鉄獄より愛をこめて 30F

”しかし君は魔女なんか信じていないんだろう?”

初めのうちに出てきたイークや猫、インプなどは、花京院の相手ではなかった。花京院はすぐに、アリーナの顔になった。絵描きが花京院のポスターを作り、そこには『彼に勝てたら獲得の巻物を進呈!』という謳い文句が添えられた。

町中や酒場で向けられる視線も、以前ならバルログとハーフエルフの組み合わせに対する驚きや好奇がメインだったものが、「あのハーフエルフ」「あれが」というような声とともに寄越されるそれになっている。今や花京院は、ちょっとした有名人だった。

「おい、花京院」

「なんだい、承太郎?」
「あの隅のバルログ、お前のこと見てるぞ」
「別に、見られるのはいつものことだろう」
「あいつの目はちょっと違う。お前を倒して名誉を手に入れたいって顔じゃねえ。あいつは、お前を食いたいと思ってるぜ。間違いねえ」
「すごく信憑性の高い情報だな」
花京院はちらりと酒場の隅に目をやった。白っぽい灰色をしたバルログがいる。彼は花京院と目が合うと、さっと逸らしてしまった。
「明日にでもアリーナに来るんじゃあねえか。ダンジョンで出会うのは難しいからな。アリーナで殺した相手の死体は、好きにしていいんだろ」
「そうだな。まあ、アリーナでだって気を抜いたことはないけど、彼が来たら特に気をつけるよ。君のためにもな。嫉妬してくれてるんだろ」
「まあそうだ」
「なかなか嬉しいからどんどんしたまえ」
花京院は愉快そうにそう言って酒をあおった。

果たして翌日、アリーナに赴いた花京院は、リングの向かい側に例のバルログがいるのを見た。観客席にいる承太郎に顔を向けると、彼の方が今にも斧を振りかざして襲いに行きそうな、凶暴な顔をしている。

対戦相手のバルログの方は、ねっとりと絡みつくような視線で花京院を睨めつけていた。

ゴング!

バルログはを振り回しながら、一直線に向かってきた。花京院はバルログから走って逃げながら、カオス・ボルトの魔法を叩き込んだ。どうやら相手は、接近戦を得意とする職業のようだ。

バルログという種族は炎の心を持っていて、火炎の属性に耐性がある。ファイア・ボルトやファイア・ボールの魔法では、たいしたダメージを与えられないだろう。花京院はカオス・ボルトや破滅の矢の魔法を撃ちこみながら、リングの上を走り回った。バルログの鞭からひらりひらりと逃げる。
勝負は一方的と言ってもよかった。ステータス自体は互角であろうが、花京院は立ち回りの点で、まったくバルログを寄せ付けなかった。初め面白くない気分でリングを見ていた承太郎も、「さすがだぜ」と唸るくらいだ。
「この野郎!」
灰色のバルログは、耳障りなガラガラ声を上げた。
「卑怯者、ちょこまか逃げやがって、正々堂々戦いやがれ!」
「ハァ?」
花京院の声は、あざ笑うというよりは、ただ疑問に思っているといった声色だった。
「君は何を言っているんだ? これは魔法職の正々堂々とした戦い方だよ。卑怯っていうのは、例えばリングに上がる前に君の食事に毒を混ぜるとか、そういったことをいうんだ」
花京院は攻撃の手を緩めずにそう言った。向こうも雑魚ではないらしく、なかなか倒れない。
花京院はザックからアイス・ボルトの魔法棒を取り出し――リング上で杖や魔法棒は使えないが、持ち込み自体は許可されている――バルログを睨みつけて後ずさりしながら、それに口をつけた。魔法棒が淡く光って、それは少しだけ魔力を弱めた。『魔力食い』だ。MPを回復した花京院は、またカオス・ボルトの呪文を唱えた。
バルログは吹き飛ばされそうになったのを踏みとどまり、それからニヤリと笑った。その喉が赤く光る。バルログはその口から、火炎のブレスを吐いた。近付けないなら遠距離で攻撃するまでだ、と思ったのだろう。だが。
「その判断は悪くないが、ちょっと遅すぎるんじゃあないか?」
炎を浴びても、花京院はケロリとしていた。うるさそうに火の粉を払っている。
「とっくに火炎の二重耐性を張っていたさ。君がバルログである時点で、それはもう常識だろう」
花京院は少し、ほんの少しだけ残念そうな顔をして、トドメの魔法を矢継ぎ早に叩き込んだ。バルログはやっぱり耳障りな叫び声を上げ、とうとう動かなくなった。審判が駆け寄ってきて、「勝者、ハーフエルフの花京院!」とその手を高く上げた。ちなみに審判の仕事はこれだけである。
花京院を歓声が取り囲んだ。彼のファンらしい若い女性たちが、リングの近くまで寄ってくる。けれど花京院は彼女らの方を一瞥もしないで、承太郎の元へやってきた。
「な、ちゃんと倒しただろう」
「……それは心配してなかったぜ」
そうして花京院は、チャンピオンに一歩近付いたのである。