イチジクの落花 – イチジクの落花

 
『これで夕飯を買いなさい』。
そんな書置きすらなくなって数年がたち、花京院は何の感慨もなく、机の上に置かれた500円玉を握り締めて家を出た。
花京院はこの家を、homeだとは思っていなかった。
これはただのhouseだ。
屋根があって、眠るのに便利なだけの場所だ。
花京院が本当に心を落ち着けられるのは、別の場所だった。
家の鍵を閉めて自転車に乗り15分、辿り着くのは高級マンションだ。
手馴れた様子で部屋番号のキーを押して「ぼくだよ、開けて」と言うとロックが開く。
エレベータで最上階まで行くと、もう通路にお目当ての相手が立っていた。
そこでやっと、花京院はこの日初めての笑顔を見せるのだ。
「承太郎!」

 

花京院と承太郎の出会いは、安っぽいドラマか何かのようだった。
ランドセルを背負って縮こまった花京院が、中学生だと思われる不良たちに絡まれていたのを、偶然通りすがった大学生の承太郎に助けられたのだ。
花京院は軽く殴られて転んだときに膝から血を流しており、なんにしてもとりあえず手当てをしようと、承太郎が一人で住んでいるマンションに連れてきて、そこからすっかりなつかれてしまった。
承太郎はいわゆる『ガキ』は好きではないのだが、花京院があまりにも大人しく卒業論文の邪魔をしない、どころかうまいコーヒーまで淹れてくれるので、このあまり喋らない少年を気に入って好きにさせている。
「今日も親はいねえのか?」
「うん、いつもみたいに500円が置いてあっただけ」
「そうか……じゃあ今日は特別に、俺が夕食を作ってやろう」
「ほんと!?」
そんなちょっとしたことで、少年の瞳はまるで星のようにきらきら輝くのだ。
承太郎は花京院を哀れんではいなかったが、いい環境にはいないと思っていた。
承太郎のパソコンがカタカタ音を立てる。
花京院の鉛筆がカリカリ音を立てる。
それだけで会話らしい会話もなかったが、彼らは不思議と居心地の良さを感じていた。

 
 

その関係が崩れたのは、ある冬の日のことだった。
その頃ちょうど承太郎の卒論は行き詰っており、夜遅くまで起きていたり、逆に昼過ぎまで眠っていたりすることが多くなっていた。
花京院もそういう日は遠慮して、承太郎の部屋へは上がらずに帰っていたのだが、その日は妙に承太郎が上機嫌で「上がっていけよ」と言うものだから、それがどんな罠なのかも知らずに誘いに乗ってしまったのだ。
あんなことになるとは思いもしないで。
その日の承太郎はいつもと様子が違った。
赤い顔をして、いつもより饒舌になっていた。
見たことがある、と花京院は思った。
これはお酒に酔っているときの姿だ。
だが承太郎なら、と、それでも花京院は甘い期待を胸に抱いた。
承太郎なら、酔っていても花京院を殴らずにいてくれるかもしれない。
事実、承太郎は花京院を殴ることはしなかった。
どころか、「お前はいつも一人で頑張っていて偉いな」と言って、頭を撫でてくれさえした。
本当はもう、そんなことをされて素直に喜べる年齢ではなかったのだが、テストで100点を取ってもかけっこで1位になっても、そんなことしてもらったことがなかったから、花京院はあまりの嬉しさに、酔いが移りでもしたかのように真っ赤になった。
承太郎はそんな花京院を見て、頬に手を滑らせると、「お前、可愛いな」と呟いた。
何を言われたのかよく分からないうちに、今度は顎に手をかけられ、気が付いたら口に柔らかい感触を感じていた。
混乱する頭の中、聞こえてくる承太郎の「いい子だ」という声、そのままぬるりと口の中に差し入れられる奇妙なもの。
ばくばく煩いのは心の臓の音だろうか。
一体何が起きているのか、まだ把握できないでいる花京院の体に体重をかけ、承太郎は花京院を絨毯の上に押し倒した。
細く小さな体は、力をこめないでも簡単に封じられてしまう。
承太郎は花京院のTシャツをたくし上げ、小さな突起に口付けた。
そんなことをされるのは当然初めてだったから、花京院は混乱するばかりで抵抗らしい抵抗もできなかった。
そのまま唇は下へと滑って行き、とうとう承太郎は花京院の半ズボンを下ろしてしまった。
唇はそれでも止まらず、花京院のそこを包み込む。
「!?じょ、承太郎…ッ……そんなところ、汚い…」
「汚くねえよ。あー……まあ、反応はしねえか」
ぼんやりした目で、しかし手つきは迷いなく、承太郎はすっかり花京院を裸にしてしまった。
「なに、するの…承太郎……恥ずかしい」
すると承太郎は、体を起こして自分もシャツとスラックスを脱いだ。
「これでお相子だ、恥ずかしくねえだろ」
そういう問題じゃあないと、花京院が口を開く前に、彼は花京院の足に手をかけ、大きく開かせた。
そのまま後ろの穴へ指を添える。
「やだ、なに………ッ、った、痛い、痛いよ承太郎…!」
「黙ってろ」
それきり承太郎の方が黙ってしまって、荒い息を吐くばかり、花京院の中に己を埋め込むことに夢中になったようだった。
花京院がどれだけ泣いて騒いでも、「いやだ、止めて」と訴えても聞き入れてはくれなかった。

 
 

次の日、目を覚ました花京院は、床で土下座をしている大の男を見た。
「承太郎…」
「俺が悪かった。俺も、俺の本性がこんなんだとは思っていなかった。ずっとそんなつもりだったんじゃあねえ、そんな気になったのは昨日が初めてだ。許せとは言えねえ、もう二度とお前には近付かないと約束するから、」
「えッ!?」
勢いよく体を起こした花京院は、途端体中の痛みにまた絨毯に沈み込むことになった。
「なに、なにそれ……ぼくが悪いの?」
「あ?いや、全面的に俺が悪ィ…」
「ごめッ、ごめんなさい、承太郎!ぼく…ぼく、次は痛いとかいやだとか言わないから!だから嫌いにならないで!」
「嫌いに……なるのは、お前の方だろ。あんなひどいことした俺を…」
「ううん、痛かったけど、でも、承太郎がしたいことなら、いい……だから僕を捨てないで、お願い承太郎」
そんな風にすがってこられて、承太郎はもう何も言えなくなってしまった。
この子供が、家庭でネグレクトを受けているのは想像に難くない。
自分はそんな寂しさの隙間に付け込んだ、ただの幼児性愛の犯罪者だ。
だが、だが……そうやって、心の隙間を埋めることがこの子のためになるのなら。
世界でたった一人ではないと、こんな自分でも伝えることができるなら。
「……分かった。お前がいいと言うのなら、そう言ってくれる限りは、ずっと傍にいよう。そしてきちんと物事が分かる大人になったら……そのときに俺をどうするか決めてくれ」
「うん、よかった。ありがとう……ずっと傍にいてね、承太郎」