鉄獄より愛をこめて 11F

”それはゆっくりとあなたに近付いてくる。途中にあるものを全て食べながら…。”

地上に帰った花京院が呪われたクロークを脱ぐと、承太郎はさっさとそれを路地裏に放り捨てた。花京院は「ちょっと勿体ないなあ」と言ったが、じとりと睨まれたので口をつぐんだ。

さて、二人はモリバントという町を拠点としている。だが倉庫の中に放り込んでおいた『手負いの熊』の死体が、ちょっと口に出したくない感じになってきたので、辺境の地へ向かうことにした。
花京院は、辺境の地で初めて冒険者として旗揚げした日のことを思い出していた。

それは何も、華々しいデビューではなかった。彼の母親は人間だった。父親のことは何も知らない。

けれど自分の耳ははっきりと尖っているし、周りのゴミクズみたいな少年たち(もちろん花京院のそのうちの一人だ)に比べて明らかに力が強いし、顔もそこそこ整っていたので、自分が何者であるかは容易に想像できた。
極めつけは、20年たっても30年たっても、見た目も体力も10代の頃と何ら変わらなかったことだ。彼は漠然と、自分の寿命ははるか遠くにあるか、もしかしたら存在しないのかもしれない、と思っていた。
母親は彼が20代の前半くらいの頃に病気で死んだ。かなり長生きしたと言っていいだろう。花京院は彼女を町の外の共同墓地に埋め、冒険者相手に食べ物や油つぼなんかの日用品を売る仕事を始めた。
辺境の地に来る冒険者などたかが知れていたから、全くもって儲かりはしなかったけれど、その日食べる分はなんとか確保できていた。
花京院がそうやって、40年くらい生きたある日のことだ。彼は朝、店に顔を出して、呆然とすることになった。
まあ、たいしたことがあったわけではない。店が荒らされていただけだ、よくあることだ。ただ今回のそれは、なんというか、徹底していた。残ったのは壁と屋根だけ、という状況だったのだ。扉の木板さえなかった。
花京院は途方に暮れた。扉だの棚だの照明だの、そしてもちろん品物だの、そういうものを揃える金などどこにもない。仕方なく花京院は、自分の体と命だけでできる職に就くことにした。
それが冒険者だ。彼は店の土地を売り、その金で魔法書を二冊買った。それが自然とカオスの魔法書だ。メイジの花京院は、その時誕生した。

「……な、たいして面白い話じゃあなかっただろ」

花京院は肩をすくめた。けれど承太郎は、向かってきた巨大なムカデに斧を振り下ろしながら、「いや」と言った。
「なかなか興味深い」
「僕の生い立ちについて喋ったんだ。君のも聞かせてくれるんだろうね」
「俺の方こそつまらねえぜ」
そう言って、承太郎も自分のことについて話し始めた。
彼は400と35年前、地獄で生まれた。親がいたわけではない。さる高位の悪魔が、単なる気まぐれで生み出したものだった。承太郎はそのことについて、ずっと復讐の機会を待っていた。
400と34年間そいつに仕え、そして17ヶ月前の運命のあの日、承太郎は隙を見てそいつを殺した。
それから地上に来て、特にやりたいこともやるべきこともなかったので、腕試しを兼ねて冒険者になったのだ。

「へえ」

と花京院は言った。
「すると君は、冒険者になって1年と5ヶ月ということか」
「そうだ。それがどうかしたか?」
花京院はくすりと笑った。
「僕が二冊の魔法書を手にしたのも、だいたい1年と半年くらい前なんだ」
「ほう、そいつァ奇遇だな」
承太郎はニヤリと口端を上げて、こう尋ねた。
「それじゃあ、随分軍資金も貯まったろ。そいつでまた店を開く気はないのか?」
「まさか!」
花京院も笑って答えた。
「分かっていることを聞くなよ。一度鉄獄に足を踏み入れた者が、もう二度と安寧には戻れないなんてこと、君だって知ってるはずだぜ」
「まあな」
承太郎もそう答えて、それから自分の隣で草を踏みしめて歩くハーフエルフを見下ろした。
だが、もし……もしこいつが、地上で店を開いているんだったら。自分はきっと、常連客になっていたのだろう。いいやそれとも、そんな場所にいるこいつには、一切興味なんか持たなかっただろうか?
そんな、答えなど出ないifを頭を振って払い落とし、承太郎は大股で歩き出した。