、承太郎は長ランを脱いでいた。
「おいあんた!」という声にも耳を貸さず、ビルの中に突撃した。
ハンカチを口に押し当て、姿勢を低くしながら、テナントの店の中を見渡す、いない。
通路、いない。
上か。
階段を駆け上がる。
2階の通路、いない。
店の中、いた!
そこにいたのは、女性と赤子だけではなかった。
承太郎の目に飛び込んできたのは、力の抜けている女性を背負い、赤子を腕に抱いた、花京院だった。

「花京院!?」

「JOJO……!?」
承太郎は素早く頭の中で算段を立てた。
乱暴だが、女性と花京院をそれぞれ両腕に抱え、赤子は花京院に抱いてもらう、これでいこう。
ところが花京院は、承太郎が口を開く前にこう言った。
「JOJO、いいところに!この女性を頼む!僕はこの子を抱いて走る!」
「無理すんな、俺が3人抱えて走る」
「大丈夫だ、僕は走れる!言い争いしている暇はない!早く!」
そう叫んで、花京院は女性を背から下ろした。
煙を吸い込んでしまったのか、気絶しているようだ。
「お前も、」
承太郎が手を伸ばそうとした瞬間。
花京院は赤子を抱いたまま跳び上がり、全速力で走り出した。
承太郎は驚いた、が確かにモタモタしている暇はない。
女性を背に、承太郎も駆け出した。
こんなときだが、花京院の走り方は、まるで踊るようだった。
力強さはない。
だが一歩一歩が大きく、ぽーんぽーんと跳ねるように走る。
纏足は歩くときにも痛みを感じるというが、彼はそんなことはないのだろうか。
承太郎も足は速いほうだ。
炎は建物全体に広まっていたが二人は無事に入り口のあたりまでやってきた。
消防服に身を包んだ隊員が見える。
花京院は彼らの姿を目にすると、急に減速した。
安堵したから、というのは違う気がする。
「ああっ!大丈夫ですか!」
「僕らは大丈夫です。この子とこの人を!」
承太郎と花京院は、女性と赤子を消防隊員に任せ、外に出た。
すぐに野次馬たちに取り囲まれる。
「大丈夫か!」
「すげえな、あんた!」
「よくやった!」
「そっちの纏足の兄ちゃんは友達か?よかったな、助けてもらえて」
「ええ。彼が来なかったら僕もどうなっていたか分かりません」
「あ?おい、」
花京院がさっと目を細めて目配せしてきたので、承太郎は黙るしかなかった。
承太郎は脱ぎ捨てた長ランを拾って叩き、面倒なことになる前に退散した。
花京院もそれについてくる。
人混みを抜けたあたりで、花京院が「今日はありがとう、JOJO」と話しかけてきた。
「……俺が行かなくても、お前一人でなんとかできたんじゃねえか」
「そうだとしても助かったよ。逃げ遅れる可能性だってあったわけだし。………それで、JOJO、その……僕が走れるっていうこと、秘密にしておいてくれないか」
そう言って見上げてくる花京院の目は、とてもとても真剣だった。
「……いいぜ」
「本当か!」
「その代わり、」
その代わり。
そう言ってから、承太郎は続きを必死で考えた。
なぜか会話を終わらせたくない気がして、「その代わり」だなんて口走ってしまったけれど、代償なんてまったく思いついていなかった。
「その代わり、なんだ?JOJO」
「それだ」
「え?」
「俺のことは承太郎と呼べ」
「え、なんで」
「なんでもだ」
言って、承太郎は花京院に背を向け歩き去った。
ぽかんと立ち尽くしている花京院の視線を、その広い背中に感じながら。

花京院は律儀なやつだった。

次の日教室に入ってきた承太郎を見て、「あ、おはよう承太郎。昨日はありがとう」と声をかけてきたのだ。
承太郎も「おう」と応えて席につく。
クラスメイトたちがザワザワしたのに、一応承太郎は気付いたが、花京院は気にしていないようだ。
もうすっかり承太郎のことは見もしないで、教科書を準備している。
こっち見ねえかな、と思ってから、承太郎は一人ではっとした。
なんだってそんなこと考えたんだ、俺は?
その日の昼、承太郎が一人で弁当を食べ終わってから教室に戻ると、花京院がクラスメイトたちに囲まれていた。
「だから、そうして火事から助けてもらったんだ。それだけだよ」
「だったらなんでJOJOのこと名前で呼んでんだよォ」
「それは……」
花京院が言いよどむ。
それは、自分が走れることに繋がってしまっているのだ。
「そいつは俺と花京院がダチになったからだぜ」
「承太郎!」
「JOJO!」
承太郎は助け舟を出した。
が、あまりうまい助け舟ではなかったことは、自分でも気付いていた。
「えー!花京院がJOJOの?」
「友達~?」
クラスメイトたちの中で、一番目を見開いているのは、花京院本人だ。
仕方ない。
だが彼は、いつまでもフリーズしてはいなかった。
「う、うん。そう、友達になったんだ」
「なんで言ってくれなかったんだよ」
「だって、ほら、恥ずかしいだろ?彼と友達とか」
「俺とダチなのは恥ずかしいのか?え?」
承太郎はニヤっと笑って、花京院の整えられた髪をぐしゃりと乱した。
「そういうわけじゃあないよ!えーっと、ほら、そんなことバレたら僕、いじめられるかもしれないだろ」
「ンなことしねえよー!」
花京院はクラスメイトたちと笑い合っている。
彼は人付き合いがうまく、だいたいの男子と親しげに話す。
だが、特定の誰かと仲良くしているのは見たことがない、気がする。
あまりクラスメイトの交友関係には詳しくないが。
承太郎は乱れたままの花京院のつむじを見下ろしていた。

放課後、帰り支度をしていた承太郎の体に影が落ちた。

見上げてみれば、花京院が緊張した面持ちで立っている。
「どうした?」
「あの、承太郎。一緒に帰らないか……?」
はきはきものを言う彼にしては、珍しい小声だった。
「いいぜ」
「本当か!よかった!」
承太郎が承諾すると、花京院はぱっと顔を輝かせて笑った。
花京院と廊下を歩けば、チラチラと視線が寄越された。
気にせず進む。
花京院は気付いてすらいないようだった。
案外鈍いのかもしれない。
下駄箱の中から、花京院はスポーティなデザインの纏足靴を取り出した。
そこでようやく承太郎は、彼が足を詰めていること、それがきっかけでこんなことになったことを思い出した。
上履きを脱いだ彼の小さな足は、分厚い靴下に包まれていた。
縮めた足をガードするためだろう。
花京院は校舎の外に出てからも緊張していたが、門を抜けたあたりで「あの!」と声を上げた。
「なんだ」
「ええと、ごめん。僕、君が名前で呼べって言ったの、友達になることだって気付かなくて。えっと、言いにくいんだが、僕、今まで友達と呼べる友達がいなかったんだ。だから、失礼なこと他にもいっぱいしてしまうと思う。でも」
そこで彼は、ぐっと何かを決意したような顔をして、承太郎に向き直った。
「それでもよければ、僕と友達になってください!」
承太郎は一瞬目が点になったが、すぐに「ふはっ」と吹き出してしまった。
「もうなったんだぜ」
「え、あ、そうか」
「そうだ。オメー面白いな。おい、昼飯はどこで誰と食ってる?」
「え?3階の空き教室で、一人で」
「明日から屋上に来い」
「え、なんで」
「俺がそこで食ってるからだ。一人で」
「!分かった!」
そこから先は、不思議とふたりとも気が軽くなり、まるで十年来の友人のように、くだらない話をして盛り上がった。

次の日から、花京院は承太郎の隣にいるようになった。

それは、びっくりするくらいしっくりくることで、どうして今までこいつがそばにいなくて平気だったのだろう、と疑問を抱くほどだった。
あのJOJOに友達、ということで驚いていた他の生徒たちや教師たちも、二人があまりにも普通の友人として過ごすから、すぐにそういうものだと認識するようになった。
それほど、彼らは自然だったのだ。
だが、花京院という存在、JOJOの友人という存在に目をつけたものが、いなかったわけではない。
それは、承太郎を目の敵にしている、他校の不良たちだった。
ちなみに同じ高校の不良たちは、もう既に承太郎を敵視するターンはエンドしている。
彼らは承太郎と花京院を遠巻きに観察し、花京院が纏足であることに目をつけた。
花京院はなかなかにタッパがあるが、纏足なら話は別だ。
纏足は足に力を入れにくいし、走る速度も遅い。
あいつ一人なら、イケる。
あいつをどうにかして、JOJOを呼び出し、痛い目にあってもらおう。
そういうわけで、ある休日、その卑劣な作戦は決行された。
花京院が休みの日に、よくゲーセンに行くのは調査済みだ。
彼が馴染みのゲームセンターに入ろうとしたところを、3人で立ちふさがって阻む。
「どいてくれませんか」
「それより俺たちとお話しねえ?」
「いえ、特に話すことはありませんが」
「俺たちにはあるんだよな~それが」
「ン……もしかして承太郎のことですか?」
「察しが良いじゃあねえか」
「……いいですよ。お付き合いします」
花京院はチラリとゲームセンターの店内に目をやった。
中で震えている店員と目が合う。
大丈夫、今助けてくれなくても、軽蔑したりしませんよ。
ただ、このあと―――。
花京院が引き立てられていったのは、まあよくある、汚れた路地裏だっった。
さっと見回して状況を確認する。
相手は5人。
「さてさて、花京院だったな?」
「そうですよ。どんなお話でしょうか?できれば穏便に済ませたいんですが」
「じゃあちょ~っとお願いされてくれるかなァ?JOJOの連絡先置いて、縛られてくれるだけでいいんだけど」
「でもそれ、殴る蹴るのオプション付きですよね」
「分かってんじゃん」
「お断りします。勝手に承太郎に喧嘩売って、勝手に負けてください」
ナメてんじゃあねえぞ、とかなんとか汚い言葉を浴びせられる。
花京院は顔をしかめた。
今日はあのゲームで最高得点を出すと決めていたのに。
その態度が気に入らなかったのか、不良の一人が拳を振り上げ向かってきた。
そんなトロい動作で、どうやって承太郎に勝つというのだろうか。
花京院は右足をぐっと踏みしめ、左足を振りかぶった。
顎にクリーンヒットする。
頭が揺れたからか、不良はばったりと倒れて動かなくなった。
「て、てめェ!」
「やっちまえ!」
一斉にかかってくる不良たちを睨みつけ、花京院は足に力を込めた。

承太郎が花京院と待ち合わせていたゲーセンに入ると、店員がすっ飛んできた。

「じ、JOJO!」
重ねてお伝えすることになって申し訳ないが、承太郎は有名人である。
彼を知っているのは学校の生徒たちだけではないし、その最近できた友人にしてもそうだ。
「あの、赤毛の纏足の子、君の友達だろ」
「あいつがどうかしたのか」
「不良に囲まれて、あっちの方に連れていかれるのが見えたんだ。すまない、僕何もできなくて……!」
「いや、伝えてくれただけで十分だぜ」
承太郎は長ランの裾を翻し、店員が示した方向に走っていった。
その路地裏は、すぐに見つかった。
うめき声が聞こたからだ。
「花京院!」
承太郎は大声を出してそこに踏み込んだ。
そこでは―――

「あれ、承太郎」

花京院一人が立っていた。
「花京院……?」
「遅かったな。もう全員倒したぞ」
「そ、そうか。怪我はないか?」
「何発か殴られたけど、全力出せてなかったみたいで痛くも痒くもない」
「そうかよ……」
承太郎ははーっと息を吐いた。
「なんだい承太郎、僕が負けると思っていたのかい?」
「ああ、いいや」
「まァ、僕は纏足だものね。だから、」
花京院の言葉は途中で途切れた。
「あッ!?」
倒れ伏していた男が一人、突然体を起こし、隠し持っていたナイフで花京院に切りつけたのだ。
花京院は即座に反応してぱっと飛びのいたが、膝から下を大きく切られてしまった。
「花京院!」
だが彼は怯むことなく、その足を振り上げて男の顔に強烈な蹴りを叩き入れた。
男は聞き苦しい声を上げ、今度こそ動かなくなった。
「花京院、大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ。傷は浅い。それよりズボンが切れてしまった」
「ズボンなんざどうでもいいだろ」
「よくないぞ。学生服のズボンって安くないんだからな」
「いいから怪我を見せろ」
「え、嫌だよ」
断られるとは思っていなかった承太郎は、虚をつかれてぽかんと花京院の顔を見た。
花京院は平然としている。
「傷は浅いけど、足元まで切られたから。このまま帰って手当するよ。悪いね、遊ぶ約束をしていたのに」
「手当を手伝いたいんだが」
「あ、分かったぞ承太郎。君あんまり知らないな?」
花京院はぴんときた顔をした。
「足元まで切られたから、靴下もその下の包帯も脱がないといけない。だけど纏足の足を見られるのって、性器を見られるのと同レベルなんだぞ。だから家に帰って、一人で手当したい」
「……そうだったのか、すまねえ」
随分とデリカシーのないことを言ってしまった。
承太郎が気を落としているのを見て、花京院はからっと笑った。
「君が優しさから言ってくれたのは分かっているさ。一つ頼まれてくれるかい?足が痛いから、家まで肩を貸してくれると嬉しいな」
「もちろんだぜ」
とはいっても、承太郎と花京院では肩の高さが合わない。
承太郎は渋る花京院から鞄を取り上げ、いつもよりずっと遅い速度で彼を送っていった。
初めて訪れた花京院の家は、小さなボロいアパートだった。
彼は鞄から鍵を出し、玄関の扉を開けた。
中は真っ暗だった。
「親は仕事か?」
「いや、僕一人で暮らしてるんだ」
「そうだったのか」
承太郎は一匹狼を気取っているが、一介の男子高校生である。
食事や洗濯は母親に任せているし、学校に通う金は父親が出している。
俺は花京院のことを全然知らないんだな、と承太郎は思った。
だがそれは、『知りたい』という気持ちの現われでもある。
「送ってくれてありがとう、承太郎。今日の埋め合わせはまた来週にでも。すまないが、ここで帰ってくれるかな」
「分かった。お大事にな」
承太郎は棚の上に花京院の鞄を置き、背中を向けた。
花京院はそれを見てから、玄関に座って靴に手をかけた。
そして。
「あ」
花京院が不意に大きい声を出したので、承太郎はつい振り向いてしまった。
誓っていうが、条件反射である。
彼の纏足を、まあ見たくなかったといえば嘘になるが、自分から見てやろうと思って振り向いたわけではない。
だが何を言おうが、見てしまったものは見てしまったのだから、言い訳はできない。
花京院はちょうど、怪我をしている方の足の靴を脱いだところだった。
その中の、靴下も包帯も切れ込みが入ってしまっていたようで、一緒にはだけて落ちている。
つまり、花京院の生の足が外に出てきてしまっている。
そしてそれは、足の骨を折って形作った、纏足ではなかった。
そこにあったのは、こげ茶色に光る、小ぶりの蹄だったのだ。

「花京院、お前……」

花京院ははっとして顔を上げた。
承太郎が丸く開いた目で見つめてきている。
花京院は慌てて蹄を手で覆い隠したが、もう遅い。
「お前……人間じゃあ、ねえのか?」
花京院はうつむいてしまった。
承太郎と目を合わせられない。
だが承太郎は、見なかったことにはしてくれなさそうだ。
花京院はしばらく視線をうろうろさせていたいが、やがて観念して口を開いた。
「人間、だよ、8分の7は」
「残りの8分の1は違うのか」
「ああ、……」
花京院は言いよどんだ。
けれどもぐっと唇を噛み締め、ぱっと顔を上げたときには、その瞳には光が灯っていた。
「見られたからには仕方がない。僕のことを話すから、上がってくれないか。ここでする話じゃない」
「……分かった」
家主の許可を得て、承太郎は花京院の家に上がった。
古くて狭いワンルームである。
片付いているが、ものがないといったほうがいいかもしれない。
花京院は承太郎を小さなちゃぶ台の前に座らせると、冷蔵庫から薄い麦茶を振る舞った。
それから自分も座り込み、怪我をしていない方の足の靴下も脱いだ。
両足の包帯をするするとほどく。
現れたのはやはり、人の足ではない、蹄である。
花京院は今にも壊れそうな古いタンスから、ラベルも何もない瓶を取り出した。
緑色の、おそらく軟膏のようなものが詰まっている。
花京院はそれをひとすくい手に取り、傷に塗りこんだ。
「これでよし。明日にはすっかり綺麗に治っているよ」
「そうなのか」
「ああ。怪我はもうなんともない。少し痛いくらいだ。……さて、そんなことより聞きたいことがあるんだろう」
「そうだな、話して欲しいもんだぜ。お前について」
「承太郎、僕……僕は……なあ、承太郎。誰にも言わないって約束してくれるかい?」
「当然だ」
承太郎は花京院の枯葉色の目に、自分の常磐色の目を合わせた。
花京院がこれから何を言おうが、一切他言はしない。
花京院はその承太郎の言葉と目を、信じてくれたようだ。
「じゃあ、言うよ。僕の母親の母親の父親は、人間じゃあない。森の精霊というか、そういうものだ。ちなみに存命だ。数年前まで、僕は彼の元で暮らしていた。彼は足先だけじゃなくて、下半身が全部、獣のようになっている。角もある。実は僕にも頭の天辺に2箇所、ごく小さな突起があるんだ。僕なんかはそのくらいだけど、やっぱり人間とは違うからね、山奥の森で、家族と一緒に暮らしてたんだ。人里との交流は少ししかなかったよ。だけど僕はもう、そんな生活には飽々してしまって、町の方に出たいと思ったんだ。見つかったら捕まえられてひどいことをされるってみんなに反対されたけど、纏足の文化を知って、そのふりをして出てきたんだ。町は面白いことだらけだったよ。纏足では走れないっていうから、駆け回ることはできないけど。……君とも、出会えたし」
花京院はそう言って、ふっと照れたように笑った。
「だけど、これでバレてしまったね。残念だ」
「何が残念なんだ?」
花京院の最後の言葉の意味がよく分からなくて、承太郎は聞き返した。
「え?だって、僕は人間じゃないんだぞ。君は嘘をつかないやつだから、他の人には言わないでくれるかもしれないが」
「ああ、もちろん誰にも言わねえ。それで問題ないだろう、どうして残念になるんだ?」
「え、だって……もう友達ではいたくないだろう?」
「まさか!」
承太郎は大きな声を上げた。
「何を言ってやがる?お前は、8分の1は人間じゃなかった。俺はそれを知った。だが誰にも言うつもりはねえ。それでいいだろう?なぜ友達でなくなる必要があるんだ」
「じゃあ、承太郎、君、まだ僕と友達でいてくれるのか?」
「当たり前だろう」
承太郎が力強くそう言うと、花京院は安心したような顔でへにゃりと笑った。
「よかったあ……」
その笑顔を見て、承太郎は衝動的に、花京院を抱きしめていた。
「承太郎?」
「花京院、俺はお前がなんだっていいんだ。ただ俺の隣にいてくれさえすれば」
「ああ、ずっと君の隣にいるさ!」
花京院はそう宣言して、承太郎の背に腕を回した。

それから二人の関係は、大きく変わるということはなかった。

ただ承太郎の隣には花京院が、花京院の隣には承太郎がいるというだけだ。
「なあ承太郎、靴を買いたいから一緒に来てくれないか」
「もちろんだぜ」