イチジクの落花 – 隠頭花序の日暮れ

 
空条承太郎は、講義中、携帯電話が震えるのを感じた。
今喋っている教授はかなり厳しいタイプで、机の上で堂々とスマートフォンをいじっていた学生を講義室から追い出したこともある。
そこで承太郎は、彼の目を盗んで受信メールの差出人だけ確認した。
そして、頭を抱えた。

 

講義が終わってから彼は、声をかけてくる女子たちを完全に無視してトイレに駆け込み、個室に入ってしっかりと鍵をかけてから、『承太郎へ』という件名のメールを開いた。
本文には、
『今日は会ってくれますか?僕のこともう嫌いになっちゃった?』
などと書いてある。
そんなわけがあるかと心の中で盛大に叫びながら、承太郎は恐る恐るメールに付けられた添付画像を開いた。
……小学生男子の全裸自撮り写真が出てきた。
いやいやいやいやアウトだろうこれは。
承太郎はその画像を、一応鍵付きのフォルダに保存して(一応だ、一応。何かに使うとかそういうことではない)メールを削除した。
俺を犯罪者にするつもりか。
いや、まあ、もう手遅れなのだが。

 
 

承太郎は、不良中学生たちに囲まれていた小学生を助けてから、その子供にすっかりなつかれてしまった。
それはまだいい。
彼の両親が共働きで非常に忙しく、その上息子にあまり愛情を注がないようなのを理由に、自分が一人暮らしをしているマンションに毎日のように遊びに来るようになったのも、まだセーフだろう。
問題は、なんというかその、酒の勢いで、ヤってしまったことである。
酔いが回ってぼんやりした目に、ぷっくりした唇とか、まろやかな頬とか、細い腰とかが、ものすごく魅力的に映って、気が付いたら手を出してしまっていたのだ。
完全に犯罪である。
良い子は真似しないように。
本当に申し訳ない。
あの時のことは忘れてしまいたい。
いや、彼の白くて手に心地よい肌のことは忘れたくな……違う違う。
承太郎は件名に『花京院へ』と書いて、返信メールの本文を書き始めた。
『俺はずっとお前のことが好きだ。だから会わない方がいいと言っているんだ』
花京院からの返信は早かった。
『好きならなんで会ってくれないの?僕、承太郎と一緒に遊んだり勉強したりお風呂に入ったり一緒に寝たりエッチしたりしたい』
何なんだこれは神からの試練か。
手を出してしまったその日、我に返った承太郎は、自分のしたことを知って真っ青になった。
それから花京院に土下座して、もう二度と近付かないと誓ったら、……泣かれた。
しかもあろうことか彼は、最中に自分が「嫌だ」だとか「やめて」だとか言ったものだから(そりゃ強姦されてるんだから当然なのだが)承太郎がそんなことを言い出したと思っているらしく、それからちょくちょく、「もう嫌とか言わないから、またやって」などと迫ってくるようになった。
しかもそれを突っぱねていたら、こうして自分のいかがわしい写真まで送ってくるようになってしまった。
俺の精神力は試されているのか。
精神力が具現化する超能力でもあったら、ステータスAの自信がある。
承太郎は『俺だってしたい』という文章を形にすることはせず、携帯電話をしまい込み、その日はもう返事は出さなかった。

 
 

そして今、マンションのオートロックの前で座り込んでいる少年を見つけて、再度頭を抱えているところだ。
「ずっと待ってたのか……」
「ううん。金曜は承太郎、帰ってくるの6時くらいでしょ。だから、家に帰って宿題やって、時間を測って来たよ。あんまり待ってない」
「しっかりしてるな……」
「承太郎、僕、お腹すいたし、ちょっと寒くなってきた」
花京院がそんなことを言って見上げてくるので、承太郎は彼を追い返すわけにもいかず、部屋に上げざるをえなかった。
簡単にパスタを茹でて出してやる。
食べている間、花京院はおとなしくしていたし、片付けもいつものように手伝った。
それで承太郎は、自分たちは元の関係に戻れるかもしれないと思ったのだ。
けれどその考えは、バターたっぷりのパンケーキにシロップをこれでもかとかけたものより甘かったと思い知ることになる。
花京院は、一息つこうとソファに座った承太郎の首に腕を回しながら、膝の上に乗ってこようとした。
「おいこら、待て待て」
「明日は休みだから、泊まっていけるよ。父さんも母さんも仕事で遅いし、どうせ僕が帰ってこなくても気にしないもの」
「そういう問題じゃあない」
「どうしても駄目……?」
花京院の子供らしく大きな目はうるみ、今にも涙がこぼれそうだった。
承太郎はその音を聞いて、自分が無意識のうちにつばを飲み込んでいたのを知った。
「……………駄目だ。自分の体を粗末に扱うんじゃあねえ」
「粗末に扱ってなんかないよ。承太郎だったら大事にしてくれるでしょう」
大事にできなくて、あんな結果になってしまったのだが。
承太郎が肩に手をかけて体を押しとどめるので、花京院は願い叶わず、彼に抱きつくことはできなかった。
「やっぱり承太郎、大人の女の人の方がいい?僕じゃ気持ちよくなかった?」
「いや最高だっ…じゃなくて、お前のことを大事にしたいから、もう手を出すことはできないんだ。分かってくれ」
「分かった……」
微塵も納得していなさそうな顔で、花京院はしぶしぶ承太郎の膝の上から降りた。
その軽さとぬくもりを、もう恋しく思うその心から、承太郎は必死に目を背けた。
「でも、泊まっていくのはいいでしょう?前だって、誰もいない夜は危ないからって、泊めてくれたじゃない」
「俺の方が危ないわけだがな……いいぜ、泊まっていけよ。ただ、何もしねえからな」
そう言って承太郎は、極力以前と同じように振る舞おうと、花京院と付かず離れず、一緒にテレビを見たり、一人でゲームをさせてレポートを進めたりした。
花京院は、事あるごとに身体をくっつけようとしてくる以外は素直だった。
「もうこんな時間か、花京院、風呂に入るぜ……じゃあなくて、一人で入れるだろう」
承太郎のマンションは、大柄な彼の体格と実家の資産に合わせた内装だった。
浴室も一人暮らしとは思えないほど広く、彼らはちょくちょく一緒に入浴していた。
その頃は、お湯を飛ばしたり泡を立てたりするだけで楽しかったのだが。
彼の体が水滴を弾いて濡れるさまを見て、それがすべやかに手に吸い付くことを知った今、冷静でいられる自信がない。
花京院は唇を尖らせながら、それでも「分かった」と言ってバスタオルを受け取った。
だが。
「………ここは脱衣所じゃあねえぜ」
「どこで脱ごうが僕の勝手でしょう」
承太郎はどこも乱れていないコート掛けを整理しながら素数を数えた。
この前563まで行ったのでその続きだ。
天国と地獄は同じものだったんだな、新発見だぜ。
風呂とトイレが別で、本当に本当によかった。
花京院が出た後、彼の残り湯とかそういう考えは頭の中から総戦力でもって追い出して、承太郎も風呂を済ませた。
それから予備の毛布を引っ張りだして居間に向かう。
「あれ、承太郎、何してるの?」
「俺はソファで寝る。ベッドはお前が使え」
「え!嫌だよ、一緒に寝ようよ」
そう言って腕にすがりついてくる小さな体を、承太郎は優しく、けれど断固引き剥がした。
「言っただろう、駄目だ。お前のためでもあるし、俺のためでもある」
花京院はまだ何か言おうとしていたが、承太郎は彼を抱え上げ、ベッドの上、布団の中に入れてしまった。
彼がたまに承太郎のマンションに泊まるとはいっても、そんなに頻繁なことではなかったから、承太郎の部屋には彼の寝巻きになるようなものはなく、そんな時は自分のシャツを貸してやっていた。
シャツが大きくて、ちょうどワンピースのようになるのだ。
ただ、どこもかしこもだぼついているから、今こうやっているように、座って上半身だけ起こした彼を見下ろす形になると、首も鎖骨もよく見える。
その下にある色付いた飾りも、ちょっと頭を傾ければ見える。
傾けるな、絶対に傾けるな、俺。
「じゃあ、承太郎、キスして。キスだけでいいから。そしたらもう、寝るから」
それは先ほどまでのようなあからさまな誘惑ではなかった。
だからだ、その歳相応であどけない様子が、何より愛しく心を揺さぶった。
彼は少年に屈み込み、求められるままに唇を合わせた。
それはふっくらと甘く柔らかく、どんな極上のデザートも、その赤のくちどけの比ではなかった。
花京院の唇はほろりと緩かったので、承太郎はつい、そこを舌でつついた。
そこは抵抗なくそれを迎え入れた。
承太郎の舌は、長い長いおあずけに耐えかねたように、その口内を好き勝手に蹂躙した。
慣れない感覚に戸惑う舌を絡めとり、歯列の裏も表も味わい尽くし、頬の裏側も口蓋も、全てしっかり確かめた。
時折聞こえる、鼻に抜けるような「んッ」という声も、その衝動の背中を押すだけだ。
どこかで何かが震えているのを感じる。
それが、自分のシャツをつかむ花京院の小さな手だと気が付いて、承太郎はがばと体を離した。
俺は今、何をした。
あれだけ言葉で彼を突っぱねて、自分の方は今、一体何をした。
彼がこんな、耳まで真っ赤にして、ふるふる震えて、唇からどちらのものともつかない唾液を垂らして、とろりと熱い目をして、
「よかった」
と彼は言った。
「承太郎も、僕のこと、好きなんだね。よかった」
「好きに決まってんだろ……!」
承太郎は辛抱たまらず細い体を抱きしめた。
花京院も、承太郎の背中に腕を回してくる。
「承太郎、僕、ちゃんと調べたんだ。あれは好きな人とやることなんでしょう。僕は承太郎のことが好きだよ。だから……」
承太郎は、少年の額に自分の額をくっつけた。
「……いいのか?つらかったんだろう?」
「ううん、大丈夫。お願いだ、承太郎……」
そこで承太郎は、彼の体を横たえ、丁寧に丁寧にその体を開いた。
こんなに小さくて折れそうなほど細い体に、無体をはたらいた過去の自分など、百回殺しても足りないくらいだ。
花京院の体は狭く慎ましく閉じられていたが、承太郎が時間をかけて慈しむように体を使えば、健気にもそれに応えて、最後にはとうとう、彼は全てを暴かれた。

 
 
 

翌朝とてもあたたかい気持ちで目覚めた花京院は、自分の横で何かブツブツ言いながらベッドに突っ伏している愛しい人の、そのたくましい腕に一糸まとわぬ体をくっつけた。
その彼はというと、
「花京院、起きたのか……」
と言って、居住まいを正して土下座した。
「……何してるの」
「悪かった、俺はまた…」
「なんでそんなこと言うの」
その声に常にない棘を感じて、承太郎ははっと顔を上げた。
「僕、承太郎のことが好きだから、して欲しいって言ったよね?承太郎はやっぱり、僕のことなんか好きでも何でもないの?あれは間違いだって?」
「そんなことはねえ」
「だったら、そんな顔をして謝らないでよ。僕は嬉しかったんだから」
そう言って彼がまた身を寄せてきたので、今度こそ承太郎は、その体を腕にかき抱いた。
「……花京院、俺は、お前のことが好きだ」
「うん」
「だが、俺とお前には差がありすぎる。俺の方が体はでかいし、力も強い」
「うん」
「それに、俺はもう成人しているが、お前はまだ守られるべき年齢だ」
「あと10年早く生まれたかったな」
「お前はそのままでいい。……だからな、俺が自分の好きにしようとしたら、間違いなくお前に無理をさせることになる。身体的にも精神的にも、社会的にもだ。だから、お前が思ったことや考えてることは、何でも言ってくれ。隠したり我慢したりしないように」
「分かった」
花京院は承太郎に抱きついたまま、その耳元へ口を近づけた。
「あのね、昨日、すごくきもちよかったよ」