鉄獄より愛をこめて 18F

”奇怪なことだが、この犬は全然動いていないように見えるにも関わらず、何故か恐ろしい勢いで近づいてくるのだ。”

ズルの宿や酒場を恒例のように仰天させて、承太郎と花京院はモリバントに帰ることにした。

帰りの道中は、行きよりずっと楽だった。なにせ花京院の耐久力が元に戻っているのである。耐久力は体力に直結し、それは更に生存率に繋がっている。
アングウィルの書店にも寄って、店主を驚かせてやりながら、拠点のモリバントへと歩を進めた。あっさりとモリバントに帰り着いた二人は、アイテムの整理をしようと倉庫に向かった。
花京院が多めに拾った杖を仕舞って、落ち合う予定の宿の前まで行くと、そこでは承太郎が苦虫を噛み潰したような顔で待っていた。
「承太郎、どうした?」
「………食料がねえ」
「えっ」
承太郎の食べ物は、人間やエルフ、ホビットなどの死体である。当然店で売っているものではないし、酒場や食事処でも提供されない。
「ここんとこ広域マップの移動が多かったからな。手持ちの死体を食べつくしちまってたようだ。倉庫にもう蓄えがねえ」
「そうなのか……」
花京院は承太郎の後ろに、何かぐちゃりとしたものがあるのに気がついた。目を凝らしてみれば、どうやらそれは乞食の死体のようだ。慌てて村人の死体を調達しようとしたのだろう。だが鍛えていない村人を殺しても、魂が取り出せる「きれいな」死体にはならないようだ。
「だったら承太郎、一刻も早く“鉄獄”に向かわなければならないな」
「ああ。パラディンでも戦士でもアーチャーでもなんでもいい、食いもんを見つけねえと」
そこで二人は、手に手をとって“鉄獄”へと舞い戻った。

人間の敵はなかなか見つからなかった。いつもはもっと多く出てくる気がするのは、きっと気のせいなのだろうけど。

「……焦ると怪我するよ。悪くすると死ぬ」
「分かってるぜ」
一歩一歩を確かめながら歩くのはいつも通りだ。だが、それがじりじりとして進まない。承太郎は何度も首を振って、自分を落ち着かせようとしていた。
花京院の方も、自分が冷静にならねばと思ってはいるのだが、腹をすかせて気が立っているバルログが隣にいるものだから………腹をすかせたバルログ?
花京院はちらりと承太郎の横顔を窺った。横顔といっても彼は身長が3メートル以上もあるので、ほとんど『下顔』なのだが。
承太郎はグルルルと唸りながら前方に神経を集中させている。ダンジョンを照らす他の冒険者――つまり人間タイプのモンスター――がいないか探っているのだ。花京院の方は、見てすらいない。
「……嬉しいけど、少しさみしいな」
「あ?」
承太郎が視線を落としてきたので、花京院はしっかりと彼の目を見つめてこう言った。
「君のご飯になる生物なら、誰より近いところにいるじゃあないか?」
「……俺は、」
承太郎も花京院の顔を見据えて、ニヤリと笑った。
「俺は、好きなものは最後にとっておくタイプでな。一番うまいものは、それこそ死の間際に食いたいもんだな」
「君は今まさに死の間際に見えるけどな」
「ナメんなよ、もう少し行ける」
だが二人とも分かっている通り、それは口だけの強がりだった。承太郎はだんだんと体力が削られていっていた。
花京院はいつもに増して感知を頑張ったが、引っかかるのはドラゴンだとか悪魔だとかティラノサウルスだとか、ことごとく承太郎が食べられないものばかりだった。
とうとう承太郎は、ダンジョンの床に座り込んでしまった。口の端から、泡の代わりにチリチリと火の粉が噴き出している。花京院は彼に肩を貸そうとしたが、お互い潰れるだけだったのでやめた。
「承太郎、死ぬなよ」
「………」
「……分かった。動けないならここにいてくれ。僕が食べ物を探してくる。人間かどうかは分からないけど、さっき何かの集団が近付いてきているのを感じたんだ。運がよければ見習いレンジャーだとかパラディンだとかの集団かもしれない」
「………」
「いいか、絶対にここを動くなよ。すぐに戻るからな」
花京院は時間を短縮するために、ショート・テレポートの呪文を唱えた。飛んだ先は、先ほど感知した集団のいる方向ではなかった。だが。
こちらを驚いた目で見ているのは、一人の黒騎士だった。花京院はとにかく即効で片を付けるために、失敗のペナルティのことを考えもせずに矢継ぎ早に魔法を放った。体勢を立て直す暇もなく、黒騎士はになった。………骨に。
「畜生!」
花京院は叫んだ。欲しいものは死体なのに。承太郎にはもう、数ターンしか残されていない。花京院は腹をくくった。
それからまたショート・テレポートの魔法を使って、花京院は承太郎の元へと戻った。彼はダンジョンの床に倒れ伏し、か細い息を吐いていた。
「承太郎!」
花京院は駆け寄った。
「承太郎、意識はあるか!?」
「……か…」
「大丈夫だな。いいか、これから僕は死体になる。君はそれを食べるんだ。いいな」
「かきょう…」
「文句は聞かない」
「いや、……うし…ろ」
「え?」
花京院は後ろを振り返った。虫の息の承太郎に気を取られて、全く気が付かなかった。そこにいたのは、ランプを掲げてこちらを見ている、若い人間の集団だった。皆、その手に魔法書を持っている……見習いメイジか!
「見ろよ、死にかけだぜ」
「もうひとりもボロボロだ。殺し合いをしたんだな」
「やっちまおう。漁夫の利だ」
そう話していた彼らは、自分たちのレベルよりずっと上のモンスターの経験値が入ることに興奮していて、ハーフエルフのメイジの目が輝いたのを見逃した。

すっかり満腹になった承太郎は、安堵の表情を見せる花京院を見下ろした。

「よかった、本当によかった」
と言う彼の、その目の端がゆるんでいる。
「……どうしてあんなことをした」
「………未遂で終わったじゃあないか」
「俺はお前に、あんなことをしてもらいたくはなかったぜ」
「君がして欲しいとかして欲しくないとかはどうでもいい。僕がしたいかしたくないかの問題だ」
「てめえは……まったく………ハァ………心配をかけたな」
「本当だよ!」
花京院は怒った声を上げ、それからちょっと笑って承太郎の腹を小突いた。
「だが、まあ、おかげで食べそこねたな」
承太郎はそう言って、花京院の首筋に手を滑らせた。
「……君が本当に死にそうだったから、冥土の土産にでもやろうかと思っただけさ。僕だって死にたいわけじゃあない」
「分かってる」
承太郎は身をかがめて、花京院の唇にチュッと音を立てて軽いキスをした。
「ありがとな」
「……うん」