わたしと悪魔 一、赤毛の魔女の場合

 
花京院は敬虔なクリスチャンだった。
だからこそ狙われたのだ。
神学校から帰る途中、彼は四・五人の男に囲まれた。
花京院には日系らしく空手の心得があったが、銃を手にした複数人の前では無意味に等しかった。
振り下ろされる拳に遠のく意識で聞いたのは、
「こいつはうまそうだ」
という嫌悪感を催す声だった。

 

目が覚めてまず気が付いたのは、自分が縛られているということだった。
体は全く身動きがとれず、首をめぐらせるのが唯一できたことだった。
薄暗い部屋に目を凝らしてようやく分かったことは、自分は何か台の上に乗せられていて、その周りを十数人の人間が取り囲んでいるということだった。
とはいえ、彼らは皆一様にフードを目深に被ったローブを身につけており、男女の区別さえ定かではない。
彼らがぶつぶつ呟いているのが悪魔たちの名前だと分かったとき、花京院は鳥肌が立つのを感じた。
これは黒ミサだ。
そして見る限り、ミサの生贄は、僕だ。
呪文を唱える声が大きくなってゆき、花京院は動けないまま一人の男にのしかかられた。
べったり頬に生暖かいものが擦り付けられる――恐らく、血だ。
それから男は花京院の服をナイフで切り裂いた。
花京院は身を硬くしたが、その肌が切り刻まれることはなかった。
だが、それより悪いことが起こった――男は花京院をすっかり丸裸にすると、自分の前をくつろげ、
「―――あああァぁぁああッ!!」
己のそれを思い切り突き立てた。
破られる痛みと屈辱に身を捩じらせるが、進められる腰が止められることはない。
やがて――数時間にも思われたが、たった数分だったかもしれない――男が花京院の中に吐精した。
ぜいぜい言う声と生理的な涙、だがそれで終わりではなかった。
男が退くと、また別の男が花京院の覆いかぶさり、その中へと侵入してくるのだ。
首を絞められたときもあった。
腹の上にぶちまけられたときもあった。
泣いて叫べど蹂躙の手は止まらず、花京院の声はだんだんに枯れていった。
そしてもうほんの少しも声が出せなくなってしまったとき――それは来た。

 

集団からいったん解放された花京院だが、ぼんやりした頭はもう何も考えられなくなっていた。
彼らは魂の抜けたような花京院を囲み、なにやらまた呪文を唱え……不意に黒煙が回りに立ち込める。
そしてそれが晴れたとき、花京院はこの世ならざるものを見た。
しっかり見たというよりは、ただその目に映しただけだったが。
そこにいたのは、3メートルはあろうかという巨大な生き物の姿だった。
顔は牛に似ているが、そんな穏やかなものではない。
大きく黒くねじれた角がまがまがしく、口の間からは鋭い牙が見えている。
黒ミサの信者たちに崇められ囲まれた―――それは悪魔だった。
けれど花京院には、もうそんなことを深く考えられる力は残っていなかった。
悪魔の黒い顔を見、大きく割れた蹄を見、不気味に光る緑の瞳を見――あまりのことに、彼は悪魔に向かって――笑いかけた。

 

「…こいつが今回の贄か」
悪魔の声は地を這うようだった。
太い爪の生えた指が顎にかかり、上を向かされる。
長身の花京院は、そんなことをされたのは初めてだったから、思わずくすくす笑ってしまう。
それにつられたように悪魔も笑った。
「悪くねェ」
彼はそう言って取り囲む人々に何やら言い、それから花京院を腕に抱いて――消えた。

 

連れてこられた先は、なんだかよく分からない真っ黒なところだった。
恐らく魔界とかいうところなのだろうが、壊れてしまった花京院にはそんなこと気にする力はなかった。
これも真っ黒でごてごてした飾りの付いた寝台に横たえられる。
悪魔が取り出した一物が花京院の腕ほどもあったものだから、彼はまた笑ってしまった。
「まさか、はいらないよ!」
と言ってくすくす笑うが、悪魔は気にせず宛がってきた。
予想に反し、それはずるりと音を立てて大した抵抗もなく埋め込まれた。
悪魔の精液には媚薬作用があるのか、花京院はあっという間に高められた。
それがまたおかしくて、悪魔との行為中、花京院は笑いっぱなしだった。

 
 

そうして悪魔との生活が始まった。
魔界は常に薄暗かったから、いったい何日過ぎたのか、今がいつなのか計るすべはなかった。
悪魔はちょくちょく外出し、二回に一回は生贄であろう山羊やニワトリを持って帰ってきた。
悪魔が頬を膨らませて炎を吐きそれらを焼く様を見て、花京院はけたけた笑った。
それから毎回、セックスをする。
壊れた花京院は容易に嬌声を上げ、それは悪魔を喜ばせたらしかった。
花京院がすっかり悪魔のものになってしまった様子を見て、ある日、悪魔は彼を人間界に連れていってくれた。
人間の間にまぎれるとき、悪魔は人間の姿をとった。
その姿は長身の美丈夫で、花京院をまた笑わせることになった。
花京院が壊れた笑いを上げるのを悪魔は気に入っているようで、魔界でも人間界でも、基本的に花京院の好きにさせた。
悪魔が譲らなかったのは、魔界に帰る時間だ。
里心が付かないよう、悪魔は花京院をあまり長いこと人間界に置いてはくれなかった。

 

それが起きたのは、そうして二人で人間界に来ているときのことだった。
そのとき二人は、露天で酒を出すところに座って、花京院のくすくす笑いを肴にちびりちびりやっているところだった。
ふっと悪魔が表情を変え、花京院の頬に手を添えると、
「呼び出しだ。ちょっと行ってくる」
と言って消えた。
花京院はそれを見送って、一人で酒を飲んでいた。
あまり気分はよくなかった。
悪魔に捧げられてから、人間界で一人になるのは初めてだ。
なんだか不安になって、花京院は一人で店の区画を出るとフラフラ歩き出した。
知っている道を行ったのは無意識だろう。
だがそれは神学校への道で、すなわち教会への道だった。
教会の前では、牧師が箒で掃除をしていた。
だが花京院を認めると不意に険しい顔になり、「ちょっと」と言ってその手を引いて教会へと連れ込んだ。
通い慣れた場所だが、花京院は何か嫌な予感を覚えた。
連れられた先で対面した司祭も、花京院を見て眉をひそめた。
以前の花京院としても、一方的に説法を聞く立場でしかなかった相手だ。
おろおろしていると、やはり手を引かれて地下室に連れ込まれた。
そこで手枷をはめられて、ようやくぎょっとする。
「悪魔と通じた魔女め――罪深い!」
言われて驚く。
悪魔と通じた。
魔女。
罪深い。
そんな自覚はどこにもなかった。
ただ、見たこともない美しい――そうだ、彼は美しい――獣にさらわれて、ただ仲良くしていただけだというのに。
そんな花京院を罪深いというのなら、彼を鞭打つこの司祭はどうなのだろう。
様々な拷問器具が並ぶこの部屋は。
司祭は言葉だけでなく、実際革の鞭でもって花京院を打った。
花京院は涙を流し、愛しい獣の名前を呼ぼうとして、それを知らないことに愕然とした。
その事実は更に彼を泣きじゃくらせた。
痛い、辛い、―――助けて!
地を割るような轟音が響き、地下室の天井が崩れた。
司祭が目を丸くして見つめるその先には、角を振りかざした真っ黒な悪魔がいた。
聖められた場所に立ち入ったせいか、肌のあちこちに火傷のような跡を作っている。
本来ならば、決してこんなところには押し入ったりしないのだろう。
予想もしなかった来客に、司祭は泡を吹いてしりもちをついた。
その隙に悪魔の腕が伸ばされ、手枷を引きちぎる。
花京院はぐすぐす泣きながら、その太い腕に自分から抱かれていった。
悪魔は背中からこれも真っ黒な翼を生やすと、そのまま魔界へと飛んで帰った。

 

「おい、いい加減泣き止んだらどうだ」
「だって…きみ、きみがたすけに、きて……」
「あァ、助けてやったんだからそれでいいだろ」
「ッでも…ぼく、きみのなまえ、しらなくて……よべなかった」
「それで泣いてるのか」
悪魔は呆れたような驚いたような顔をした。
花京院が「うん」と頷けば、苦笑さえ付け加える。
「俺は…俺の名前は承太郎だ」
「じょー…たろ」
「ああ」
悪魔の名を呼び、ようやく泣き止んだ花京院は、その逞しい胸に頭を寄せた。
「じょーたろ」
「なんだ」
「ありがとう」
「……あァ。もう二度と離さねェからな」

 
 

そうして、さる高名な悪魔とその奥方の赤毛の魔女は、ずっと幸せに暮らしましたとさ。