この愛を鉄獄へ

鉄獄if

 
 
 
 
 
 

典明が生まれた時、両親はそれはそれは喜んだ。
彼らは息子に惜しみなく愛情を注いだ。
ところが、典明が成長していくにつれ、彼らの顔はこわばっていった。
切れ長の目、すっと通った鼻、横に広い口、そして赤毛と黄緑色の瞳。
周りも、早く顔を焼くべきだと助言した。
人間だからもしかしたら見逃してくれるかもしれないが、万が一ということもある。
町外れに住んでいたハーフエルフの少年が餌食にされたことも、記憶に新しい。
あの子も、母親が顔を傷つけるのを嫌がったのだ。
父親の忘れ形見だとか言っていたが、それで連れて行かれては、元も子もない。
その子も、典明と似たような顔をしていた。

 
 
赤毛に黄緑色の瞳の子供が生まれたら、気をつけなければならない。
特にその子が、尖った雰囲気の美少年ならなおさらだ。
ハーフエルフにそんな顔の子が生まれたなら、魔王に連れ去られていってしまうのだ。
「だけど、この子は人間よ!」
典明の母はそう言った。
「私もあの人も、エルフの血なんか入っていないもの。こんなにかわいらしいのに、顔を焼き潰すなんてできないわ」
「そんなことを言って、さらわれてしまったらどうするんだ」
母親はなおも渋っていたが、それでも、一番目立つ黄緑の目を隠すことには同意した。
そこで大人たちは、まだ三つにも満たない典明の両目を切り裂いた。
こうして典明は、盲目のものとして生きていくことになったのだ。
 
 

目が見えなくても、生きていく方法はたくさんある。
冒険者になることだってできる。
巻物や魔法書の呪文を読むことはできないが、技能や超能力を使うことは可能だ。
テレパシーなどの方法でモンスターを感知できれば、目の見えるものとほとんど変わらず冒険できる。
むしろ、町で生活する方が不便なくらいだ。
だが典明の両親は、息子を冒険者にしたがらなかった。
魔王は町を歩くこともあるが、ほとんどはダンジョンの中を、獲物を探して回っているのだ。
目を潰したとしても、赤毛やその他の部分で目をつけられないとも限らない。
だが典明は、どうやら冒険者としての才能があったようだ。
典明はちょくちょく、町の外、”イークの洞窟”に行ってはアイテムを持ち帰り、自分の家の店先に並べた。
”イークの洞窟”は、この世界でも一番と言っていいほど小さなダンジョンである。
こんなところに魔王がやってくるとは考えにくい。
それで両親も、そのくらいならと見逃していたのだ。
あんなことになるとは思いもしないで。

 
 
 

そんな風にして、典明がダンジョンに通いながら、店の仕事をしていた時の話だ。
その日も彼は、小さなザックを背負い、ダンジョンへ足を踏み入れていた。
ライト・エリアをする必要がないので、モンスターをいたずらに起こさない典明は、この辺りではちょっとした冒険者だった。
もちろん彼はまだ10と2年しか生きてはおらず、冒険者として何かの職業についていたわけではない。
モンスター感知も「気配をおおまかに感じ取れる」程度である。
それでも相手がイモムシやヤモリ、ジャッカルの群れなどだったから、大した苦労もなかったのだ。
だからその日も、何か大きめのモンスターの気配があるな、と感じただけだった。
典明の武器は、ダンジョンで拾った短刀である。
強いモンスターの出る階層ではないが、奥のほうで疲れた冒険者が登ってきている可能性は捨てきれない。
普通そういう冒険者は、ダンジョンの奥地から直接帰還の魔法で戻るものだから、そういった相手に出くわすことは今までほぼなかった。
だが用心を重ねるのは悪いことではない。
典明は慎重に、その気配を避けて歩いた。
ところが。
足元でかちりと何かの音が鳴った。
典明がはっとしたその瞬間には、テレポートのトラップが発動し、彼はフロア内の別の場所にテレポートさせられていた。
慌てて両手を動かし、自分の隣には何もいないことを確認する。
ほっとしたのもつかの間、典明はぎくりと体をこわばらせた。
暑い、いや、熱い。
「………イン?」
「え?」
小さな呟きが聞こえた方に顔を向ける。
熱はそちらの方から届いてくる。
何か、熱を発するモンスターだろうか。
「…お前は……人間か?」
「え、あ、はい」
典明は胸をなでおろした。
会話のできる相手のようだ。
すぐには襲ってこないということは、問答無用で殺されるわけではなさそうだ。
「忍者か?」
「え?」
「目を閉じているだろう」
「ああ、」
典明は微笑した。
忍者は暗闇で動く職業だ。
他の職業と違って、明るい部屋を自分から暗くして進む。
「違いますよ。でも忍者、いいですね。大きくなったらなろうかな。いえ、実は僕、目が見えないんです」
「そうなのか」
熱い気配が動いたのを感じる。
「いい赤毛だな」
「?それがどうか?」
「……目の色は?」
「え?さあ、鏡を見たのは物心付く前でしたから」
「昔は見えていたのか?」
「ええ。傷があるでしょう」
「そうだな。……目を、開けてみてはくれねえか?」
「え、なぜ?」
「興味があるからだ」
「いいですよ」
典明は、ゆっくり、そしてうっすらと目を見開いた。
目の前の気配が息を呑む。
それから、その気配が手を伸ばしてきた。
 
 

ぐいと、上に引っ張り上げられるような感覚。
初めてのそれに、典明は目を回した。
そして次に感じたのは、熱さと冷たさだった。
いつの間にか、あの熱を放つ人物が、典明の体を掴んでいた。
そう、体を掴んでいたのだ。
相手はどうやら人間のサイズの種族ではなかったようで、その硬くて大きな手は、典明の細い体をやすやすと包んで、掴んでしまったのだ。
その手の燃えるような熱さの次に、空気の冷たさが典明を取り囲んだ。
”イークの洞窟”だって地下にあるから、温かいところではない。
だが、ここよりはずっといいだろう。
熱い手に包まれているから大丈夫だが、一人では凍えてしまうだろうと感じた。
典明がぶるりと身を震わせたのに気付いたのか、大きな手の持ち主が、そろりと頭を撫でた。
「すぐ火を点けてやる」
その言葉通り、ごうという音とともに、火の熱を感じる。
この人が炎を吐いたんだ、と典明は思った。
火炎のブレスを吐く種族なんて、典明のレベルでは今まで会ったことなどない。
周りが暖かくなると、典明はそっと床に降ろされた。
「ここは…?」
「”城”だ。俺の」
典明は仰天した。
”城”といえば、最難関ダンジョン”鉄獄”には及ばないものの、十分に難しいダンジョンである。
この人は、そこの主だというのか。
「どうして僕をここへ?」
「お前はこれから、ここで俺と暮らすんだ」
その言葉で、典明は自分が魔王にさらわれたのだと知ったのだった。
「僕を……どうされるつもりですか、魔王さま?」
「魔王?」
「赤毛のハーフエルフを捕まえて、連れて行ってしまう魔王でしょう?」
「ああ、確かにそれは俺のことだ。だが俺のことは、承太郎と呼べ」
「承太郎さま?」
「承太郎、だ」
その台詞は、「承太郎でいい」という言い方ではなかった。
承太郎と呼ばなければ、何をされるか分からない、というプレッシャーがあった。
「……承太郎」
「ああ、それでいい。探したぜ、花京院」
その声はとろりと夢現だった。
典明は、その名は何なのかと聞くことはできなかった。
こうして典明は、『花京院』としてこの城で過ごすことになったのだ。

 
 
 

魔王・承太郎は驚いたことに、典明に無体をはたらくことはしなかった。
毎朝と毎晩、食べ物を持ってやってくるだけで、基本的に典明の自由にさせてくれる。
だが巨大な”城”は、モンスターの跋扈するダンジョンだ。
承太郎が典明に許可した場所は、彼の目が届く範囲らしい一区画だけだった。
典明は手探りでそこを歩きまわった。
大きなホールは寒々しく、何年もお客を迎えていないことが想像できる。
典明が一番よくいる暖炉のある部屋は、古びてカビ臭い空気に場違いなほどの分厚い絨毯が敷かれている。
食堂には大きなテーブルがあるが、椅子に座るのは典明だけだ。
承太郎は典明のために肉や酒、ビスケットやレンバスまで持ってきてくれるが、自分自身が食事をするところは決して見せなかった。
それから、寝室。
寝室には大きな大きなベッドが一つあるきりだ。
典明が大の字で寝転がっても、寝返りを打っても端に到達しない。
そこで承太郎は、典明を抱きかかえるようにして眠る。
”城”の空気はとても冷たいが、彼の体は燃えるように熱いので、典明はそうして眠る時には薄い肌着だけになっている。
承太郎の腕はゴツゴツしていて硬い。
胸もそうだ。
彼の体には、柔らかいところはないのだろうか?
気になった典明は、確かめてみることにした。
「承太郎、君のことを触ってもいいですか…いいかい?」
「俺を?」
承太郎が驚く気配を感じる。
何かマズイことを言っただろうか。
「もし駄目なら…」
「いや!」
承太郎が典明の肩をつかむ。
「お前のすることで駄目なことなんざねえ、花京院。どこを触りたいんだ?」
「腕はいつも触っているけれど、もっと他の……そうだなあ、顔とか…」
「顔だな。分かった」
承太郎はそう言うと、典明を軽々と抱き上げた。
勇気を出して、そろり、と手を伸ばす。
二の腕を伝って、上へ。
広い肩は先が尖っていて、太いトゲのようなものが生えていることが分かった。
そして、首。
首はどくどくと熱く、炎のようだ。
ここは柔らかいのかと思ったがそうでもなく、太い首はがっちりと硬かった。
それから。
そろそろと手を滑らせて、顔に触れると、承太郎がほんの少しだけ体を固くした。
顔の表面も、ゴツゴツしている。
頬に何か、うねる筋のようなものが入っているようだ。
手を上げていく。
額を過ぎると、短い髪があった。
これまた硬い。
額より少し後ろの方から、曲がった角が伸びている。
太いその角をするすると撫でて、最後に尖った角の先を離れていった典明の手を、承太郎の手が掴んだ。
そしてそうっと、典明の小さな手は、承太郎の唇へと招かれた。
典明の手が止まる。
頬より、腕よりは柔らかい唇は、それでもふわふわした典明のそれとは比べるまでもない硬さだった。
典明が唇に触れて、それでも押し付けたり動かしたりしないでいると、承太郎がふっと笑った。
「お前はいつも、硬い硬いと文句を言っていたな」
典明の手を掴んだまま、承太郎の手は更に上の方へと向かった。
長いまつげが指をかすめ、閉じたまぶたの上を触っているのだと分かる。
「お前の好きな緑の目も、ちゃんとここにあるぜ、花京院」
「緑…」
典明にとってそれは、クロークや一部の食料の色を表す記号でしかなかった。
自分をさらって閉じ込めているこの魔王の目の色は、緑なのだという。
そしてそれは、彼がなくした『花京院』が好きな色だと。
典明は承太郎のまぶたから手を離した。
「あの、ありがとう」
「おう。また触りたくなったらいつでも言え。今度は顔じゃあなくてもいいぜ」
それはどういう意味かと、聞いてしまったら恐ろしいことが起きそうで、典明は曖昧な笑みを返した。
 
 

典明が行ってはいけないと言われている扉は、二つある。
ひとつはホールの向こうの大きな鉄の扉だ。
その先は”城”ダンジョンになっていて、アンデッドやデーモンや、様々なモンスターがうろついている。
ダンジョンの主である承太郎に面と向かって逆らうものはいないが、典明のような羽虫が一人で出歩いたなら、あっという間に塵にされてしまうだろう。
もう一つが、ホールの隅の階段から下ったところにある、地下室の扉だ。
その先に何があるのか、典明は知らない。
入ってはいけない、と言われただけで、ホールの扉とは違って、その理由は教えてもらえなかった。
もちろん気になって、初めにそう言われたときに尋ねてみたのだ。
「なぜ入ってはいけないのですか?」
「花京院、敬語は使うなと言ったはずだぜ」
「……なぜ、入ってはいけないんだい?」
「ああ花京院、あそこはお前が入るべきところじゃあないんだ」
そう言って承太郎は、大きな手で典明の頭を撫でた。
典明は、あそこは『タブーの部屋』だろうかと考えた。
平和に暮らしていた娘が、夫が、親が、禁止された部屋を開けてしまい、幸せを奪われるのだ。
だけどさ、と典明は思った。
タブーの部屋なら、鍵は渡されるべきだし、何より僕は今、平和でも幸せでもなんでもない。
魔王の城に幽閉されて、毎日毎日やることもなく彼の帰りを待ってぼーっとするだけだ。
典明の以前の暮らしでは、洞窟に潜ったり店番をしたり、昼も夜も忙しく立ち働いていたのだ。
伝統的な囚われのお姫様って、一体何をしていたんだろう?
典明は承太郎がダンジョンの扉を開けて行ってしまってからたっぷり30分は待って、それから例の地下室で、扉の錠と格闘する日々を送っていた。
解錠のスキルはほとんどないが、ゼロでもない。
”イークの洞窟”にもごくたまに、トラップと鍵のついた木の箱が落ちていたりしたのだ。
さて、ある日の朝食が、鳥の肉だった。
とはいえ承太郎が持ってきたのは美味しそうなチキン料理ではなく、生きた鶏であった。
典明は、承太郎は人間とは違うものを食べる種族なのだと確信していた。
彼は、どのようにして鳥を食べるのか、知らないようだった。
典明が頼んで、彼は鶏の頭を落とし、血抜きをした。
それから典明が、鶏の羽をむしる。
そうしてから、承太郎が少しセーブした火炎のブレスを吐いて、それで鳥を丸焼きにした。
さばいたり、昼の分を分けたり、もちろん食べたりするのは、典明の仕事だ。
承太郎は典明が食事をする時は必ずそばにいるが、準備や片付けの時はそうでもない。
見たくないというわけではなく、食事に準備や片付けが必要なことを、いまいち理解していないようだ。
典明は焼かれたチキンを丁寧に食べ、承太郎に対して「ごちそうさま」と言った。
彼は満足したような気配で立ち上がり、「行ってくるぜ」と言ってホールに向かっていった。
典明は食器の上の骨を片付け始めた。
ゴミのたぐいは、一日の終わりに承太郎が高温の炎で全てを灰にしてくれる。
だがその日、典明は小骨の一本をそっと懐に忍ばせた。
食器を下げてから、典明はホールの隅、階段の先、地下室の扉の前に向かった。
ドキドキしながら鍵穴に小骨を差し込む。
鍵開けのおまじない――魔法の呪文というにはちょっとばかし能力が足らないが――を唱えながら、細い骨をぐりぐりと動かす。
幾ばくもしないうち、小骨の先に何かがひっかかる感覚があった。
ぐぐ、と力を入れると、ゆっくり動く。
骨が折れないように時間をかけて、じりじりと鍵の細工を動かした。
そしてとうとう、ガゴン、と重い音がして、錠が開いたのだ。
「開いた…!」
典明は心臓がばくばく言うのを感じた。
入ってはいけない部屋、鍵さえ渡されなかった部屋。
だが典明には、中に入らないという選択肢はなかった。
今の生活で惜しい物があるとすれば、命くらいのものだ。
それもいつ、気まぐれの元に失ってしまうかもしれない。
彼の『花京院』と違うことをしてはいけない、けれどそんな人、典明は会ったこともないのだ。
扉がギギギときしんだ音を立てた。
入るとしても、あまり長居はできない。
承太郎が帰ってくるのはいつも不規則で、今もホールの扉が開かれる可能性はあるのだ。
中に足を踏み入れた典明が最初に感じたのは、すえた臭いだった。
嗅いだことがないわけではない。
地元のダンジョン”イークの洞窟”にだって、人骨はちょくちょく落ちていた。
だがここはどうだ。
典明はそっと一歩を踏み出した。
さくり、と音がして、典明の足が何か、粉のようなものを感じ取った。
ふわりとそれが舞う。
灰だ、と典明は思った。
この部屋には、灰がうず高く積もっているのだ。
だがその灰は、承太郎がゴミを燃やしてできる灰とは、臭いが違った。
なんだろう、と典明は考え、ひとつの可能性に行き当たってぞっとした。
自分を閉じ込めている魔王について、いまさらながらその噂を思い出したからだ。
赤い髪に黄緑の瞳のハーフエルフは、魔王に連れて行かれてしまう。
それではその、さらわれたハーフエルフたちは、一体どこに行ったのか。
典明は体の震えを止めることができなかった。
すぐに踵を返して、典明は暖炉のある部屋へと戻った。
だが燃える炎でも、典明の震えを止めることはできなかった。
典明はなぜか、承太郎を『恐ろしい』と思ったことはなかった。
なぜだか、彼が自分に危害を加えることはないと感じていたからだ。
『花京院』と異なる言動を取れば、きっと彼は典明を許さないだろう。
それは分かっているものの、彼が自分に牙を剥く様子が、どうにも想像できなかったのだ。
だが今日、承太郎にさらわれたハーフエルフたちの成れの果てを知り、典明は初めて彼を『怖い』と思った。
承太郎はその日、干し肉とビスケットを持って帰ってきた。
典明はいつもどおり、彼の目の前でそれを食べた。
「どうした?不味かったか?」
「いや、そういうわけじゃあないよ。その、承太郎……聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいこと?何だ、花京院?」
「君は、僕を…一体どうするつもりだい?」
「どうする、って?」
承太郎は不思議そうな声を出した。
何を尋ねられているのか、意味が分からないという声だ。
「君が僕を、こんなところに連れてきて閉じ込めて、何をするつもりなのか、何をさせたいのか知りたいんだ」
「何をする、もなにも、別に何もしねえぜ、花京院。てめーが俺と暮らすのは当然のことだから、こうして一緒に生活してるだけだ。別に閉じ込めたいわけじゃあねえが、てめーはレベルが低すぎる。また俺の知らないところでおっ死ぬことがないように、部屋から出るなと言ってるだけだぜ」
「……。…それじゃあ……」
典明は震える声を、それでも振り絞った。
「今までこの城に連れてきた人たちは、一体どうしたんだ?」
「何だ、そんなことか」
承太郎の声色は、心底どうでもよさそうだった。
「今までのやつらは、花京院に似てはいたが、別人だった。だから殺して食った。それだけだぜ」
「くっ…き、君は、人の死体を食べるのか?」
「?当然だろう?俺はバルログだからな。それが主食だ」
典明はさっと青くなった。
バルログ。
人やエルフの魂を食料とする上級悪魔。
「安心しろよ花京院。てめーを食うつもりはねえぜ。てめーと話したり触ったり、そういうことができなくなっちまうからな。まあ、そうして大事にしていたから、あんなことになったわけだが」
「あ、あんなこと?」
「なんだ、覚えてねえのか?」
承太郎は笑いながら、愛おしそうに典明の頬を撫でた。
「てめーが一人で突っ走っちまって、俺が追いつく前に、とっとと死んじまっただろ。てめーが死んだら俺が食うって約束してたのに、てめーの魂はもうどっかに行って残ってなかったんだ。だから俺は約束を守るために、花京院、てめーの転生先を探して回っていたんだぜ。ハーフエルフだとばかり思い込んでたから、人間だってのは盲点だった。待たせて悪かったな」
「承太郎……」
この魔王さまが何人ものハーフエルフを誘拐してきた理由を聞いて、その原因を知って、典明の心の中に湧き上がってきたのは、恐怖でも哀れみでもなく、納得だった。
承太郎が『花京院』を大事にしていたのは、愛していたのは間違いない。
そんな相手だ、喉から手が出る程、魂を食べたいと思っていたのだろう。
それが叶わなかったのなら、その魂を追いかけて探し求めるのは、当たり前のことに思えたのだ。
「なあ、花京院。今のお前はハーフエルフじゃあなくて人間だし、少なくとも今はまだ、冒険者ですらねえ。だからお前の目が見えないのも、そのままで受け入れたいと思っていたんだが……もしお前が許してくれるなら、その目を治してもいいか?そして俺と一緒に、またダンジョンを潜る冒険者になろう」
「盲目のままだって冒険者にはなれるよ。目を治さないといけないのかい?」
「目が見えないと、魔法書が読めないだろう。てめーは有能なメイジだった。また、てめーの放つ魔法が見たい」
「メイジ…」
巻物にせよ魔法書にせよ、呪文を唱えるためには、それを読む必要がある。
典明は両目に走る傷を指でさすった。
典明は生まれつき目が見えないわけではなく、魔王に連れて行かれないために、目を潰されたのだ。
だが今こうして、結局承太郎の元にいる。
「承太郎、僕は……そうだね、僕はこれから、君を怒らせるかもしれないことを言うよ。それで君に殺されるかもしれないが、これだけは譲りたくないことだ」
「何だ?」
「あのね、承太郎。僕は『花京院』じゃあない。彼の魂が転生したのが僕なのかもしれないが、それでも僕は、彼そのものじゃあない。だから君が、僕とともにダンジョンを冒険したいと言うならば、『僕』の名前を呼んで欲しい」
承太郎はしばらく何も答えなかった。
典明の頬に添えられた手が、炎のように熱い。
典明は、自分の顔に注がれる自然を、痛いほどに感じた。
「…………………『お前』の、名は」
「!承太郎…」
承太郎の声は、常日頃のそれと比べると、かなり小さなものだった。
それでも、その声はしっかりしていた。
「僕……僕の名は、典明というんだ」
「…典明」
典明は承太郎の手のひらに顔をすり寄せた。
「典明。俺と一緒に、ダンジョンを潜ってくれないか?」
「……いいよ、承太郎。メイジになれるかどうかは分からないけれど、君がそう望むなら、この目を治してもいい」
「そうか」
承太郎は典明の額に自分の額をこつんとぶつけた。
「癒しの薬を持ってくる。それを飲んでくれ。それから、花京院が使っていた魔法書も。一度読んでみてくれ」
「分かったよ」
承太郎が持ってきた薬を、典明はためらいもせずぐいとあおった。
目の辺りがひどく熱っぽい。
「う、ぐ…」
「大丈夫か、典明?」
「大丈夫、だ…承太郎………承太郎、きみ……それが『緑』なんだな」
「典明!」
典明は黄緑色の瞳をぱっちり開いた。
彼の目がものを映していたのは物心つく前までだったから、彼が『緑』をみたのは、それを認識したのは、これが初めてだった。
「ああ、典明。これが『緑』だ。これはお前のものだ」
「いいのかい?『花京院』のものだったんだろう」
「お前は典明だ。だが、花京院でもある。花京院の魂を食べることはできなかったから、その味で判別することはできねえが、俺には確信がある。これは永遠に、花京院のものだ」
「なんだか妬けるなあ」
典明はそう言ってくすりと笑い、それから承太郎の持ってきた魔法書を受け取った。
自然の魔法領域と、カオスの魔法領域のものだ。
典明はカオスの赤い魔法書をめくった。
一番最初に書いてある、マジック・ミサイルの呪文を読み上げる。
火花を散らした魔法のミサイルが飛んでゆき、承太郎の角にばちりと当たった。
「うわ、ごめん承太郎。大したダメージはなかったと思うが……承太郎?どうした?」
「……………花京院」
承太郎は小さな小さな声で呟いて、典明の体を突然ぎゅっと抱きしめた。
「承太郎、君は…。……仕方のないやつだな」
典明は彼の広い背中に腕を回した。

 
 
 

数十年後、彼はとうとう、彼を口にした。
その味は極上のもので、もうそれ以外何も食べられなくなった彼は、とても幸せそうな顔で衰弱して死んでいったという。