わたしと悪魔 三、普通の青年の場合

 
「ハロウィンとか、意味不明だよね。何でわざわざ外国の祭りを輸入する必要があるんだ。まー、製菓会社もろもろが儲けるためだよねえ」
……先手を打たれた。
承太郎は「ああ」とも「おう」ともつかない返事をもごもごと返した。
事の発端はこうだ。
横に広い瞳孔をきらめかせて、母親が
「ハロウィンにお友達呼ばないの?ほら、いつも話してくれる子」
と提案してきたのだ。
承太郎の家では、正月よりクリスマスより、ハロウィンを一番盛大に祝う。
その祭典に、承太郎の高校最初にして人生最初の友人を誘わないか、という話だ。
母親にしてみれば当然の提案だろう。
だが問題は、その当の相手がそういうイベントに乗ってこない口だということだ。
「ハロウィン、嫌いなのか」
「嫌いって言うか、好き嫌いの前に興味がないよ」
ばっさり、一刀両断である。
「そんなことより、数学の予習やってきた?今日、僕当たるの忘れててさ。やってあるなら見せてよ」
承太郎の友人――よりもう少しだけ甘酸っぱい感情を承太郎は勝手に持っている――は極度のリアリストだった。
承太郎はがっくりうなだれて、数学のノートを取り出した。

 

承太郎の友人兼片思いの相手は、花京院といった。
承太郎と花京院は、新作ゲームの話をしつつ花京院の部屋へ上がった。
承太郎は花京院を家に呼んだことはないが、その逆はよくある。
ゲーム機が花京院の部屋にしか置いてないというのが主な理由だ。
だが花京院は、承太郎の家に『お呼ばれ』することには興味があるようだった。
彼にとっても承太郎は人生初めての友人で、『友達の家に遊びにいく』という行事に憧れているのはよく分かった。
だが――言えるか、うちの母親は男で、しかも悪魔です、なんて!
承太郎の家は由緒正しい悪魔の家系だった。
とはいえ承太郎は人間の血が4分の3も流れているから、ほとんど人間と言ってもいいようなものなのだが。
承太郎も普通に出生届を出し、人間としての戸籍を持って、学校に通っている。
だから、普段は自分が人外なのだということは感じずに暮らしている。
しかしごくたまに、牛の顔を持つ祖父がいつまでも若い祖母を連れて遊びにきたりすると、否応なく知らされるのだ――自分は花京院とは違う生き物なのだということを。
それは承太郎の恋の大きな障害だった。
男同士なのはこの際置いておく。
承太郎は、いつか抑えている自分の本性が暴かれて、花京院を傷つけることを恐れていた。

 
 
 

転機が訪れたのは、ある夏の夜のことだった。
二人で映画を見に行った帰り、映画館から駅まで、木立を突っ切る近道を花京院が発見したのだ。
承太郎は何か嫌な予感、というか匂いを感じたのだが、小さな冒険に浮かれる花京院を止めることはできなかった。
そして案の定――後で調べたところ、木立に魔除けの力があるニワトコが植えられていたようなのだが――、承太郎は身を捩って苦痛のうめきを漏らすはめになった。
「えッ、どうしたんだい承太郎!大丈夫かい!?」
「あんまり、大丈夫じゃあ…ねえ。とりあえず、この茂み出て…一息つける、ところに、行きてえ」
「分かった!」
そう言って花京院が承太郎を引っ張っていったのは、夜の公園のベンチだった。
自動販売機で水を買ってきてくれる。
「……助かったぜ」
「お安いご用さ。…あれ、承太郎、額に何か付いてる」
「ん?」
花京院が手を伸ばして触ったものは、何てこった、それは承太郎の角だった。
「これはッ……その、ニキビだ」
「え?でもさっきまではなかった、」
「ニキビっつったらニキビだ。てめ、襲われてえのか」
「えぇッ、どういうことだい襲うって、」
気が付いたら唇を塞いでいた。
目を見開く花京院を見て、しくった、と思った。
いくら余裕がなくなっていたからって、そんな本能に忠実なことをしなくても。
だが、次の花京院の反応――顔をみるみる赤くして、泣きそうな笑っているような表情をしやがった――を見て、完全に理性が焼き切れた。
承太郎は花京院に覆いかぶさり、首元に鼻先をうずめてキスした。
「ちょ、じょ、待」
「待たねえ。まんざらじゃあねえんだろ」
かあっと耳まで赤くなる。
承太郎は自分の鼻が犬並みにいいことに感謝していた。
こいつからは今の俺と同じ匂いがする――興奮している。
承太郎は花京院のシャツをたくし上げ、胸元にも唇を落とした。
「じょうッ…!待てよ、こんな……誰が来るかもしれないところで!」
それはとりもなおさず、誰も来ないところならいいという意味で。
「安心しろよ、この公園には俺ら以外人っ子一人いねえよ」
「どうして」
そんなことが分かるんだ、という言葉は途中で飲み込まれた。
承太郎の耳はありえないほど長く鋭く尖っており、そのくらいの音は聞き漏らさないようになっていた。
それだけではない。
口元からは牙が覗き、さっき彼がニキビだと主張したできものは、もう角以外に言い訳できないほど大きく伸びており、そして丸かったはずの瞳が四角く切り取られていた。
思わずつばを飲み込む。
花京院の様子が変わったのに気付き、承太郎は体を起こした。
自分の体の変化に気が付いたようだ。
「……バレちまったな。お前がこういうの、信じてないのは知ってるが」
「承太郎、なのか?」
「ああ」
承太郎が低い声で返事をすると、花京院はそっとその背中へ手を回した。
「承太郎、なら、いい」
その台詞で充分だった。
たがの外れた悪魔は、青年の白い体を思う存分貪った。

 
 
 

「君が花京院君だね、こんにちは」
「…こんにちは」
晴れてハロウィンの当日、花京院は承太郎の家に遊びに来ていた。
承太郎の家は近所で知らないものがいないほどの豪邸である。
その庭に立食パーティの用意がなされ、所狭しと異形のものが詰め掛けていた。
翼のあるもの、角の生えたもの、今ではそれが仮装ではないと知っている。
赤毛の青年を膝に乗せている、一番存在感のあるのが承太郎の祖父らしい。
そして目の前の、温和そうな山羊の瞳の青年が彼の母親だという。
「ゲームの世界に紛れ込んだみたいだ」
承太郎にそういうと、彼は苦笑して見せた。
「こんだけ集まるのはハロウィンのときくらいだがな」
「でもさ」
そう言って身を寄せる。
「僕も仲間に入れてくれて嬉しいよ、承太郎」
その親密な動作にあたふたするのは承太郎ばかりで、彼の母親はまだまだだなあと笑った。