人でなしになったこどもの話

2018年ハロウィン。
2015年ハロウィンの続きものです。

突然だけど、あたしは魔女様のお屋敷で働いている。

イタリアの貧しい地方の貧しい家に生まれたあたしは、親にほとんど売り払われるような形でこのお屋敷にやってきた。
お屋敷は孤島に一つだけある建物だ。
この島まるごと魔女様の持ち物なのである。
魔女様ははじめ、ブルブル震えることしかできない子供だったあたしを冷たい瞳で見下ろした。
彼女はそれはそれは美しく、けれど冷たく恐ろしく、あたしはすぐに食べられてしまうものだと思っていたのだ。
「我が名はリサリサ。好きにお呼びなさい。お前の仕事はクラリッサに聞くように」
魔女様はそう言って、艶のある黒髪をなびかせ退席した。
その日からあたしは、彼女の侍女としての生活を始めたのだ。
魔女様は氷のような冷たい美貌を持つ方だったけれど、そのお心はあたしが思っていたよりずっと優しかった。
彼女の真っ白なシャツを汚してしまったときも、ワイングラスを割ってしまったときも、あたしは死を覚悟したものだけれど、魔女様は少しのお小言で許してくださった。
孤島には血も凍るような恐ろしい魔女がいて、若い女は殺され血を抜かれ、子供は食べられてしまうのだ。
町にいた頃聞いたそんな話は、全て根も葉もない噂に過ぎなかったのだと、頭の悪いあたしにもだんだん分かってきた。
けれど魔女様が人間でないのは確かなことだった。
彼女は子供のあたしが成長し、初潮が来て女になるほどの時間が過ぎても、はじめてお会いしたときからちっとも年を取ったように見えなかった。
先輩であるクラリッサ――彼女はもう50を過ぎている――が子供の頃からずっとあのままらしい。
あたしはぼんやり、自分が年老いて死ぬまで若いままの魔女様に仕えるのだろうと予感していた。
そんな、あるときのことだ。
その頃あたしは成人を少し過ぎた程度で、町へ買い出しに行って「魔女のところの」と陰口を叩かれてもちっとも気にならないくらいになっていた。
そんなとき、お屋敷にお客がやってきたのだ。
人数は二人、どちらも若い男性である。
もちろん彼らも魔女様と同じで、見た目通りの年齢ではないかもしれないが。
彼らのうち片方は魔女様のようにこの世のものとは思えぬ美貌と妖しい雰囲気を持っていた。
もう片方も美形ではあったが相方ほどではなく、まとう空気もそんなにダークではなかった。
二人の名はそれぞれ承太郎様、花京院様といった。
承太郎様が花京院様に、魔女様のことを「おれのひいおばあちゃんだぜ。ジョセフのジジイの母親だ」と紹介しているのを聞き、あたしは納得したものだ。
魔女様と承太郎様は目元がよく似ている。
彼らは長期滞在をすると、魔女様はあたしとクラリッサにおっしゃった。
帰る時期も未定だと。
どうやら彼らは魔女様に何らかの秘術の教えを請いに来たらしく、それが身につくまでここに住むようなのだ。
とはいえあたしたちの仕事は変わらない。
料理や掃除やベッドメイキングの量が少し増えるくらいだ。
お客二人は恋人同士らしく、たまにシーツが汚れていることがあったが、あたしは自分で思っていたよりショックを受けなかった。
クラリッサと同じように、あたしも一生を独身で魔女様の侍女として過ごすつもりでいたからだろうか。
別に男性が嫌いなわけではないと思うのだが、わざわざ町で恋人を探す気にはならないのだ。
お客たちは、昼は魔女様の指導の元何かの修行をしている。
あたしはその場にはいないから、何をしているのかは知らない。
侍女のあたしたちはその間、食事の準備をしているのだ。
魔女様と承太郎様の食べるものは、この世のものではない。
月に一度、小さな舟でやってくる男から受け取る肉――下処理はしてあるから何の肉かは分からないけど人間大ほどもある大きい肉で、ごくたまに羽毛らしきものがついている――を切り分けて、町では見たこともないハーブやスパイスで味付けをして机に並べるのだ。
けれど花京院様は、あたしたちと同じものが食べ物だった。
町で買ったパンや野菜、魚や肉で料理を作って食堂に出していたのだ。
ところが、二週間ほどたった頃だろうか。
魔女様が「そろそろいいでしょう」とおっしゃって、花京院様のお皿にあの謎の肉を混ぜるように指示されたのだ。
はじめは少なく、薄くスライスしてベーコンに紛れ込ませるようにしてお出しした。
給仕のために控えていたから見たけれど、花京院様はあの肉を混ぜた一番最初の日、料理を口に含んだとたん顔色を青くし嘔吐きはじめた。
けれど魔女様の「吐き出さず飲み込みなさい」というお言葉と、承太郎様の「ここが正念場だぜ、花京院」という励ましに背を押され、とうとうゴクリと嚥下したのだった。
その日からあたしたちは、花京院様の料理に混ぜるあの肉の割合を徐々に増やしていくことになった。
基本の部分はあたしたちの食事と同じ材料で作るけれど、あたしやクラリッサの分も一緒に作るわけではない。
主人である魔女様やそのお客に出すような手間暇かけた料理というのは時間がかかるし、もし同じメニューの日だったとしてもあたしたちの分は野菜も肉も端っこを使う。
それにあの肉を扱うにあたって、ほんの一滴の肉汁でもこちらの皿に混入したら事だ。
あたしは町のお気楽な奴らみたいに神様なんざ信じちゃいないけど、それとこれとは話が別でしょ。
さて、そんなふうにだんだん慣らしていった花京院様は、様子も少しずつ変わっていった。
はじめあたしは彼のことをお連れほど美しくもなければ妖しくもないと思っていたけれど、どうやらその考えは改めなければならないようだ。
謎の肉を食べ魔女様から手ほどきも受けている花京院様は、日に日に妖しげなオーラをまとうようになっていった。
分かりやすく牙が伸びるだとか目の色が変わるだとかはないけれど、彼が「人の道を外れ」ていったのはあたしにも理解できた。
そしてとうとう花京院様の食事が魔女様たちとそっくり同じになった頃、あたしたちは彼らがここを去ると告げられた。
彼ら二人は身分の高い方々だというのに、わざわざあたしたちに挨拶しに来てくれた。
「世話になったな」
「ぼくの食事を作るのは大変だったでしょう。ありがとうございます」
「いえ、そんな、もったいないお言葉です」
「花京院様は人じゃなくなるためにここへ来たんですかぁ?」
「これ!」
クラリッサが咎めてきたけれど、あたしはずっと知りたかったのだ。
「いえ、いいんですよ。そうです、ぼくは人間だったのですが、承太郎と永遠を生きるためにリサリサ先生に教授を頼みに来たのです」
「はじめはおれの高祖父の義弟である吸血鬼んとこに行ったんだがな、相性が悪かったんだ。おれもあいつは気に入らねえしな」
「リサリサ先生が立派な方でよかったです」
「ええ、ええ、そうでしょうとも」
魔女様を褒められるとクラリッサは自分のことのように喜ぶ。
かくいうあたしも自慢げな気持ちになるけどね。
魔女様はすてきなお方なのだ。
「お二人はもうここへはいらっしゃらないんですかぁ?」
「おれの家が日本の裏側にあるからな。そこに帰るが、たまには顔を出そう」
「わあ、嬉しい。お部屋きれいにして待ってますねぇ。あたしが寿命でおっ死ぬより前には来てくださいよぉ」
「これ、図々しい」
「ふふふ、分かりました」
花京院様は妖しく笑ってくれた。
そうして彼らは去っていき、あたしたちにはいつもの生活が戻ったのだった。
40年ほどたってから養子にしたという娘を連れてやってきたあの二人が、ちっとも変わっていなかったことを追記しておく。