月と恋人 – 新月の午後

 
花京院という男が居る。
同じ職場の同期に当たるが、目立たない男で、特に接点もなく、ほとんど会話を交わしたこともなかった。
……とはいえ、目立たないのはこちらも同じだ。
190を超える長身に、緑がかった目は日本では珍しく、見た目は派手だが、喋らせればそう気の利いたことも言えず、仕事も与えられた分はこなすが、それ以上は出来ない。
悪いやつではないが、ぱっとしない、これといって特徴の無い男。
それが俺だ。
それが俺であるように振舞っている、が正しいのだが。
ところで花京院という男は、整った顔に柔らかい物腰で、女性社員からはそこそこもてているらしいが、話しかけてもあまり会話は続かず、仕事もノルマはクリアするがそれだけだ。
付き合いも悪く、遊んでいるとも聞かない、つまらない男である。
と思われていた。
思っていた。

 

その花京院が今、夜なお明るい繁華街で、女を連れて歩いている。
短いスカートや大きく開いた胸元から、むっちりした肉を見せびらかしているタイプの女だ。
花京院の昔からの知り合いというよりは、どこだかの店から連れ出したと考える方が自然だろう。
そもそも彼は、一人でこんなところに来るような人間ではないと思っていた――いや、それは俺も同じか。
俺はただ、今晩の「おかず」を探しに来ただけなのだが、こういう場所でそういうことをやるような人間ではない、と周りに思わせている。
それでは彼は?
単に今日だけ羽目を外して遊びに来たのか、それとも普段の、影の薄い様子はただの演技で、毎晩女をとっかえひっかえしてやがるのか。
彼の顔に笑みが乗っているのが珍しく、つい好奇心でもって彼らの後を追ってしまった。
底の無い暗闇を覗き見ることになるとは知らずに。

 

彼らとある程度の距離を取り、かつ逃がさないために、俺はスタンドを発現させた。
俺のスタンドは、俺とは別の五感を持っているタイプで、しかもその感覚が鋭い。
俺本人の目には人ごみに紛れて花京院も女も見えないが、スタンドの目にはくっついて歩く二人がはっきりと映っている。
声を潜めて喋る、彼らの会話の内容さえ耳に入ってくる。
「……そうだね、もう我慢が出来ない。後片付けが大変だけど、外でいいかい?……うまくやるよ」
そう言って彼らは、路地裏の暗がりへ消えていった。
おや、潔癖なところがあると思っていたが、と驚いた途端に女の悲鳴。
何かと思えば、彼らが姿を消した暗闇を形作る建物は、若者が集まって夜毎大音量の音楽と喚声を放つ店だった。
これでは何を話しているのか、よく聞こえない。
路地裏のギリギリまで近付いた、スタンドの耳に、しゅるりとかすかな音が聞こえた。
ネクタイを解く音だ。
だがその後また、がしゃがしゃ、がやがや、ケバケバしい一団が建物から出てくるのに遮られ、中で何をしているのかが分からなくなる。
それならそれで諦めて帰ればよかったのに、何がそんなに気になったのか、気が付けば俺はスタンドを引っ込めて、暗がりへと足を踏み入れていた。

 
 

はあ、はあ、荒い男の息と、ゴミの散乱した行き止まりに横たわった女の体。
そこに見えた光景は、半ば予想したもので、半ば予想もしていなかったものだった。
「く、う…じょう……!?」
目を見開いて驚く、息の上がった花京院と、だらしなく口を開けたままの、息の止まった女。
その首元には花京院のネクタイが絡まっているが、それが本来の用途ではない使われ方をしたのは、女の首にくっきり残った跡を見れば一目瞭然だ。
その様子を見て、俺は何故か――路地裏へと歩を進めたのも理由が分からないが、本当に、何故か――安堵を感じた。
それで特に騒ぎ立てることもせず、彼ら(彼と、それ)を見下ろしていた。
先に動いたのは彼の方だ。
俺から目をそらさずに、小さくかつ鋭く口の中で何か叫び、すると彼の体から半透明の緑の「もの」が出現し、その手足の先がひも状に解けてこちらに飛び掛ってきた。
とっさに自分のスタンドを出してそれを防ぐ。
なんてことだ、こいつはスタンド使いでもあったのか。
その驚愕は俺だけのものではないらしく、花京院は先ほどより更に大きく目を開いて俺を凝視する。
おいおい、そんなにでかくしたら目玉が零れ落ちちまうぜ。
だが彼は俺の心配など知らないで、きらきら光るスタンドを自分の側に立たせ、冷や汗をかいて構えを取っている。
俺が見たいのはそんな顔では無いのだが。
俺が気になっているのは、こちらに気が付いて振り向くその一瞬前、痙攣する女に覆いかぶさって首を絞めていたその時、爛々と目を輝かせていた、彼の笑顔だ。
暗がりに倒れる女が動いていた時に向けていた、あんな作り物の笑みではなく、心の底から湧き上がってくる喜びを表出させた笑顔だ。
そして気になることがもう一つ。

 

「おい、花京院」
「……なんだ空条」
「てめー、その死体どうするつもりだ」
「………何?」
一歩近付くが、次の攻撃は来ない。
「どうも、今日が初めてって訳じゃなさそうじゃあねえか。いつも死体はどうしてる」
「どうしてる、って……証拠消して、海に沈めたり山に埋めたり……」
「なんだ、殺すだけか?勿体ねえ」
「は?」
更に一歩。
汗に濡れてうなじに張り付いた髪が見えて、奇妙に色っぽいと思った。
「その死体、もういらないなら俺にくれないか」
「何、だって?」
近付いて、俺に彼がよく見えるようになったと同時に、彼からも俺がはっきり見えるようになる。
俺の目を覗き込んで、彼はぼそりとつぶやいた。
「……君、そういう趣味があったのか」
「趣味、だ?」
「死体と『する』のが目的なんだろ?」
「あァ、何だそりゃ。死体とセックスなんて気色悪ィこと出来るか」
「え、じゃ何をするつもりなんだい」
「食う。決まってるだろ」

 
 

そういうわけで、殺す作業が面倒だった俺と、死体の処理に困っていた彼は、それぞれの利益のために一緒に行動するようになった。
彼が好きな方法で殺しをやるために、俺の家で獲物をしとめるうち、いつの間にか同居を始めていたのはそれから数週間。
あまりに楽しそうに作業をするお互いの姿に惹かれて、これまたいつの間にか、それが同棲になっていたのは、更に数日のことだった。