お犬さまと一緒 (5)お隣さんにお茶をご馳走になりました

 
ある休日、承太郎に部屋の掃除を任せて、僕はこまごました日常品を買いだしに行ったときのことだ。
マンションに戻ると、久しぶりにお隣さんに出くわした。
彼の名は確か、ブローノ・ブチャラティ。
イタリア人で、母国では国語の教師をしていたらしいが、日本で今はイタリア語の教師をしている……と近所の噂で聞いた。
なにやら大荷物を両手に抱え、ドアを開けるのに四苦八苦している。
別に放っておいても良かったのだが、流石に隣人にそれはバツが悪い。
自分の荷物(と言っても買ったのは歯ブラシとボールペンだけだった)を腕に引っさげて、彼が無事に部屋に入るまで、ドアを手で押さえていた。
はっきり言ってご近所付き合いなど皆無の僕だ、どう声をかけるべきか分からずに、無言で手助けしてしまったが、目が合って微笑まれたから大丈夫だろう。
玄関にダンボールや包装紙の塊を置くと、ふうと息をついて彼が振り向いた。
「えっと、花京院さん、でしたよね。助かりました、グラッツェ!」
カキョーイン、と発音しにくそうに僕の名を呼ぶが、彼の日本語は聞き取りやすい。
「え、いえ……お役に立ててよかったです」
そのままきびすを返そうとする僕を、彼の気分を害さない程度に親しげな声が呼び止めた。
「良かったらお茶を飲みますか?せっかくお隣なのに話したことありませんですね」

 

イタリアには詳しくないが、間違いなく和風ではない部屋に、どこか外国の海岸のポストカード。
そして僕の目の前にはごく普通の緑茶。
お茶菓子に出されたせんべいとあられとともに、物凄い違和感を放っている。
「どうぞ遠慮なく。さきほど本当に助かりました」
「いえ…あの……すごい荷物ですね」
もうちょっと気の聞いた話題は無いのか、僕。
「ええ、先日猫を拾いました。彼のために今日色々を買いました」
「猫を?」
「はい。どこに居るかな。ジョルノ?ジョルノ」
彼の呼び声に答えるように、音も無く子猫が現れた。
子猫といっても生まれたてということではなく、まだ成猫ではないといった程度の若い猫だ。
すらりとした体格にけぶるような金の毛。
空の色をそのまま映したような青の目をもつ美しい猫だった。
「彼の名前はジョルノです。花京院…さんも犬を一緒と暮らしていますね」
「ええ、承太郎と言います。……あの、言いにくかったら名前…ええと、ファースト・ネーム、典明って呼んでもらってもいいですよ」
ノリアキ、と彼が口の中で反復する。
ジョルノと呼ばれた猫はその様子を見て、ちらりと僕に目線を送ってきた。
猫というのは人懐こい動物じゃあないが、なんだかあまり気分の良くない目だ。
僕に何か恨みでもあるのだろうか?
縄張りに入ってきて気分を害しているのかな。
「典明は承太郎と二人で暮らしていますか?恋人と三人で、それとも?」
「こ・恋人?」
思わず湯飲みを取り落としてしまいそうになった。
「高い男の人です。一緒に歩いているを見ました。恋人でなかったですか?」
「え、ええと……承太郎は…あ、いや承太郎と二人で暮らしてます。彼はその、友人で……」
ブチャラティは大いに焦る僕にも不信感を抱かなかったようだ。
どうやら照れていると思われたらしい。
「友人ですか。恋人になれるといいですね」
と応援されてしまった。
なんとか笑顔を作って曖昧に返事をしたところで、来客を告げるチャイムが鳴った。
失礼しますとブチャラティが席を立って扉を開けると、そこには噂の人物、承太郎がいた。
眉根を寄せて凶悪な顔だ。
だがブチャラティは怯むことなく、承太郎に挨拶をして僕に笑顔を向けた。
「お迎えですよ、典明。長く引き止めました、すみません。また遊びに来てくださいね」
「いえ、ご馳走様でした。失礼します」
僕は不機嫌な承太郎を引きずるようにして、自分の部屋に逃げ帰った。
ジョルノの青い目が無言で僕らを見送っていた。

 
 
 

ドアを閉めた途端に、承太郎に噛み付かれた、と思ったらキスだった。
買い物帰りの昼間にするようなキスじゃない。
「ふ…ん……ぅ、ッ承太郎!」
腕を突っぱねて何とか彼の体を引き剥がす。
「遅くなったのは謝るよ。そんなに怒らなくてもいいじゃあないか」
「別に怒ってねえ」
「顔が怖いよ。それにしてもよく僕の場所が分かったね?」
「匂いですぐ分かる。それで行ってみたらお前…」
「なんだい、なんでそう不機嫌なんだ?」
「……あいつがお前のこと典明って呼んでた」
は、と間の抜けた声を上げて一瞬呆けてしまった。
次の瞬間には耐え切れず、僕は思い切り噴出した。
「…はははは!君、っ君、それで機嫌損ねたのか?っはは、だったら君もそう呼べばいいじゃないか!僕ら恋人に見えるらしいし!」
「恋人」
「そ、うだよ!はは…へらへら……そりゃまあ好きあってるんだから恋人でもいいな!ノォホホ!」
いい加減落ち着け、と承太郎に言われて何とか笑いを堪える努力をしてみる。
だがそういう承太郎も耳まで真っ赤だ。
そんなことで嫉妬をするなんて、なんて可愛いんだろう!
だけどそういうとまた照れ隠しに怒るので、彼の頬に軽くキスをするだけにしておいた。
「…典明」
「なんだい、承太郎?」
「……あいつと同じ呼び方は嫌だ」
「だったら今まで通り花京院て呼びなよ!もうっ可愛いな!」
ああ、言ってしまった。
みるみるうちに眉間にしわが刻まれる。
でもそれが愛おしく思えるくらいには、僕も承太郎におかしくなっているようだ。

 
 
 

(久しぶりのお客さんなんだからもうちょっと愛想よくしろよ!何を機嫌悪くしてたんだ?)
(…あの彼氏と同じ理由ですよ、ブチャラティ)