バンベリーの街角へ(R-15)

 
2008:09:05:20:01:45 新規のソフトウェアがインストールされた。
名前は承太郎、どういう仕事のソフトかは知らないが(僕はそれを知る必要が無い)、けれど彼が居ることは知らなくてはならない。
決められたとおり、僕は彼に挨拶に行った。
出迎えてくれたのは、帽子を目深に被った、随分きれいな顔をした男の子だった。
「こんにちは」と僕が言うと、彼はきらきら光る緑の目を瞬かせて、「…こんにちは」と返した。
「君はどこから来たの?どういう資源を使って仕事をするか教えてくれる?」
「ジョースター・ソフトウェア・エンジニアリングの新製品だ。ローカルの、画像ファイルをメインに加工したりする。……お前はどこから来たんだ?」
ジョースター・ソフトといえば、ジョセフさんなんかが既にインストールされている。
非常に有能で、かつ気さくだから僕も気を許している。
それより、彼が僕について聞きたがったのには驚いた。
今までそんなこと聞かれたことも無かったからだ。
答える義務など無かったけれど、真摯に見上げてくる視線に負けて、僕は素性を明かした。
「僕はD.I.O.社のアンチウイルスソフトで、花京院ていうんだ。…よろしくね、承太郎」
「ああ、…よろしく」

 

それから僕は、ルーチンワークの最中、仕事に支障のない範囲で承太郎の元に顔を出すようになった。
彼もまた、ぶかぶかの服を引きずって嬉しそうに迎えてくれるものだから、つい調子に乗ったのだ。
「お前のことがもっと知りたい」という彼の言葉に、僕は自分の生まれ年、今まで駆除したウイルスのこと、あるいは愚痴という形で、自分の苦手な相手さえ喋ってしまった。
承太郎はよく働いているとマスターが褒めるのが、なんだか自分のことのように嬉しかった。
彼はあまり自分のことを喋らなかったが、僕の体に擦り寄ってきて、頭などこすり付けてくるのが、弟が出来たようでなんだかくすぐったかった。
本当は、そういうことをされるのは好きではない。
自分の特性が思わぬところで知られてしまう可能性があって、寧ろ嫌いともいえるのだが、何故だか承太郎相手には許せてしまったのだ。
彼の、本当の姿も知らなかったのに。
いや、見抜けなかったのに、僕としたことが。

 

彼と過ごす日々は楽しかった。
今までの、定められた仕事だけを繰り返す日々に不満があったわけではないが、そしてその生活が変わったわけでもないが、明らかに、僕はパトロール中に承太郎に会うのが楽しみになっていた。
あの日までは。

 
 
 

その日だって、何も特別なことがあったわけではない。
マスターが取り扱うのは相も変わらず単調な連続画像で、バイナリデータとしてスキャンする僕には全くの別物に見えるが、色合いとか何とか(僕には詳しいことは分からない)、「画像」として処理するプログラムには同じように見える画像ばっかりだったはずだ。
だから初めは、なぜ承太郎があのデータファイルに過剰反応したのか分からなかった。
そのときも彼は僕の腕の中に居て、マスターの指令がそんな難しいものではなかったから、ほとんど片手間のような感じで処理をしていた。
そしてあの画像が、彼の手の中に落ちたとき。
そこにある、決まったビットパターンを読み取って、彼は顔をこわばらせた。
僕の腕の中で、突然にがくがくと震え始め、
「どうした承太郎、大丈夫かッ!?」
慌てて彼の顔を覗き込むと、脂汗を浮かべて顔をゆがめるその瞳が、いつもの輝く緑ではなく、どす黒い闇の色に染まっていた。
「じょうた、」
「花京院」
びくりと体が震えた。
低い声、爛々と、暗く輝く瞳、そして今まで見たこともないような、歪んだ形に口角を吊り上げた、凶悪な笑み。
気が付けば彼は、僕よりずっとずっと大きな体になっていた。
彼がぶかぶかだった―――先ほどまで―――服を脱ぎ捨て、ようやく僕は彼の正体に気がついた。
服が彼の体に合わないのは当然のことだったのだ。
それは彼のために作られたものではなかった。
それは本来なら、ジョースター・ソフトウェア・エンジニアリングからきた画像処理ソフトが着るものだったのだ。
なんのことはない、彼はそのソフトを宿主としたごく普通の仕組みの、ただし非常に上手に―――この僕の目を誤魔化すほどに―――化けていた、ウイルスソフトだったのだ。
「っひ……」
暗い目で僕を見下ろしてぺろりと唇を舐める彼に圧倒され、思わず息を呑む。
けれどウイルスソフトが正体を明かした程度で動けなくなっては、アンチウイルスソフトの名折れである。
「ハイエロファントッ!!」
体勢を立て直し、彼を駆除しようと対象特定ウイルス駆除プログラムを走らせた。
ところが彼はにやりと笑うだけ、あっさり僕のプログラムは霧散されてしまう。
当然だ、ハイエロファントがどういうアルゴリズムで敵を倒すのか、僕は既に、彼に伝えてしまっている。
あのときの、得意げだった自分を心底呪う。
だって、承太郎が緑の瞳を輝かせて、聞き入ってくれたものだから。
それが彼の仕様なのだとも知らずに。
「スタープラチナ!!」
逆に彼の攻撃プログラムがラッシュとなって、無数に僕に降り注ぐ。
そのどれもが僕の苦手とするタイプのもので、勿論完全にお手上げなのではないが、処理に非常に時間がかかってしまう。
ひとつを駆除している間に次のものが来て、僕はあっさりといっぱいいっぱいにされてしまい、
「ああッ!」
処理能力が低下して崩れ落ちてしまった。
承太郎がくつくつ笑いながら近付いてくる。
その足取りはいやらしいほどゆっくりだ。
僕がどうせ、しばらくは動けないことを分かっているのだ。
「花京院。」
歪んだ笑みで見下ろしてくるその真黒な瞳に射すくめられる。
「とっくに分かってると思うが、俺はコンピュータウイルスだ」
そういってかがみこむと、小刻みに震えるだけで自分の意思では動かない腕を取られた。
ぎりりと握りこまれ、痛みを感じるほどだ。
「っ承太郎……なん、で………!」
「なんで?なんでっつっても、俺がそう作られたからだとしかいえねえぜ」
「僕、を…動けなく、して、何をしようっ、て……いうんだ」
「何を……それなんだがな」
ふと、承太郎の表情が変わった。
笑みが引き、なんだろう、何か良く分からない表情で僕を見下ろしている。
「お前、俺がインストールされたのと同じ頃に、別のウイルスを駆除しただろう」
そういえば、承太郎よりもっと単純な、直接的にコンピュータにダメージを与えるようなウイルスを、あっさり駆除した覚えがある。
「実は、あいつは俺とセットだったやつでな。ここのマスターに悪意を持って働きかけるのはあいつの方だったんだ」
彼の表情は何だろう、「感心」?
「だが何の手違いか、あいつは俺よりもっと後に来なければならないはずだったのが、まだ俺の潜伏期間に来ちまって、それでお前に殺された」
潜伏期間!そう、僕のいとしい承太郎は全て、こいつの演技に過ぎなかったのだ。
「じゃあ、じゃあ君は……」
「俺の仕事はな。」
つかまれていた腕をぐいと引かれ、僕は抵抗も出来ずに彼の胸の中に飛び込んだ。
「ん、むう…っ!」
そのまま口を付けられ、更なる攻撃プログラムを流し込まれる。
ぴちゃりとわざと音を立てて唇を離された後は、僕はもう完全に動けない。
「はっ、はあっ、」
荒い息を繰り返すだけだ。
「あいつが来ようが来まいが、俺には関係ねえ。俺の仕事はな、花京院。お前を動けなくすることだ」
そう、マスターに被害があろうがなかろうが、それはプログラムである僕らにはどうでもいいのだ。
定められた仕事を定められたまま行うだけ。
そして僕はそれに失敗し、僕が失敗したということは承太郎は成功したということだ。
彼は自分の設計されたとおりに僕の上にのしかかり、体を動かせない僕の、力の入らない足を開いて、更なる負荷プロセスを与える作業に没頭し始めた。

 

「ひあっ、あ、ァああっ……やあああ!!」
「くッ…」
何度達したか分からないくらいに攻撃されて、けれどまだ解放されない。
当然だ、彼はそれが仕事なのだから。
僕に負荷をかけ、それがあまり重くなりすぎて、コンピュータ全体のスループットが低下し、彼というプログラムそのものが動けなくなるまで続くのだろう。
「ッ…ひ、ど……じょう、たろっ…すき、だった、のに…」
ぴくりと眉を動かして、承太郎が動きを止めた。
荒い息をつきながら、僕の顔を覗き込んでくる。
僕の方は涙で彼の顔が良く見えないのが、なんだかとても残念に思えた。
「…俺も、お前のことは好きだったぜ」
承太郎の顔が近付いて、それはなんだか寂しそうに見えた。
「………承太郎」
「…何だ」
「君のことだから、CPU使用率なんかはきっちり誤魔化しているんだろう。僕が正常に働いているように見せているんだろう…まだマスターには、僕が君に犯されているなんて気付かれていないんだろう」
「…そうだな、それがどうかしたか」
「承太郎、いっそのこと…僕を壊してくれ」
「何?」
「僕が壊れて、スキャンプログラムだと分からないくらいになって、それで僕が、完全に壊れたってマスターに分かったら……」
もう本当にくたくたの体を無理矢理起こして、承太郎へと耳打ちした。

 
 
 

「あれ、これは」
ふと手を止めて画面を覗き込む。
嫌な予感がして、慌てて該当箇所のチェックをしてみる。
案の定、ウイルススキャンプログラムがやられているのが見つかった。
至急コンピュータをネットワークから切断する。
時間をかけて確かめたところ、他のコンピュータは無事であった。
うーん、まあ、やられたのはスキャンプログラムであるし。
修理をするのも面倒だ。
バックアップは別のところにきちんと取ってある。
ふむ、ならば。
このパソコンは、まあ、ネットワークからは切断しておいて。
ソリティアゲームにでも使おうか、と。

 

そういうわけで、小さな電気仕掛けの箱の中で、お互いの仕事から解放された承太郎と花京院は、いつまでも幸せにリロードしあいましたとさ。