月と恋人 – 満月hun er

 
彼らを見かけたのは、なんてことのない、普通のスーパーマーケットで、だ。
肉とか野菜とか、常備薬とか、そんなものを買い込んでいたように見える。
あたしは特売の野菜を吟味していたところだった。
ストレスでも過食でもなんでもなくって、ただ遺伝の問題で太りやすいあたしは、肉なんてほとんど食べないし、野菜でも食べ過ぎないよう、食べ過ぎないよう気をつけていた。
それでも(よく言えば)ふくよかな体は他人様の邪魔になったみたいで、手に持ったかぼちゃと比べるために別のかぼちゃに手を伸ばしたとき、背中に人がぶつかったのを感じた。
慌てて謝りながら振り返った時に見た彼らの、なんとまあ目を奪われる容姿であったことか!
一人は日本人離れした長身で、帽子に隠されているのが勿体ないくらい、どこにもけちをつける隙のないような整った顔をしていた。
対するもう一人は長身の方とは違うタイプの美形で、ふわふわした髪は赤茶色をしていたけれど、男だけれど純和風の美人という感じだった。
周りの女性たちも、ちらちら振り返っては頬を染めている。
あたしがぶつかってしまったのは背の低い方の――とは言っても長身の方と比べてという意味で、彼も十分背は高くて、細い手足がモデルみたいだった――男性みたいで、穏やかな笑みを口に浮かべると、
「いいえ、僕も不注意でした」
と耳に心地よい声で言った。
それであたしはすっかり参ってしまって、緩む顔を隠せずに、もう一度謝って、けれど当然それ以上はお知り合いになるわけにもいかず、その日は幸せな気分で(なんというか、目の保養になった感じで)眠りについたのだ。

 

残念ながらもう二度と会うことは無いだろう、会っても遠巻きに見るだけだろう、と思っていた彼らの方からあたしに接触してきたのは、それから一週間と少したってからのことだった。
その日はちょっと残業が長引いて、いつもの電車より何本も後のやつに乗って、暗い夜道を一人で歩いていた。
あたしが一人で暮らしているアパートまでは、ちょうど繁華街から一本外れた道を歩かなくてはならなくて、歩き慣れた道ではあっても、やっぱり夜に一人は心細い。
恋人でも居れば迎えに来させるんだけど、とまで思って、そんなもの出来そうにもないと思いなおした、ところだった。
「あんた、」といきなり後ろから低い声をかけられて、飛び上がるほど驚いた。
護身術も何も習った覚えはないけれど、警戒心もあらわに振り向けば、そこには以前見た、立派な体格で彫りの深い美形という、普通だったらテレビの中くらいでしかお会いできないような男が立っていた。
長いコートをなびかせて、2メートルくらいの高みからあたしを見下ろしている。
萎縮しかけたが、その口元に笑みが浮かんでいるのが見えて、少しだけ気を緩めた。
何しろその笑みったら、神様あなたってば本当に居たんですねというくらいに完璧で、厚い唇はそこに存在しているだけでセクシーだった。
「前、スーパーで会っただろう。こんな暗い道に一人で危ないぜ。この辺に住んでるのか?」
あたしはしどろもどろに肯定するしかなくて、彼が送っていこうかと提案した時にはもう、耳を疑うしか出来なかった。
「それとも誰か、迎えに来るような人間が居るのか?だったら俺はお邪魔だな」
一人暮らしです。
恋人?居ません。
親とも遠く離れて暮らしてるんです。
それらを言うだけですごく時間がかかってしまって、あたしはとっくに彼の車の助手席に座っていた。
あたしは車にさっぱり詳しくないけど、それが高級車なのは、なんというか雰囲気で分かった。
「そんな緊張しなくていいぜ。俺としては、見たことのある女性が夜道を一人で歩いているのが気になっただけだ。放っておけなくて声をかけただけで、下心は何も……あんた、夕食はもう食べたのか?」
そう言って、少しニヒルな笑みを浮かべる。
彼の緑っぽい目にとっくに打ち抜かれていたあたしには、そんなもの爆弾にしかなりえない。
あたしはこういう、いわゆるナンパには慣れていなくて、しかも相手は映画俳優かそれとも漫画から飛び出してきたんですかというような美丈夫だったもので動転して、行き先がどこかのレストランとか居酒屋とかじゃなくて、彼の家だというのにも違和感を感じなかった。
感じる暇がなかった。

 

「ここだ」と案内された場所は、歴史のある日本家屋、というか豪邸で、これまたあたしは仰天した。
これ、これって本当にナンパだよね。
なんであたしみたいなのに声をかけたんだろう。
この人なら、もっとずっとランクが上の美人だって、より取り見取りじゃない?
「そう警戒するな。この家に、俺とあんたの二人きりじゃあないし」
あら、親さんでもいらっしゃるのかしら。
と思ったけれど、出迎えてくれたのはなんと、あの日も彼と一緒だった、もう一人の美男子だった。
「お客さんかい?いらっしゃい、どうぞゆっくりしていってね」
そしてまた蕩けるような笑み。
「今日はリクエストどおり、シチューだよ。でもまだ出来上がってないから、お客さんをもてなしていてくれ」
その言葉通りにあたしは客間に通されて、見たこともないくらい広い庭を眺めながら金持ちの美形と談笑、という、人生で初めての体験をしていた。
「裏にはもっと広い庭がある。あっちの方は流石に手が回らなくて、荒れちまってるんだがな」
それだけじゃない、俺んちの敷地は見えてるより広くて。
「女が一人くらい叫んだところで、近所には届かないんだぜ」

 
 
 
 
 
 

「オイ花京院、客間なんだから汚すなよ」
「分かってる、って!刃物、を使いたい、ときは、客間に案内、なんかさせない、だろ!」
「随分暴れるな。手伝うか?」
「だいじょ、ぶ、だよッ、この抵抗が、減っていく、のが、楽しいんじゃあない、か」
「てめーは『こういうとき』にスタンドは使わねえからな。やれやれだぜ……シチューはどのくらい出来てる」
「あと、お肉を入れる、だけッ」
「そうか。じゃあ後は俺がやるから、とっとと」

 
 
 
 
 
 

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