お犬さまと一緒 (2)散歩に行きました

 
僕の名は花京院典明。
某会社の某オフィスで日がな一日パソコンに向かっている、まあよくいる会社員だ。
正直仕事に対してそんなにやる気はないので、できるなら残業はしたくない。
周りが忙しそうにしていようが、自分のノルマがクリアできていればさっさと帰る。
今日も、僕しか出来ないというわけでもない仕事を終わらせて、定時に会社を出た。
電車に乗って、降りて、途中少しだけ寄り道をして、家に辿り着く。
他にお金を使う場所が無かったので、年齢の割にはいいマンションに住んでいる。
ペット可のマンションで、見ると猫や鳥籠がベランダから覗いている。
今までは気にも留めていなかったが、今では僕もペットを飼っている身だ。
鍵を開けて僕が部屋に入ると、
 

「帰ったか」
 

エプロンをつけた大男がフライパンを片手に出迎えてくれた。
彼の名は承太郎、黒い毛並みと緑の目を持つ僕のペットだ。
……別に、僕にそういう趣味があるわけじゃあない。
彼は人間と犬の姿の両方を行き来する神秘の生物なのだ(と自分で言っていた、がどうも冗談のような気がする)。
実際僕は、彼が変身?変化?するところを見たことが無い。
のだが、気が付いたら犬の姿をしていたり人間になっていたりするのだ。
犬のときは普通にドッグフードも食べたりするし、人間のときはこうして食事を作ってくれることさえある。
どうやら犬のときは犬の、人間のときは人間の本能が強いらしい。
だが犬であっても他のとは比べ物にならないくらい僕の言うことを理解するし、人間であっても突然頬を舐めてきたり耳をくわえてきたりする。
 

「今日は少し遅かったな?」
「うん、ちょっとだけ寄り道してこんなの買ってきたんだ」
そう言って僕は深い青の首輪と銀の鎖を取り出した。
「君みたいな大柄な犬で、室内犬は嫌だろう?これで外に散歩に行けるよ」
正直、僕は冗談半分だった。
だが承太郎はその首輪と鎖を手にとって、(無表情に)にこにこと眺めている。
「散歩ってのはあれか、デートか。気に入ったぜ」
僕もそろそろ分かってきた、彼はこうやって大真面目な顔で冗談を言う。
「うわ!」
お礼のつもりなのか、頬をぺろりと舐め上げられた。
見かけによらず、どうも甘えたなところがあるようだ。

 
 

というわけで、承太郎に首輪とリードをつけて(勿論犬の彼だ)散歩に出かけた。
……はいいが、普段からあまり外に出ない上に、犬の散歩なんて初めてだ。
近所の人となるべくすれ違ったりしない道を選び、誰かが近づいてきたら道を折れ、なんてしていたら来たことのない区画までやってきてしまっていた。
まあいいか、大通りを探せばいい、と楽観的に歩いていく。
承太郎も堂々と歩を進める、こいつ自分は野良だったなんて言っておいて本当は誰かに飼われていたんじゃあないか?

 
 

ふと承太郎が足を止め、一点を睨んでぐるると唸った。
彼のそんな様子なんて初めて見るので、慌てて視線を追うと、塀の上に猫がいた。
かなり大きな猫で、金色の美しい毛色をもち、ハートのアクセサリーの付いた首輪をしている。
だが何より目を引いたのはその瞳だった。
血の色のように真っ赤な瞳、それが暗く不敵に輝いている。
自分より大きな犬に睨まれているというのに、毛を逆立てもせずに座ったままだ。
猫はまるで笑うようにぺろりと舌なめずりをすると、承太郎から視線を外して僕を見た。
赤い赤い紅玉が僕を捕らえ、一度ひくりと痙攣して体が動かなくなる。
ガル!と鋭い咆哮が聞こえて僕は解放された。
その場に座り込んでしまいたかったが、承太郎が物凄い力で僕を引っ張るので、ふらふらとその場を離れた。
ひどい嘔吐感だ。

 
 
 

「大丈夫か?」
逃げるように部屋に戻り、人型になって承太郎が僕に水を差し出す。
ありがとうと言ってそれを受け取ると一気に仰いだ。
「すごいプレッシャーだった。何なんだろう、あの猫」
「わからねえ。だがお前、もう二度とあの辺りには近づくな」
「頼まれても近づきたくないよ」
ため息。
初めての散歩が散々なものになってしまった。
別に、と承太郎が言う。
「あそこに行かなければいい。また散歩しようぜ。それに、」
人間の姿でもお前と出歩きたいしな、と言って彼は僕の鼻のてっぺんを舐めた。
くすぐったくて笑って身をよじったら、緩やかに抱きしめられた。
こんな風に僕を元気付けようとしてくれる相手は初めてだ。
照れくさくなって、顔を擦り付けてくる承太郎の頭を撫でた。