わたしと悪魔 五、貞節の悪魔の場合

 
承太郎は敬虔なクリスチャンだった。
立派な家に生まれ、洗礼を受け、神学校に入って僧になった。
彼は、田舎ではないけれど都会でもない、普段は神の教えなんか気にはしないけれど土曜のミサには人々が集まるような、そんな町の教会に派遣された。
承太郎は妻帯者だった。
女人と交わることを一切禁じている宗派もあるらしいが、承太郎は、人々に教えを説くならば僧こそが愛情について熟知し、健やかな家庭を築くべきだと考えていた。
彼は見目麗しかったので、秋波を送る女性も少なからずいた。
けれど承太郎は、彼女たちに見た目より大事なものがあると言い聞かせ、それに、自分は妻を深く深く愛しているから、ほんの僅かも応えられないと言った。
承太郎が愛妻家であることは、彼と一度でも話したことがある人間なら、誰だって知っていた。
ミサの後の世間話の時間では、彼の口から妻の話題が出てこないことはなかったし、町に買い物に来たならば、食べ物だろうと雑貨だろうと、いつも妻を基準に選んでいた。
少し離れた町に、教会の用事で出かけることがあれば――長くても三日程度なのだが――毎日欠かさず手紙を送った。
けれど、町の人たちは、承太郎がそれほど妻を愛していると知っているのにも関わらず、誰一人としてその姿を見たことがなかった。
彼が購入する食材は二人分だし、町外れの教会に、二人分の人影を目にしたことがある者もいた。
それでも、太陽の下で、この僧侶が情を注ぐ妻の顔を見た者は、一人もいなかったのだ。
詮索好きの人々が、そのことについて、もちろん承太郎に問いただしていた。
「妻は人前に出るのを好まないので」
と彼は言った。
「妻はとても美しいが、万人の目からは醜く見えるかもしれない。妻はとても清らかな心を持っているが、万人の目からはとても邪に見えるかもしれない。だからわたしも、あえて妻を皆さんの前に立たせようとは思わない」
承太郎がそう言うのと、そんな妻のために振られたということで、彼に断られた女性の中には、その妻は魔女なのだと声を荒げる者もいた。
神父は教会に魔女をかくまっており、誑かされているから人には見せないのだと。
承太郎は、それに対してこれといった反論をしなかった。
けれど魔女に誑かされているにしては、彼は清く美しく、神の教えを全うして、町のために尽くしていたから、そんな話を信じる町人はいなかった。

 

「魔女だって?」
教会の居住部、質素なベッドの上で、横たわった承太郎に跨って、花京院は笑った。
彼が笑うと、山羊のような目が細まって、奇妙な線を形作る。
「魔女どころか、ぼくは悪魔だよ」
彼はそう言って、承太郎の首筋に唇を落とし、両手でその逞しい体を愛撫しはじめた。
柔らかな毛の生えた尻尾をしなやかにくねらせ、それは承太郎の足の間に向かった。
承太郎は、花京院の赤毛を撫でながら、額の小ぶりの角にキスをした。
「悪魔の、しかも男とこんなことをしてるって知ったら、きみの信者たちは気が狂ってしまうんじゃあないかい」
牙の生えた広い口を妖艶に歪めて身をかがめると、花京院は硬くなりつつある承太郎のそれに、長い舌を這わせた。
「おれの信者じゃあない。おれはただの伝言役だ」
息を荒げながら、承太郎が応えた。
「悪魔と交わるなとか、男と交わるなとか、男優位の体位でやれとか、そんなのは後世の人間が言い出したことだ。神はただ、淫猥な欲望に我を忘れるなとしか言ってねえ」
「だけどぼく、気持ちいいこと好きだよ。君と淫猥な欲望に我を忘れたいよ」
承太郎の大きな手に顔を寄せながら、花京院が言った。
「ねえ、もう入れていい?早く、体の中、熱くして欲しい」
「ああ」
そこで花京院は、承太郎の上に腰を下ろし、ゆるゆると動き始めた。
既にそそり立っている花京院自身に、承太郎が手を伸ばしてきたので、その上から自分の両手で包み込み、彼は嬌声を上げながら手と腰を動かした。
その姿は、言葉では表せないほど淫靡であったが、承太郎は、そんな姿を決して他人へは見せない彼のことを、とても貞節で清らかだと思っていた。
彼を愛することと、神を愛することは、承太郎の中で一切の矛盾を孕んでいなかった。
花京院の中がうごめいて、絡み付いてくる。
その感覚に、たまらず承太郎は彼の中に熱を吐き出した。
花京院はそれを感じて、満足そうに微笑んだ。
その笑みは、挑発でも誘惑でもなく、いっそ純粋だった。

 
 
 

花京院は、幼少の頃に森で出会った人間の子供に、一目で心を奪われた。
誰かの手に渡る前に、何としても自分のものにしてしまわなければ。
焦りさえ感じて、花京院はそれに口をつけ、牙を立てた。
そして、思惑通り、それは花京院の手の中に落ちてきた。
驚いたのは花京院のほうだ。
手の中のそれは、あまりにも美しく輝いて、そのまま見つめていることすら出来なかった。
それは星だった。
それを地上に留めておくことなど、出来るはずがない。
花京院は、それをそうっと手の中から逃がした。
もう二度と、目にすることはないだろうと思いながら。
けれどその星は、花京院の呪縛から抜け出したというのに、そのままどこへ行くこともなく、笑みを浮かべて手を差し伸べてきた。
花京院は思わず、その手を取った。
それから彼は、ずっとその星と共にある。

 

花京院は、隣で眠る承太郎を優しく梳かしながら、自分の親のことを思い起こしていた。
父は、母を手篭めにして、完全に自分の色に染め、がんじがらめにして傍に置いていた。
もし自分が同じように、承太郎に鎖を付けようとしたらどうなるだろう?
彼は笑って、その鎖を自ら受け取るだろう。
けれど、そんなことはできないと、それを試しても無駄だったと、そうすとんと思って、花京院は自分も目を閉じて眠ることにした。
彼は人間であるからこそ美しく、そして自分も、人間である彼を愛しているのだから。

 
 
 

謙虚なクリスチャンである承太郎は、町の人々に慕われ、惜しまれながら天寿を全うして死んだ。
彼は長らく子供に恵まれなかったが、遅くに出来た一人息子は、葬式の時には喪主になれるほど立派に成長していた。
参列した人々は、若い頃の神父によく似ていると口々に噂しあった。
式でとうとう姿を見せた承太郎の妻は、上から下まで漆黒の衣装に身を包み、体型すら定かではなかった。
分厚いヴェールで顔も全く見えない。
妻は、承太郎が眠る棺に屈みこみ、いっぱいの花の間に何かを落とした。
それきり引っ込んでしまって、後はもう、全て息子が取り仕切った。

 

そうして承太郎の体は死んでしまったけれど、悪魔である花京院には、忘却というものはない。
彼は、心の中にはっきりと住まわせた愛しい相手に、いつでも好きなときに会うことが出来る。
だから、彼と彼は、いつまでも幸せだ。